2010年6月9日水曜日

資源について思うこと

あまりまとまってないけど、いったん書くことが大事と判断したので殴り書き。そのうちもっと整理がついたらrewriteしよう。


資源ナショナリズムが高まっていると資源戦略学の授業で受けたのだが、開発だけ許して、取った資源は全部輸出され、加工は全部他国にやられるっていう現状自体の方がむしろおかしかったのではないかと思う。
日本の昭和50年代の地図をみると、鉱山はほっとんどないのに精錬工場はめちゃめちゃ沢山ある。これで成り立ってたのだから不思議。
それで、今途上国が、精錬までは自分の国でやると言いだしてこれを囲い込みというのはなんかおかしいのではないか。

五月祭でボツワナの話を聞いた。ダイヤモンドがGDPの1/3を占めるそうだ。でも、多分鉱山開発の一部はどっかの商社に買われているのだろう。 だからもし将来的にもっと小出しにしようとか思ってもストローで吸われていくかのようにそこは吸い取られてしまう。伸び盛りの今、国の発展のために金が必 要なのはわかる。
けれど、もう少し資源の戦略的マネジメントを行った方がいいのではないか。ダイヤモンドのような希少製品をもっと自国でしっかり握って市場のコントロール権に近づくか握ってしまうくらいの勢いが必要なのではないだろうか。

オイルにしても、ダイヤにしても、結局先進国がさーっと入ってきて商社などが上手く出資して自国の分を確保し、市場のコントロールも握ってしま う。先進国の安定のための賢い方策なのだろうが、資源の重要性を考えると資源保有国の戦略性を使えばもっと先進国に対抗できる気がする。ていうか主導権を 握るべきなんじゃないかと思う。アフリカがよくもっと援助をとか言うけれど、資源分野において主導権を握れれば(ここが猛烈に難しいのだろうが)、もっと 長期的に発展できるし、援助援助言わなくても自立に近づけるし、国が腐らなければそれこそ貧困問題とかもっと解決できるのではないのだろうか。
開発経済の理念がしっかりとわかっていないからあまり良くは言えないのだけど、こういう搾取の構造変えた方がはるかに効果的なんでねーの?とか思ってしまう。

さてさて、日本は今まで鉱物資源を中国を筆頭に世界各国から輸入していたらしいが、中国が発展してきたこともあって、国内需要が高まった結果、日 本の鉱物需要過多になってしまったらしい。そんなわけで海外に新たな出資先を探したり(イランでレアメタル探したり)、投資をしたり、リサイクル技術で既 存の国内にある資源をