2016年11月30日水曜日

北陸新幹線延伸ルート。

とっても久しぶりにブログ更新。
最近話題になっている?北陸新幹線延伸プロジェクト。
ちょっと気になるニュースが出ていました。(こういうお仕事もやってます)



○ニュース
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6222645

国交省の試算に対して、なんとしても舞鶴ルートに持ち込みたい京都側の、反論する内容ですね。
一昨年舞鶴訪れた時には確かに侘びのある風景だなぁと感じざるを得ないこともあり、個人的には日本海側はもっと元気になって欲しいこともあるのだけど、今回の試算はちょっと自分達が得意な観光を活用しすぎなのでは、と感じてしまいます。
だって
小浜ルート 1.1→1.5
舞鶴ルート 0.7→1.6  (しかも対象としたやつは0.6)


一般に、鉄道の費用便益(社会にとって良いこと)は、利用者便益(移動時間が短縮、移動費用の削減など)、供給者便益(収益改善)、△環境改善(自動車→鉄道によるCO2削減など)で計算されるんですが、
これに伴う企業の立地の増加(アクセス性の向上によるお引っ越し)や、観光客の増加に伴う効果、労働生産性の向上、といったいや、きっとあるでしょうよ!というものは、正しくそれを計算する手立てと根拠が薄いことから日本では計算の値に入れていません(日本はわからないものは基本省くスタイル)。
※こういう新しい指標もガンガン入れて行こうぜ!というのがイギリスやニュージーランド。

それと、一般的には今移動している人だけが移動する、というスキームなので移動は常に取り合い。どこかが増えればどこかがその分奪われて減ります、というのが基本スタンス。。なので、今まで旅行はせずに家にいたけど、新幹線できたし旅行とか行ってみるか!とか、新幹線出来たから日本海側にも顧客探すか!という効果は計算されません。

ということもあって、こうしたほんとは効果あるでしょうよ!というのを全面に計算したのが今回のニュースなんでしょう。

今回は恐らく、
・新幹線開業に伴う観光目的の人数に対して、観光消費者単価をむりくりかけて観光消費を追加
・土地利用交通モデルを使って企業立地がどう変わるか

で計算しているのではないかと(報告書読まないとわからないけど)。

国交省の結果をみていると舞鶴ルートは
・輸送密度低い(要するにお客があまり乗らない)も所要時間も長い→利用者便益が出にくい B↓
・距離が長くて建設コスト高い→費用が高いのでC↑
∴ B/C低い
という結果。結果だけ見てると至極真っ当な気がします。

ただ、これではいかん、ということで特に観光の移動に着目して小浜ルートで数字が出ない観光目的に着目して、観光消費を載せているのでしょう。

国交省の結果では、南周りの方がB/Cが小さいのに、今回の京都の試算だと、南周りの方がB/Cが大きいというのも、恐らく奈良を通すことで、奈良~京都の観光移動量が元々大きいというデータを上手く計算結果に取り込むことを狙っているのかと思います。
このルートであれば、今奈良から京都移動する人が新幹線使って移動する可能性があるので、その分の利用者がみんな観光するとして、結果便益があがるという試算なのかなぁと。

企業も、製造品出荷額とかが小浜よりも多いことに着目して、勝負しているんでしょうね。

現在の便益分析は確かに欠けていることも多いし、波及的な効果を全部載せられないとか、そもそもデータがめっちゃ古いとか(今の移動の基本データはH22のもの。新幹線が出来るころには20年後なので、未来がその時の移動をベースに作っていいのかというのは大きな疑問だけど、それに代わるデータがまだないのです)諸々あるんだけど、反論材料としてはちょっと弱いしつらいのかなぁと思います。
恐らく、この試算値をベースに舞鶴ルートになるなら、京都府はJR西日本に補償費払わないといけなくなるのではないのでしょうか。 ただ、仮に小浜ルートになるなら、小浜~舞鶴で特急通してあげるとか、そういうのあった方が良い気はしますけど。

○国交省の結果
http://www.mlit.go.jp/common/001152043.pdf

2016年1月18日月曜日

色々見たもの聞いたもの。

ずるいけど、こういうリハビリも、まぁありということで。書いたは書いたのでFBから転用。

身近に面白い書き物を沢山する人がいるので、そういうところをひそかに目標にしつつ、そもそもまず書くという行為じたいを復帰するということをまず目標に。

てわけで、年が明けていくつか見たものを備忘録的に。今年は新年早々色々と良いものに巡り合えている気がする。

【音楽】
パリ留学時代からの知り合いであるHiromi Arasakiとその姉であるNarumi Arasaki​の姉妹による連弾コンサートを。(お二人は連弾でフランスで賞取るくらいなので、まぁめちゃくちゃ上手いわけなんで、僕みたいなへっぽこ音楽かじりが何か言うのもおこがましいのだけど、)これまでコンサートに行ける機会が殆どなく、どちらかというと飲み友達、みたいになっていたのですが、初めての連弾で初めてひろみちゃんの音を聞いたんだけど、力強く、でも包容力あるメロディを凄いうまく響かせるひろみちゃんと、絵を描くみたいにパレットに色んな絵具垂らすみたいに調和を楽しむなるみさんの、二人とも全然違う音色なのに息があっていて、連弾ってこんな面白い表現手法なのか、と素直に面白さに惹かれました。ピアノ→クラシックギターになった身として、ギターに比べてどうしてもピアノの音の音色の幅は小さいと思っていたのですが、ピアノの音色ってこんな色んな弾き方あるのね(まぁ僕の知識が足りないのと、ピアノの素養がなかったってのが大きいのですが)って感心する素晴らしいコンサートでした。
http://arasakihiromi.blogspot.jp/

【書籍】
悼む人→天童荒太のずっと読みたかった作品。永遠の仔を読んで衝撃を覚えて、孤独の歌声やら家族狩り読んで、悼む人にいたったわけですが、彼の家族と、過去のトラウマの話だけでなく、死と、自分とひたすら向き合い続けるある種つらい後ろ向きな話を何故か新年早々読んでいたわけですが、静かな物語だけど訴えかけるものは非常に多く、小説以上の何かを感じる作品でした。

包帯クラブ→悼む人読んだ流れでやっぱり天童作品は全部読もうと思って(静人日記と溢れる愛と一緒に購入。歓喜の仔も購入住み)読んだ作品。悼む人に通じることはあるけど大分軽い文章でほんとに同じ人が書いたのか、と思うけど通じるものはある。多分もっと若い時に読むともっと影響受けるけど、でもどこかで感じる事があるのを文章化してくれたって感じがする。

【展覧会】
肉筆浮世絵→最終日にふらっと。正直美人画にはそこまで興味がなかったのだけど、これまで想像したことなかったダイナミックな着物の書き方(着物だけ線が太くてダイナミックなポスターアートみたい)とか(懐月堂度繁「立姿遊女図」とか)、18世紀初頭の着物の華やかさと色彩センスとか、面白い発見がいっぱいあった。いわゆる浮世絵の細い線で構成される前に、もっと漫画タッチの、人より着物が主役みたいな絵があったのを知った。(実際江戸の美人画ってみんな同じ顔してて区別つかないし)
後、初めて見たけど、小林清親の頼豪阿闍梨という絵はドラクロワみたいな構図とインパクトでありながら浮世絵という非常に残新で日本画への移り変わりを表しているようなすごい面白い絵に出会えたのは収穫でした。なにより、その後錦絵の展示を見たけど肉筆とクオリティがぜんっぜん違う。肉筆を100展くらいみたのでまひしてたけど、すごいいい展示だったんだと思う。
http://weston.exhn.jp/exhibition/
黄金展→俺は金と装飾に興味がない。

【映画】
エピソード7→なんだかんだ興奮した。ファン向けのムービーなところは否めないけど、ファンとして大いに楽しめる作品だった。テーマとして銀河戦争でシリアスなのに、いつもふふっとなるコメディをさりげなく噛ませてくるところがなんとも素敵でした。3Dで見てよかった。迫力満点。

キャッチミーイフユーキャン→ずっと気になってて今更ようやく見たけど、ディカプリオとトムハンクスの掛け合いとテンポの良さとストーリー展開と、いわゆるとてもよくまとまったいい映画でした。オープニングの作りもよかったなぁ。タンタン3Dもスピルバーグだけどあのオープニングはカッコいい。

砂漠でサーモンフィッシング→これは賛否両論あるんだろうけど、こちらも気になっていたようやく見れた映画。ちょっとおとぎ話な話なんだけど、そこに情熱注ぐ人達はなんというか見ていてあぁなんかいいなあと感じる映画でした。ちょっと馬鹿げてるかもしれないけど、でもやったるんだ、というところが個人的にはよかった。ユアンマクレガーはいいね。

と思ってふと外をみたら雪が降り始めていた。

今年もお勧めの本や、展覧会や、映画や音楽やら、色々声をかけて頂けると嬉しいです。

というわけで、夢うつつはこのあたりにして、いい加減寝ないとな…

2014年7月5日土曜日

国立競技場問題

最近、段々よくわからなくなってきたけど、国立競技場問題だけこんなに紛糾するのはなぜなのかしら?しかも、デザインの話と採算性の話とスポーツ振興会の運営の話が全部グッチャになって応酬繰り広げられてる気がするんだけども。

デザインはまぁ色々あるとはいえ他のスタジアム案が圧倒的に優れていたとも思わないけど、議論が起こること自体はいいことだと思うんですよ。いつか、モンパルナスタワーの時のパリみたいに、景観として、東京の都市計画の最大の失敗とか市民が語れるようになるならそれはそれで。

ただ、スカイツリーの方が東京中の景観を破壊しながらそびえたってると思うんですが、あの時、できてから反対運動とかあったっけ?それこそ、隅田川の帝都復興の近代遺産である橋梁群の景観にあいつが視界に入ってくることの方が嘆かわしいと思うんだけど。
どう考えてもデザイン的にも美しいとは思えない。
なんで、こっちは喜ばれて新国立競技場問題はここまで紛糾するのか。


それに、今まで日本の景観で絵画館の話がそんなに大々的に取り上げられてはいなかった気がする(勉強不足かもしれませんが)し。東京を代表する空間として絵画館が取り上げられたことなんてあるのかしら。
それとも、日本国民が大分景観について関心を持つようになったのでしょうか。
それでも、まだアニヴェルセルがさくっと建設されてしまうような状況を考えるとそこまで行ってるとは到底思えないけど。

さらには、段々工費や採算性の話になってきてるけど、そもそも公共財なんだから採算取れること前提にするのもどうなのかと。
スポーツ振興会の運営は色々問題あるとして、段々議論のすり替えみたいなのがおこっているのはちとどうなのかと思う。

結局は、2050年とか先の東京をどうするか、どうしたいかって中で新国立競技場がどういう位置づけになるのかって議論をしないといけないと思うんだけど、そもそもオリンピックを誘致する段階からそういうのは話しておくべきであって、今はもうそういうフェーズでもない気はするんだけどな。

2019年のラグビーワールドカップで使用することを考えるともう時間はほとんど残されていない気がする。

2013年12月8日日曜日

火災報知機

随分、ブログを放置してしまった。
その間にもアクセスはちらほらあるみたいで、なんかすいません。

技術コンサルに入ってあっという間に8カ月。

ついこの間、初めて最初からかかわった仕事が1つ終わりました。

のだけど、仕事のことはまたこれからちらほら書くとしてリハビリがてら別の記事。


昨日、家で火災報知機を鳴らしてしまいました。

家で解凍した豚肉を炒めていたら事件は起こったわけです。

解凍した肉なので、水分がはねて油が飛び散るのはまぁ、ある程度いつものこと。

確かに、豚肉を焼いている時に、フライパンの脇から火があがったりして、なんかすごいなーと思ってはいました。(この時は、油が気化して燃えているということにすら気付いていない)

すると、突如トイレの方(台所に立って、右手突き当たりにある)から異様な音が。
その直後に、”火事です”というアナウンス。

軽いパニック状態になりました。トイレから火の手が上がるようなものはうちにはないし、そもそもトイレからそんな警報音でるような装置はないはず。

な、何が起こってるんだ!? という焦りと一方で料理しているので手が離せない。目の前のキッチンでは火事は起こっていないわけです。

数秒して、ようやく自分の後背部の天井に火災報知機がついていて、それがなっていることに気付きました。

火災報知機の点検も入ったことないので、どんな音が鳴るかもわかっていなかったのですが、ここで要約事実認識。

次の瞬間にこのままじゃ消防車きてしまうがな!という次なる焦りにより、どうやって報知機とめりゃいーんだ!という疑問に。

幸い、火災報知機の真ん中に停止ボタンがあったので事な気を得ました。

消防車に迷惑かけないでよかったよ。

そのあとで、部屋全体に煙が充満していることに気づいて、陰干ししてたスーツとコートをしまって、全部の窓を開放。

してたら、豚さんはちょっと焦げてしまいました…。(大変おいしく頂きました)

火災報知機にしても、地震警報にしても、不安をあおるような警告音を出すように設計されているので、それはもう気付く意味では効果的なんですが、その音が何かがわかっていない(=準備できていない)と、警告音それ自体が未知なる恐怖を生んでパニックを起こしかねない、という事実を体験したのでありました。


うちの家のコンロは結構強火力なわけですが、火をつけて、ごま油をべーっと引いて、解凍した豚肉をサランラップから一枚ずつ取ってフライパンにのっける間に油があったまりすぎて、中華料理的な状態になっていた模様。
いつもと同じつもりで料理してたんですが、今日はフライパンのあったまり方が凄かったのかなぁ。
これがてんぷらとかだったら火事になっていたのかもしれません。

皆様もお気をつけて。。。

2013年6月16日日曜日

奇跡のリンゴを読んで思う事

奇跡のリンゴ を読んだ。

恐らく学生時代に農学部の書籍コーナーでちょっと見つけたことがあったのだろう。よくわからないが、ブックオフの100円コーナーでたまたま目について4月ごろに買っていた本をふと読んでみた。

詳細は省くが、なるほどプロフェッショナルに取り上げられるだけの職人気質と、途中ぶつかる壁での苦労、それを乗り越えて生み出した奇跡の無農薬リンゴができるまでをドラマチックに描いている。

すこし、あまりにもシナリオが出来すぎているのではないかという部分すらあるがそこはよくわからない。

リンゴというのは非常に無農薬で作るのが難しい食物だそうだ。キュウリもそうらしい。他の有機野菜とは違って、ものの見事に病気や害虫にやられて花がさかなくなってしまうらしい。花がさかねば実は付かない。実が付かないと受粉に失敗したということで翌年の花が咲かなくなってしまう、という負の連鎖性があるそうだ。従って、農薬をまくというのはリンゴ農家にとっては常識だったそうだ。

それを、土にこだわり自然状態に近い環境を作ることで、無農薬での栽培を可能にしたという物語。

じゃあなんでリンゴは無農薬栽培ができないか?という話は奇跡のリンゴにはでていない。他に無農薬野菜色々あるじゃん?と思うのだけど。

当然本来なら知るよしもないのだが、たまたま読んでいる本でリンゴの特性が書かれていた。
マイケルポーランの「欲望の植物誌」という本でアメリカの植物関係のジャーナリストが書いている。彼は、非常に素敵な文を書く人である。名著、雑食動物のジレンマはとても面白いので是非読んでもらいたい。

閑話休題。

その本によれば、リンゴとは本来遺伝子の多様性があり、野生のリンゴは同じものが出来ないらしい。種から植えれば子供は全く別のものになっていくそうだ。味も、実の付け方も全然違う。
今あるフジみたいな我々がよく見かけるリンゴのブランドはしたがって全て接ぎ木である。甘いリンゴというのは品種改良によって作られ、それがクローンとしてずっと定着しているのである。その結果、遺伝子的な成長はないため、害虫や病気などに対して時間をかけて切磋琢磨することはなく、相手側だけがどんどん進化してしまうこととなった。だからこそ、農薬などでカバーしてあげないと耐えられない非免疫的な植物になってしまったのだそうだ。
(ちなみに、もう少し付け加えば、リンゴが当時アメリカで爆発的にはやったのはジョニーアップルシードと言われる男のおかげで、その当時のリンゴはまだ酒として飲むものであったからこそタネ生まれのリンゴがたくさん育ち、一気にリンゴが人間界での地位を握ったそうな。しかし、実を食べることが主流として定着した今、リンゴは再び脆弱性を抱えるようになった、というお話。)

そんなわけで、リンゴには農薬が不可欠である。
だからこそ、木村さんはキセキと言われている(はずなんだけどそこはさらっと流されている)。
という話があるとプロフェッショナルとしての凄さがもっと聞くんじゃないかなぁとか思ったり。

とはいえ、そんな奇跡を起こした木村さんは、自信の劇的な生き方と相まって、今ではちょっと成功に満ち溢れたかのように書かれている。その方が面白いし。

なので、それだけ読むとなるほどこれは凄い!となるところなのだが、エピローグを読んで気になることがあった。今はいたるところで引っ張りだこになった木村さんが無農薬栽培を講演して回り”それを実践した農家はみな今までよりも豊作になっている”という記述。本当にそうなのか?

無農薬栽培に至るまでの木村さんの苦労は計り知れないものがあったのは本からも凄い伝わってくる。成功のカギになった、自然状態の観察眼を養うのには極めて長い時間を要している。というところを(体験的に)すっ飛ばして、いきなり無農薬にするのは極めてリスキーであり、自然の流れを読み切れないと結局害虫に蝕まれてしまうのではなかろうか。きっと失敗している農家もいっぱいあるはずだ。そうじゃなかったらみんな江戸時代から明治になっても昔ながらのスタイルでいたはずなんだから。

リンゴが木であることも大きいのではないだろうか。木であるが故に毎年根っこから引き抜いて種をまいて、、、という野菜とは違って、いきなり雑草とヨーイドンで競争することはない。夏休み働いていた農家でも、有機栽培で化学肥料は一切使っていなかったけど、雑草の方が成長が早いのである程度苗がしっかりするまではハウス栽培をし、さらに初期のころにきちんと草むしりして苗が雑草に負けないようにというのが徹底していた。恐らく稲作も同じだろう。それを、たんに肥料もなく、無農薬でやるのが素晴らしい、という形で書くのは世間が農業に誤解を招くのではないだろうか。


そもそも、無農薬栽培は果たして本当に善そのものなのだろうか。ほぼ確実に農家の負担は増えるはず。自分で様子をきちっと見ないといけないうえ、土の中の栄養は雑草などと取り合いになるとすると、収穫量も減るのではなかろうか?
本の中では美徳的に書かれていたので、結局収入がどれだけ増減したかは書かれていないがそのあたりはどうなっているのだろう。
それに、無農薬栽培が我々消費者にとって本当に善だったとして、その改善に見合ったコストを本当に払ってあげているのだろうか?
有機農業をやっている農家や一般農家がどう感じているか、是非とも質問してみたいところである。




2013年5月28日火曜日

びじゅつかんりてらしー

昨年は美の国フランス、或いはその周りの欧州諸国にて学生特権(学生は美術館無料ってところが結構多い)を存分に享受していた反動で、日本で美術展に金なんぞ払ってられるか、割に合わん!って気持ちだった。
ので、記憶が確かなら特撮博物館しかいかなかったのだけど、今年度入ってからはさらにその反動なのか随分展覧会を見ている。
ミュシャ、ベーコン、ルーベンス、猪熊源一郎、平山郁夫、クラーク美術館、プーシキンとまぁ見てきたわけで、今回見たのは豊作だったのが多い。

ただ、特に猪熊・平山の両美術館を見て感じたのだが、日本の美術館ってなかなかある特定の画家についてじっくり見れる場所がない。

恥ずかしながら平山郁夫も猪熊源一郎も殆ど知識もなく、とはいえ名前は知ってるしせっかくだからとそれぞれ訪れたわけなのだが、作品が非常に少なくて、結局代表的な作風があまりわからないまま終わってしまった。特に平山に関しては、若いころから晩年までさーっと流してはいるものの、本当に小学生の時の絵とかもあるせいで、肝心の画風が固まるころの絵はほんの2,3点。面白いなぁと思った時には終わってしまった。結局お土産の絵をみてこういう絵を描くのかと納得するというありさま。

あぁ今回は残念だったなぁというところで思い返して他を振り返っても、岸田劉生ならここ!とか梅原なら!とかそういう美術館ってなかなかなくね?と気づいた。東博行っても、東近美行っても、1,2枚は見れてもそれで終わっちゃう。結局どこの美術館に行っても1~2枚ずつしか見れないから結局イメージが固まらないまま、或いはその人が好きになるってわかる前に離れてしまって結局定着しないかのような。

例えばヨーロッパだと国内の有名画家はだいたいたっぷり持ってるもんで、オルセーでの印象派とか、ルーブルのドラクロワ、ベルギー王立でのルーベンス、ブリューゲル、マグリッド、オランダいけばゴッホやレンブラント、英国のターナーetcとまぁ、そこの美術館にいけばその人の作品が沢山見れるので、この人の絵は好きだ、嫌いだ、こんな絵描くのか―、なんてのがそれなりにわかるし、自分の中でベースが出来上がる。

まだ画とかよくわかんねーなぁという17の終わりに、フランスで沢山の絵を見て、オルセーでモネを沢山見て、この人の絵いいなぁと思ってお気に入りになったサンラザール駅を通り、ルーアンにてルーアン大聖堂の実物みてという体験との組み合わせで自分は画が好きになったわけだが、その時もこの作家はこんな絵書くんだってのが色々蓄積されたからこそ自分が好きな画がどんなものか、誰が好きなのかわかった気がする。

でも、日本ではそれがなかなかなくて、いい美術館であっても流れは理解できるけど自分の中の基準はなかなか作れない。ポーラも、国立西洋美術館の常設も素敵だとは思うけど、一人の画家の作品は限られるし美術館の大きさがそもそも違うってせいで意図的に作品絞っているし。
それにしてもあんまりではなかろーか。

自分の乏しい知識でいえば、唯一北斎に関しては、まとまって見れるところが沢山ある(津和野も小布施も楽しかった)のだが、それは彼が超多作だったからにすぎず、後は広重にしても大観にしてもなかなかまとまってみれたもんじゃあない。

先日のベーコン展で初めてベーコンがどんな画を描くか(作品はむずかった)、まがりなりにも理解が出来た。

でも、未だに平山郁夫も横山大観もまとめて作品みたことないからぼやーーんとしかイメージが出来ない。本当に好きか嫌いかもわからない。人の名前がついた美術館も本当に小さいのが多くてなかなかわからない。(大学の裏にそういえば横山大観記念館あったけどあれも明らかに作品数すくなさそうだし)


どうして日本ではまとまって見れないのだろうか?

日本を代表する(?)であろう東京国立博物館の常設展のコンセプトが日本美術の歴史を最古から今まで見せる、というものであるが故?

それはそれで1つの大事なあり方だとは思う。けれど、今の日本の展示方法だと、色んなもの見て、どれが好きかもわからず、とりあえず展覧会に行く、となってしまったり、せっかく展覧会みて気に入った人が出来てもその人の作品をまとめて次に見るのはもう何十年後になることか。。。みたいになりかねないのではなかろうか。国外のレアな人ならともかく、国内の画家にたいしてですらそれはあまりに悲しい。浮世絵は流出してしまったかもしれないが、近代画家もみんな作品出て行っちゃったの?

せっかくなら、基準を作ってあげられるだけの作品を見せる。そのうえでこその特別展で美術館展や、普段はお目にかかれない作家の展覧会をみれると勉強になるんじゃなかろうか。



2013年5月2日木曜日

農家日誌⑧

ずいぶんと放置してしまった。

農家日誌(①~⑦)もなんだか途中で止まっていた気がするが、ほかに当時何を書きたかったか思い出せないのでひとまずこれで終わりにする。

途中で腰を痛めてしまって、結局1か月のところを2週間でギブアップしてしまう(腰痛はそのあと1か月弱続いた)という情けない結果になってしまったが、得るものは大きかった。


農業回帰宣言、農家にIターン、農業を仕事にetcなど色んな話は出ているが、原則的にそういったものは”都市の人間”がみた『農家』であって、大きな幻想も含まれているように思う。

農業風景の美しさの裏には大きな労働負担がある。棚田はきっとつらい。平坦な畑で10時間働くだけで体は相当疲れ切る。いい年した男が、22時には限界で寝てしまうくらい。

流通も、サービスも、全部やろう!という本やスローガンはたくさんある。しかし、6次産業とはいうが、いざ加工業を始めようとすれば冬場も人を雇わないといけない。そんな余裕は小さな農家にはない。

土地を集約して増やせ、というのは僕も雇い主にそうした方がいいのでは?と伝えたことがある。しかし、土地をめぐる思いは色々とあるようで、隣の人には意地でも貸さない!それならお前に貸すといって飛び地や少し離れた場所の土地を借りるということはままあるらしい。制度的にはそうかもしれないが、それだと断固として動かない人もいるのもまた事実と言われてしまった。

有機農業が都市だと好まれるが、有機農業に求める形のきれいさは農薬農業の時のそれと変わっていない。まがったキュウリも大根も受け入れられない。少しでも形が崩れると廃棄になる。

生産者はとても弱い。自分が作った野菜を売るにも赤がでる。買い取ってくれるが利益は0、それでも自分が育てた野菜をつぶすなんてのはつらいから、意地でも出荷するなど考えられるだろうか。どんなに値崩れしてもJAの手数料は変わらずとられるし、輸送費は3割ほど占められる。途中の輸送、小売りの方が圧倒的に強い。


食糧自給というのは生命の根幹を揺るがすもの。もっと農家の地位は上がっていいのではないかという思いを抱きながら実際に農家に飛び込んでみたわけど、まだまだ現実は厳しいものだった。
なんとか食べていける!という農家でも季節契約でスタッフを雇うのが限界ではないか、というくらい。

スーパーでみかける野菜がなんできれいで、どうしてこんな整った形をしているのか、という見方をすることができるようになった。ほっとけばすぐまた当たり前の光景になってしまうあの陳列棚を、こうした目で見続けることができるだろうか。

2013年1月8日火曜日

特撮博物館を振り返る

随分前のものだが、現代美術館であった、特撮博物館は秀逸な展示企画だったことを、ふと思い出した。
特撮博物館はエヴァの庵野さん監修の元、昔のヒーローもので使われていた特撮を振り返ろうという企画展で、会期終了前の休日に行ったところ、1時間待ちの大盛況な展覧会であった。

行く前はどうなのだろう?なんか高いし…とか懸念はあったのだが見事にいい意味で裏切られた。


まず、圧倒的な展示量と明解なコンセプトがよい。国産故、あそこまで展示作品が多かったのだろうか。或いは特撮に関わった者たちがとても協力的だったからだろうか。


日本で行われる企画は両方足りないか、片方がしっかりしているか、の企画が多い気がする(自分の趣味的にそうなだけかも)。なかなか、量も質もすごい、というのにはならない。


いわゆる海外ものの企画展だとどうしても作品数に限界がある。たまたま工事とかしていて作品が外に出回っていたり、とかがないとなかなかうまくいかない。新国立美術館のこけら落としの時の目玉企画モネ展はかなり凄かったが、あれもオルセーが長きにわたる改装工事をやっていたからこそ出来た技ではないのかと思う。

それに、美術作品の貸出において、日本のように西洋絵画の作品数が少ないと、なかなか貸し出してもらえないことも多く、せっかく交渉しても、結果挫折してやむなく別の作品に…というのもあるようだ。そうなると主力作品じゃないものが増え、広告とのズレが出るか、コンセプトがボヤけるかする。結果、せっかく金払って行ったのに肝心の~の絵とか殆どないじゃん。だれだよこいつー、みたいな感じになってしまい一般に受けにくくなる。その点、元々いい作品を持っている美術館は自分の作品貸すからさ、ともちつもたれつで作品を借りれるので、オルセーやらルーブルやら、企画をするとここ、こんなにこの作者だけで集まるのかよ!となる。オルセーのマネ展は母国の力を活かして圧倒的な質と量で日本なら企画一本物の目玉作品すら一兵卒のような扱いだった。草上の昼食とか、しゃべりながら見てたら見逃したほど。

一方、目玉作品、というよりは明快なコンセプトで当たりが出る時もある。

昔見た浮世絵と陶器展@東博は作品は地味だがコンセプトが一貫していて楽しかったし、先日の三菱一号館美術館も作品数は少ないし、画家も自分は知らない人だったが、代わりに作者をきちんと揃えていて、作者の変遷がわかってなかなか楽しめた。

特撮博物館は、目玉(巨神兵東京に現る)もすごかったが、それ以外の地味な作品達が効いていた。展示の仕方自体は意図的に雑であったが、特撮やってた人の見せたい素直な思いと、庵野さんの解説文に見られる熱意が逆に素直に入ってくる。作品に対して真摯な(童心に戻った)想いは会場に溢れかえっていた。あんなにみんなが作品に興奮してる展覧会を他にみたことがない。子供がゲームコーナーで目を輝かせているような感覚。さらに凄いことに、当時特撮を見ていたおじさん世代(物量がすごいのでかなりの世代に何かしらヒットする)は昔を思い出し食い入るように作品を見ていたのはもちろん、。結果、その世代と一緒にきた彼女や子供、奥さんへの解説がいたるところで聞こえた。普通の展覧会ならうるさいとこだが、展示の仕方的に静かが求められる空間でもないのももしかしたら敢えて雑に展示をしたキュレーターの作戦なのかもしれない。



その物量が物をいう展示が終わると、実際に巨神兵現るの動く特撮を見れる。
正直観た感想は、これはCG使ってるんじゃないの?であった。とても昔のウルトラマンなどでみたような特撮ではないレベルだったから。しかし、短い作品だったが大迫力だった。

興奮した上で舞台裏を見せる。今回の映像の制作過程が見れ、CGは使わず如何に合成画像と模型だけで成り立たせているかがわかり、さらに興奮が高まった中、楽屋裏で特撮の歴史を改めて振り返り、最後に撮影で使用したジオラマ内に自らが入れるという心憎い演出だった。


圧倒的量とクオリティが特撮の歴史を振り返るというシンプルなコンセプトで迫ってくる。


三時間近くいたが最後は時間切れでみきれなかった。たかだか現代美術館の一企画が、であるのに。特撮関係者の想いと客の想いが、見事反応していたと思う。フランスで美術館にしょっ中いて、もう日本では暫く美術館はいいや、という懸念を払拭してくれた。



かつて師は自分に、美術は一流を見続けろ、場所とタイミングが一致した時、何か本質が見えるのは一流の優れた作品。二流をいくら見てもダメだ、と言ってくれた。特撮博物館は少し趣向は違うが間違いなく一流のそれだったと思う。

自分がモネのルーアン大聖堂を見て、そのあとに本当のルーアン大聖堂を見て絵ってすげーなぁと思ったように、なんか企画展ってすげーなぁとあの企画を通じて思った人は一定数いるんじゃないだろうか。


美術館?よくわかんないや、という人の気持ちを変える力があったと思う。画家の作品数点しかないのに画家の名前を冠した展覧会はなかなか心に響きにくいだろう。でも、国産ベースで作品集めやすいものでならオルセーでのマネ展のようなことも可能なのでは。ああいう展示会がもっと沢山企画されて、見終わった後、振り返りたくなる企画がもっとでてきて欲しい。

2013年1月5日土曜日

揺らめくトリコロールは何故映えるのだろうか

レミゼを見た。


映画だったけどミュージカルであり、ある意味ミュージカルよりもミュージカルな映画だった。普通に面白い。

ユーゴーのレミゼは読んだことがなくて、大学の友達のサークルのレミゼがぼくの唯一の記憶で、それも随分薄れてしまっていたのだけど、観て行くうちに少しずつ記憶がよみがえってきて、それがまた楽しかった。


ミュージカルはてんで素人なんで良くわからないけど、後輩がついつい研究室で口ずさむほど民衆の歌は印象に残るし、きっといい歌が多いんでしょう。ジャベールが歌うやつもかっこいいしな。というか全員異常に歌が上手い。映画俳優じゃない人も結構混じっていたみたいだけど。


ちなみに、土木な人間なので、どうしても当時の風景に目が行ってしまう。
セーヌ川に当時こんな閘門あったの?そもそもあの形でどうやって閘門の制御するのだろうか。あれが閘門じゃなくて取水堰とるすると今度は舟運が成り立たない。とか。
ナポレオン3世前にここまで下水道整備出来てただろうか…とか、そんなところについつい目が行ってしまったりもした。幾人かが指摘していたが、バスティーユに当時象の像なんかがあったのね。

しかし、それ以上に一番印象に残ったのは、なんとまぁパリという街とトリコロールがはためく姿が似合う事かということ。

正直、国旗を振ってあそこまで映える街があるのだろうかというくらい、観て思わずぞわっとするくらいあの街とトリコロールがはためくところは良く似合う。
それは、自分が部屋に貼ってあるモネのフランス革命記念日の絵を見ているからだろうか、或いはドラクロワの民衆を導く自由の女神のおかげなのか、自分がパリにいたからなのか、それはよくわからないけどあれがイタリア国旗でもブルガリア国旗でも違和感を覚えてしまう。勿論日本の街で日の丸がはためいていたもあんな気持ちにはならないだろうし。

別に、フランスへの愛国心はないしフランスのために一滴の血も捧げたくないのに、あの旗が街ではためくあのシーンはちょっと感動的ですらある。いと不思議。


2012年12月30日日曜日

農家日誌⑦ 野菜の売られ方3

今まで2回は出荷の形態について書いていたが、出荷の前の話はしていなかった。

働き始めて数日はレタスやキャベツの収穫をしたり、草むしりしたり苗植えしたりしていた。

初めてレタスの収穫をした時、レタスはまずひっくり返してウォッシャーというホースみたいなので水を吹きかけて、茎の根元からでる白い液をのぞかないといけない事を知った。
ウォッシャーをしないと我々が想像する綺麗なレタスにならないから、である。レタスはすぐに傷んでしまうのでいたんだものや小さいものはそのまま畑に捨てられて土おこしで踏みつぶされる。


キャベツの収穫をした時は、見栄えがいいように外葉を一枚だけ残してうまく切らないといけないと知った。見栄えと、おそらく痛みにくくするため。小さいのはこちらも形には残らない。

この時は特に大きな疑問は持たなかった。小さいと値崩れしてしまうのは自明だったし、多少痛むもの仕方がないから。

数日たって、初めて大根を引っこ抜いた。
大根は、抜いてみるまでどうなっているかわからない。
200本抜いたら160本くらいしか物にならない。

ヒビが縦に入っていたら、すぐその場で捨てる。
二股に分かれていたら、やっぱりその場で捨てる。
あまりに曲がっていたら、その場で捨てる。
小さくても捨てる。

引っこ抜いて大丈夫なものを、根こそぎ包丁で葉っぱを落としていく。

そうして持ち帰ったものを、専用の大根洗い機(車の洗浄マシンみたいな感じ)に一本一本通して洗うのだ。大根がいつも白いのはそのおかげ。考えてみれば当たり前なのだけどスーパーの大根はいつもあの白いのだったから何かを忘れていたらしい。ここで、農家が自腹を切って機械を買って洗っているから(結構重労働)大根は白いのだ。ちなみに洗わない大根は別の注文形態としてあるが割合としては少なく、基本的にJAに出荷するのは大体洗っていた。
後から気付いたが、ウォッシャーもレタスのためだけに買っている。


そして、ここのJAでは900g以上の大根が正規の大根。700,800だと値段は半分になってしまい、700g以下は商品として認められず廃棄される。

捨てられた野菜は、有機農業なので畑に戻して養分にする。

それでも、曲がった大根も、ちょっと二股に分かれた大根も、全て捨てられてしまうのだ。

苦労して3カ月育てた野菜を捨てるのは忍びないだろう。収入にもならない。

お父さんは言っていた。昔は有機農業って言えば少しくらい曲がっていても許されていたけど、いつの間にかみんな大根ったらまっすぐで大きい奴しか認めてくれなくなったんだよ、と。
きゅうりやナスだって曲がっちまうんだけど、それも商品にはならない。味は変わらないのにね、と。


大根は白くて、まっすぐじゃないと、というのが当たり前になった。少なくとも僕はそれに見事なまでに感化されていた(ジャガイモとか人参はもっと泥まみれなイメージあるけど)。

野菜かくあるべし。
そんな都市側の欲求の帳尻合わせを見えないところで必死になっているのが現場の農家なのである。

野菜の売られ方は農家にはまだまだとても厳しい世界なのではないだろうか。きっと他の一次産業の現場でも似たような事が起こっているのではないだろうか。

2012年12月28日金曜日

農家日誌⑥ 野菜の売られ方2

※これは僕が北軽井沢の有機農園でバイトをした経験と本で得た知識を元に書いていますのでサンプルはn=1なので実態が普遍的なわけではないですよ。あしからず。

「けれどもね、契約農家も完全な契約ではないんですよ。どうしてか、わかります?」

それは、農家というのが根源的にリスクの塊だから、であった。

当然ながら野菜の成長の如何は大きく天候に左右される。向上のように必ず一定数ができるわけではない。前年はとうもろこし畑がクマに荒らされてしまい一本も収穫できなかったそうだ。

そうなった場合、完全なる契約にしてしまうと規定数の出荷が出来ない場合に違約金を取られることになってしまう。大きな収穫がない場合も勿論問題だが小さな変動はいくらでもあるし、必ずしも狙ったように野菜は大きくなってくれるとは限らない。

そうなると、どうしても緩い契約をしておかないとリスクを背負い切れないのだそうだ。

結果、どうなるかというと、契約相手も必ずしも契約を完全には守らない。豊作でJAの市場価格が安くなると契約は破棄されて農家のそれは買ってもらえないのだそうだ。それも、有機農園だから多少のプレミアがついていてこの現状である。普通の農薬を使った農家であればそもそも契約農業それ自体も厳しいのかも、しれない(ここは良く知らない)。

ここが、現代農業の非常に大きな弱点だと思うが、どうあっても基本的に最終生産者が大きなリスクを全て抱えないといけない。それでもJAは税を取るし、運搬料金も変わらない。小売も仕入れ値に%で上乗せしていくのだから、基本的に利益構造はできている。しかし農家は豊作になれば値が崩れ、凶作になれば収益も減る。そういった帳尻合わせは全て農家が行っている。若者を農家に!とは言っても根源的にリスクを背負い弱者である農家にそこまでなりたい人が続出するであろうか。

ちなみに、JAは市場価格に左右される一方、いくらでも出荷出来ると言ったが、JAのメリットはもう1つあって、それは入金が非常に早いこと。納めて10日くらい以内には入金されるらしい。基本的に農家は収穫ができるまでは収入がない。最初の数カ月はずっと借用金、ツケでなんとかしないといけない。当然早く金を返さないと利息が付いてくる。こうした中、契約農家よりも圧倒的に早く入金してくれるJAはある意味ありがたいらしい。とはいえ、JAも地方によって全然強さが違っていて、強いJAのところでJA以外にも出荷しているのがわかると露骨に嫌がらせされる、とかはあるそうだ。


野菜の売られ方、もう一回だけ続けます。最後は収穫で気づく売られ方。




2012年12月2日日曜日

農家日誌⑤ 野菜の売られ方1

※これは僕が北軽井沢の有機農園でバイトをした経験と本で得た知識を元に書いていますのでサンプルはn=1なので実態が普遍的なわけではないですよ。あしからず。


最近は、契約農業が主流かなぁ。

と雇い主は言っていた。有機農業だから、というのもあるが、確かにJAに出荷する分に加えて某居酒屋チェーンに出荷したり~さんに出荷と色々あった。某チェーンカフェからも契約の話が来ているそうな。

野菜と言えばJAと僕は思っていた。実際、JAに納める野菜の量は沢山あったから。一日でレタス80ケース(1つ14個入りとか)とか普通に出荷したりしていた。


ある日、そのJAに野菜を出荷すると、奇妙な張り紙が。

販売額が書いてあるのだが、手取りが 0円

となっているではないか。野菜を売ってるのに0円??
良く見ると流通代と箱大で2/3を占めている。そこに市場手数料、JA手数料、冷却代、etcがかさむと農家の手取りは0 らしい。

ようするに、農家は箱代を還元(段ボールは事前購入)しかできないのか?汗水たらして10kgのレタスを出荷して。

すごい腑に落ちなくて、数日後そのことを聞いてみると、実際その通りだった。

JAというのは必ずしも悪魔ではない。まぁ色々ろくでもない評判は聞くが。

JAの野菜の買い取り価格は全て市場価格に左右されるらしい。つまり豊作だと値崩れする。今年はキャベツがそうだった。嬬恋などで恐ろしくキャベツが取れた今年のキャベツの値の崩れ方はすごいらしい。だから、市場価格が高い時は儲かる。だけど、0円のときだってある。それにJAはいくらでも野菜を引き取ってくれる。

契約農業が主流、というのはそういうことだ。
ある程度一定の安定した(=農家に利益が出る)価格で売るためには契約農業が良いらしい。大体毎日nケース出荷と決まっている。安定した収入口を手に入れるには契約農業が大事のようだった。

なるほどな、と思った後雇い主はこう続けた。


「けれどもね、契約農家も完全な契約ではないんですよ。どうしてか、わかります?」





2012年11月30日金曜日

農家日誌④ 食える、のか

僕が働いていた農家はいわゆる専業農家だった。

一度、率直に聞いてみたことがある。

~農園では農業だけで食べていけるんですか?と


答えは、うちはやれてる。

だった。

これはある意味正解で、ある意味不正解なのではないかと思う。

農園は主を引いたお父さんとお母さん、雇い主とその奥さんと娘さん、おばあさん、の6人である。

北軽井沢は高原のため冬が早い。勝負は5~11月であって、11月末には霜が降りてしまいそのあとは野菜が栽培できないそうだ。

お父さんの世代では冬に出稼ぎにいったそうである。林業やスキー場、色んな事をしていたという話をお酒を飲みながら教えてくれたことが会った。

今は畑が使えなくなった後、最後の後片付け(ビニールはがしたり、土をならしたりだと思われる)をして、たまった事務処理をして2月からまた土を起こして、種まき(恐らくハウスで)をして、と作業が始まる。その間の2カ月はオフになり、雇い主も基本的にやらないといけない仕事はない。もっとも勉強や情報収集を行ったりとやることはあるみたいだが。

その意味では野菜を売った収入だけで家族全体を養えているし、スタッフに給料も出せてはいる。

一方、僕が働いていたバイトによる短期の他に、長期で働いているスタッフもいる。スタッフはシーズンオンである5~11月はフル稼働(週6)で働き、その間は住み込み食事つきで給料が出る。僕等のようなバイトよりも給料は大分上がるらしい。仲介を通さないのでその分のマージンもないし。

しかし、彼等もオフシーズンは仕事ができない。冬場仕事がない時期に遊ばせておく余裕はないのだ。従って、オフは各自が自力で行きぬかないといけない。冬場は実家に戻る人、旅館で住み込みで働く人、色々と選択肢があるようだった。それに、基本的には契約は単年度らしい。
貯金はできるかもしれないし、ああいった生き方も勿論ひとつの生き方だと思う。都会ではもう暮らせないという人もいた。
けれど、ああいう雇用形態では福利厚生も厳しいし、安定した仕事にはなかなかなれない。結婚して子供が産まれてその先どうするのか。実はスタッフの一人は結婚してまさに子供が生まれていたがはたして来年以降もずっと続けて行くのだろうか。

長期的に通年で雇用、という形は今ではきっとできないのだろう。
準レギュラー的な彼等を真の意味で食わせられる、と問うならば答えはNOなのではないだろうか。


通年でスタッフを雇おうとすると冬場に加工をして販売を、、というスタイルをとらないといけないらしい。しかし、その分の投資、人件費、安定して冬場も収穫、その部分でのリスク、といった部分をああいった寒冷地の有機農業でやるのはかなり厳しいという話をしていた。
あのあたりでは比較的大きな農園16haであるが、その体力である。他の農家でも基本的に通年雇用というのは難しいのであろう。

若者に就農を!というキャンペーンも出ているが、雇用先での安定保証がない実態(基本的に農家は零細なわけで、農業法人の力はまだ強くないはず)でこうしたキャンペーンを掲げてもまだまだ、”食える”世界にはなかなかならないのではないだろうか。






2012年10月16日火曜日

明治のあれそれ。


今日は一日東京駅丸の内駅舎復元記念講演会、なるものに行ってました。
北河大次郎さんや、藤森先生、小野田さん他、JRや三菱系関係者など色んな人が当時の状況を色々と話していてくれてなかなか面白いものも多かった。

印象的だったことを2点ほど。

①外堀。




とても印象的だったのは、上の画像のような、外堀がまだ埋まっていないころの東京駅の俯瞰図の写真。ネットじゃいいものがみつからなかったけど、東京駅は最初は八重洲口の方には操車場があって、そのすぐ裏手には外堀(がまだ水が流れていた)があったんだよね。
その水路の関係もあって、新橋もちょうど駅の真裏には水路が流れている、みたいな地図もまた印象的だった。

いや、外堀通りとか、鍛冶橋とか色々橋の名前があるから外堀だったことはわかるのだけど、こうして写真を改めてみるとしみじみと感じるわけ。

昔は旭川駅(駅の裏に創成川が)みたいに、駅と川と近いところだったんだなぁと。
大阪が最近水都大阪として色々動かしているけど、東京だって昔は本当に水都だったのに、もうその面影はあまりみられない。今回の駅舎復元はなかなか素敵だと思うけど、空中から写真を撮ると、特別容積率で巨大化した超高層達に囲まれているかのようなのよね。上から東京駅みれるってのもまた一興なのかもしれないけど。

チョンゲチョンのようにじゃあ外堀を全部またひっくり返して元の水に戻した方が良いのか、といわれるとそれも違う気がするのだけど、橋を渡るときに、すっと景色が開けて遠くが見れるあの感覚はもうちょっとあってもいいのかなぁ、とか思ったりするのです。

②高架のこと
ベルリンに行って、あー、すげぇ東京っぽいなぁと感じたのだけど、その直感は当たっていたらしい。明治のお雇い外国人で鉄道関係はドイツ人を呼んでいたらしく、高架橋もドイツのエンジニアがデザインしたそうだ。そもそも、ヨーロッパ都市であんな都市内にガンガン鉄道を高架で通してるのって基本的にベルリンくらいしか記憶がない。(メトロとかはパリでも6,2番線とかは通っている)

日本の鉄道、といえば新橋~横浜が初め。その後、上野から北に延びたり、品川から新宿経由で赤羽に延びたり、西に延びたり、とまぁ色々発展してく。
その当時から、日本の縦断するような鉄道として、上野と新橋をつなぐよていだったらしい。そして、中央停車場(=東京駅)は、東京の中央、というより日本の中央として中央停車場と位置付けられていたそうな。
研究室の見学会や、授業なので、国鉄にとって山手線の環状運転は夢だった(それまではのの字運転していた)という話は聞いていた。
だが、新橋~上野は市区改正の時からこれを建設するにあたっては高架でやるべし、という話だったのは全く知らなかった。
詳しくは↓とか
http://www.geocities.jp/a1115b/sub36.htm.htm

今まさに、東北縦貫線として神田で工事をやっているけど、その始まりは明治の時なのかと。当時はまさか新幹線なんて通すとは思ってなかっただろうけど、新幹線の上にさらに2重高架でこうやって工事してるなんて、往年のエンジニア達からみたらちょっと感激的なのかもしれないね。







2012年9月5日水曜日

農家日誌③


作業は早朝・午前・午後の3セットで合計10時間ある。(たまに9時間)

これが週6で1セット、がスタッフ。毎日スタッフやバイトに指示を出す雇い主は5~10月のシーズンずっとこれが続くのだ。。農家の人はほっとんどみんな腰をやられてしまうそうだ。本業じゃないので自分は申し訳ないが途中で辞めさせてもらったけれど、彼らはそうもいっていられない。


早朝が一番大変だ。収穫は時間との戦いなので3時間全く休憩がない。


農家の朝は早い。といっても自分のところは早すぎるわけではないので、5時から作業が始まる。早いところは2時からライト当てて作業するんだとか…

5時には実際に作業を始めるのと、車で畑まで行かなくてはいけないので10分前には動き始める。長靴をはいたり、レインコートを着たりなんだりで15分前には外に出なくてはいけない。

従って、4時半に起床。まだ外が少し薄暗い。4時半なんぞ、普段は起きれたものではなかったが、作業が終わると疲れて寝てしまい、すぐさま前にずれこんでいく。

悲しいかな、東京に戻った瞬間にその健康的生活リズムは無に帰した。


早朝は必ず収穫を行う。そのほとんどがレタスからだった。理由としては恐らく朝露とかがついていてしなびてない状態が良いのと、予冷の時間の関係だろう。

なんとなく、早朝に収穫した野菜はそのままその日中にすぐさまトラックで運ばれて市場に行き、そこで冷やされて後はスーパーまで、と思っていたのだが、野菜は出荷物によるが、いたみやすいものは基本的にまずは予冷庫で芯までしっかり冷やさなくてはいけないらしい。その方が結果として鮮度を保てるからだそう。
近所の農家数件共同出資をして予冷庫を持っていた。もちろん、JAに出すのであれば入れなくてもそのままJAに出荷すればJAの冷蔵庫に入れられるのだけど、ここは後述。

さて、レタス畑に行って、女子チームと雇い主がひたすらきって並べていくレタスをウォッシャーでまず汚れと茎からでる白い液を洗い流し、ケースや段ボールに詰めていくのだ。

多い時には段ボール100個分(なので、1200個は詰めていることになる)。急いで詰めて、段ボールを次々とトラクターに乗せていく。

レタスも出荷先によって色々規定があるのだ。
~さんには12個詰め。ここは11個。JAなら12~14で10kgになるように、などなど。

とにかく中腰になる。日にっては10kgの段ボールを詰めて運んでまた詰めてというのを1時間半ほど繰り返していく。


レタスが終わると今度はサニーレタス、或いはトウモロコシ、大根など。その日の注文や野菜の成長度合いによって決まるらしい。他の野菜は他の野菜で色々箱詰めまでの工程があるのだがここでは略。

作業はとりあえず8時まで続く。

8時になると朝食だ。

ここの農家は随分長いことバイトさんを雇って作業をしていることも会って、バイト用にコンテナハウスやアパートがあり、食堂もある。

食堂でバイトやスタッフ、家族と合計15人程度で一緒にご飯を食べる。
雇い主の奥さんは主に料理を担当する。毎食15人分。
レストランとかにあるようなコンロが3つ。

やんちゃな娘をあやしつつ、毎食あんなに沢山作らないといけない。農家の嫁は大変だ。

ご飯を食べて、10分~15分くらい休憩するとまぁだいたい9時10分前になってしまうので次なる作業へ向かう。

午前・午後は別の野菜の収穫だったり、草取りだったり苗を植えたりする。早朝ほどのペースではなくて、3時間、4時間の作業だがちょっと休憩が入るから。

昼休みは2時間あるが、大概疲れて昼寝をしてしまう。

18時の作業後は19時に飯を食って、洗濯して、シャワーを浴びたら(湯船はない…)、1時間もすれば疲れて10時には寝てしまう。

二日目の朝、さくっと起きれるじゃん、と思った矢先、太ももの裏のありえないほどの筋肉痛(痛くてストレッチ出来ないほど)と腰痛を覚えた。

すっと起きれない。屈むのもしんどい。こんなのずっと続けられるの??と思いながらも作業に向かうしかなかった…




農家日誌②

訪れた農家には若いスタッフが沢山いた。

自分みたいに短期(数週間~数カ月)でやっている人、それから以前働いて今回は準スタッフとして働いている人が数人。合計平均6、7人。

雇い主は父の仕事を譲り受けてまだ30ちょっとすぎ。勿論父も母も農業を続けている。

北軽井沢は標高が高い(1000mクラス)なので非常に涼しくて、夜は布団をかぶらないと寒くて起きるほど。夕方は気温が20度程度だっただろうか。

高原野菜としてレタス、キャベツ、白菜などを中心に20種類ほどの野菜を作っているようだった。

自分が関わった野菜は
レタス、キャベツ、白菜、大根、トウモロコシ、サニーレタス(ちょっと赤い奴ね)、セロリと言ったところ。

最初に到着した日はすでに昼だったので、その日は最後の午後の作業だけ参加した。
到着してすぐ、どうだい?やるかい?とお父さんに言われ、すぐさま返事をしたので勝手は何もわからない。

最初にやった作業は草取りだった。

中腰で一人畝を2列分担当しながらひたすらビニール(マルチという)の隙間や野菜の隙間からでてきた雑草を抜いていくのだ。これが3時間。

後から知ったことだが、有機農業(特別栽培と聞いた)なので、化学農薬は使えないため、まずはマルチというビニールで基本的に土が出ないようにしてビニールで覆い、そこに穴をあけて苗を植えることで雑草をつきにくくしているらしい。(保湿や畝が崩れないようにする効果もある)
とはいえ、除草剤をまいていないのでどこからともなく奴らはやってきて、恐ろしいスピードで成長する。
こうなると邪魔でしょうがないので大体1度か2度、雑草を抜かないといけない。
田んぼだといろんな機械が入っているし、草刈り機とかのほうが寧ろイメージしやすいせかいなのだが、現実は非常なり。
とにかくひたすらみんなでのろのろ歩きながら雑草をしらみつぶしに抜いていく。そうしないと野菜は綺麗に育たない。

現代有機農業は虫に食われても、形が崩れても、小さいものも全て受け入れられない。

そのことを知った(というか認知しなおした)のは最後の方だったが、とにかく草取りってのが一番大事な作業だよという話を聞いた自分はとりあえず一生懸命草を抜き続けた。

ご飯を食べて翌朝、無事に4時半に起きた自分は何だ意外といけるじゃん。

そう思った。甘かった。僕がこの時働いたのは一日のうちの一番楽な時間帯、それも、たった3時間にすぎなかった。



2012年9月3日月曜日

農家日誌①

本当はし明後日までの予定だったが、腰を痛めて切り上げてしまった。

合計16日間。短いようで長い、精神と時の部屋のような体験。

学生最後の夏休み、僕は農家で働いていた。

とても貴重な経験だったので例のごとく飽きない限りここにまとめていこうと思う。

そもそも、なんで農家に行こうと思ったか。きっかけはいくつかあった。小さな刺激が相対となって今回の行動につながったと思う。

1つは授業。地味なもんだが、土木を学ぶ自分が農業に触れることなんぞ原則ない。農学部は道路を挟んだ別のキャンパスにあるし、教養の時も積極的に授業を取ろうとは思わなかった。

とある国土に関連する授業のゲスト講師が農学部の先生で、日本の農業の厳しさ(なんとなくはわかっていたが)を聞いた。ブランド化に成功し、輸出も行っている果実や肉がある一方でごく平均的な野菜は苦しめられていること、かなり厳しいことを聞いた。

そのあとは何があったのかあまり思い出せないが、M1になって自主勉強会をやった時のある時のテーマは農業についてだった。当時きいた、ブランド化に成功したもの、そして、鮮度の関係で海外の安い野菜には負けないものはこの先きっと生き残るだろう。問題はそうじゃない中間のものだという話をしていた。(結果としてこの前提は覆ることになる)

大きな変り目になったのは研究室の調査で行った大分のある市だった。そこで棚田の調査をしていた自分、と研究室が見ている美しい棚田、と実際に暮らしている人達からみた作業が大変で本当は続けたいわけじゃない棚田という現実に出会った。棚田の風景は美しい。本当に綺麗でだからこそ自分の中で咀嚼しきれない姿がそこにあった。

このあたりから、農家を体験してみたいという思いが芽生えていた気がする。

本を色々読んでみたが政策側、消費者側からみた話が多くて体験的に農業がなんたるか、を理解が出来ないのだ。


そして、フランスに留学中の休みを使ってスペインはグラナダに行き、住み込みで働く代わりに食・住を提供してくれるマッチングサイトがあり、きっと日本にもそういうのがあるよ?と知り合ったフランス人に教えてもらう。(今回僕が使ったのはボラバイト、というところである。)

留学中にインターンをし、知識と実践の相互作用の大きさを改めて認識した自分は、フランスに帰る前から最後、時間が取れる時に農家で働こうという思いを決意していた。

日本に戻って再び一次産業関連の本を読んでいた。

農家だけでない。林業も、漁業も、生産者(つまり末端)はみな厳しい立場におかれ、加工業者、流通業者、小売に対して圧倒的弱者でいる。資源関連もそうだ。途上国で資源を輸出し開発をしてもらっている国に対しては正直しっくり納得ができないところがある。

根源である資源(野菜も、魚も、木も、金属も)の価値ってのはあまりに低いんじゃないか?加工・流通などあまりに力が強すぎやしないか?どうしてこんなに安く僕等の手に物が届くのか?

あーした方がいい、こうした方が良いといった様々な提案は大概が消費者や小売など、下流側の人間達による意見が多いが、これって僕等の押し付けなのではないか?実際そんなことしている余裕が生まれる世界なのだろうか?(6次産業化とか、観光農園とか)

僕等消費者が見ている風景の裏にある農家の生活のリアルを、都市計画という世界にこれからつかる僕は想像できるのだろうか?今わからないままだとあの時棚田で感じた疑問をずっと抱え続けながら仕事をしていくことになるのではないか?

そんないろんな想いが混じって、最終的に北軽井沢にあるとある農家に行くことが決まった。

2012年5月26日土曜日

music life. コンサートレビュー

昨日は、知人の姉がピアノを弾くというのに招待されて、生まれて初めてピアノデュオコンサートに行ってきました。

考えてみれば、プロのピアノを聞くこと自体が今回初めてだったのです。

しかも今日のコンサートは現代縛り。ライヒだって名前はしってるけどさ、程度。吉松隆はギターしかしらないし、という中行ってきました。
コンサート、素晴らしかった。いわゆる敬遠されがちな現代物なのに、すごいすっと入りこめました。

とてもとても素敵だったので、いくつか曲をご紹介。

まずはスティーブライヒのピアノフェイズ。ミニマル音楽の創始者ですよね。なんというか潜り込ませてくるのに、ある一線を越えるとピアノからひっぺがされるような、不思議な空間。

そのあとのソロがまた素晴らしかった。一目ぼれしてしまうカッコよさ。
fitkinのrelentという曲。頭から離れない。こういう、一度聞いた時にビビッと来る曲に出会えることってのは至福だと思う。


もうひと方が弾いていた、こちらは癒しの極地のような曲。
誕生日のロマンス、吉松隆
本人の音とすごいマッチしていた。優しい音だった。

同じく吉松のランダムバード変奏曲。架空の鳥ランダムバードについての曲らしい。
吉松は響きというかメロディの中に何かを見出そうとした人なのでしょうか。


アンコールは天使の死。


およそ、こんなのもう聞けないだろうというような攻めのプログラムに酔いしれる一日。

二人の音の質が全然違っていて(ピアノの差もあるのだろうけど)、一人は鋭く、低音でゾクっとさせるような力強い切れ味のよい日本刀みたいな音楽を、もう一人は、優しく母性と愛にあふれた丁寧な音を、と一見かみ合わなそうな二人の音が見事にマッチしていて、らいひのピアノフェイズの時は比較的同質だった二人の音が、ソロを挟んでもっと離れて行きながらも、奇妙なバランスでマッチし、ランダムバードとアンコールの天使の死で絶妙な塩梅に。


新しい音楽との出会いが沢山あって、興奮してなかなか眠れなかった。
ピアノと比べるとずっとギターにゾッコンだった自分としては、あぁなんと素敵な愛人を見つけてしまったことか。

自分で音楽の壁を作ることなく、新しい音楽に積極的に出向いていこうと感じさせてくれる日だった。
是非、コンサートがあれば足を運んでみてくださいな。

http://ameblo.jp/arasakinarumi-piano/entry-11212036831.html





2012年5月17日木曜日

そこはパリだった

突如前のボスと先輩に、今パリにいるから!という召集がかかり、神楽坂のオサレなお店に及ばれしてきた。

神楽坂のお店といえば基本的に自分では入れないお店ばかりなので、いつも遠巻きに路地を散歩だけして、いつか!と思っていたのだが、大学7年目にしてついに足を踏み入れることに。

お店のフランス人はもうみんな日本語がぺらっぺらだったんだけども、先輩に言われて注文をフランス語で取った後から、フランス人の対応がフランス風に。

いろんな事は日本語でいうんだけど、お勧めのワインは?っていったら

これ!と店で一番高い5ケタのワインを指差すわ、なにも開けてないボトルをいきなりだして、はいよっとかいうわ、お会計でこれはチップ代金ね!というわ、まぁなんともフランスらしい、あのどうでもいいウソを言ってくる感じに対応が変貌した。

会話は途中から日本語だったけど、明らかに接客はフランスのそれだった。

この人間臭い(うさんくさくもある)感じが、やはり惹かれるところなのだ。

大層おいしいワインとお肉とチーズを食し、そのうち自分も後輩を連れてこれるようになれば、とか思いながら神楽坂を後にする。

しかし、2年ぶりくらいに神楽坂にきたが、なんとまぁ魅力的な街なことよ。

地上に出た瞬間のあの明りと街路で既に再度惹き込まれている自分がいた。

また、遊びに来よう。 回遊研究しなくては。

2012年5月15日火曜日

地球が何回回った時

はい、それいつ言ったのー?
証拠はー?何時何分何曜日?地球が何回回った時?

という意味がわからない無茶な難癖をつけて、相手の言ったことを否定するという理不尽極まりない遊び? が子供のころ流行ったのをふと思い出した。

ので、友達に聞いたら隣の隣の県の友達も知っていた。

ありゃ、なんだったんだろうかとふと思う。

そういや、
お前、ほんとにそれ言えんのかー? 命かけられんの?

とか

人の言った事に被せて ハイ、ブー、ハイ、ブーというもう鬱陶しさの極みみたいなのもあった気がする。

そもそもなんでこれ系のどう考えても理不尽としか思えないセリフが流行ったのかもよくわからないのだが、

今考えると子供ってのは、他人に対して突然自分のルールを貸すのがなんて上手いのだろうとか感心してしまった。
外で遊んでる時だって、二人で話しながら突然ルールが次々と出来上がって相手を巻き込んでいくとかよくあった。

となると、子供のころはあんなにルール作りのプロであり、そのルールを簡単に覆す外交術を持っていたのに、どうしてオトナの世界になると海の向こうのやからどもにルールを作られ、それを簡単には覆せず、土台に乗ってから適応策を探りだすのが上手い人達になってしまうのか。

本来の日本の子供たち(世界中もそうなのかもしれんけど)が成長すると、 ルール作りが上手い西側の海の向こうのやからと、ルールを転覆させる暴走車の東の覇者みたいなのが減っちゃうのかなとか思っちゃうわけですよ。

今、これを書いた瞬間が1時21分であっても、それが何回地球が回った時かは、今までもこれからも答えられないままなのです。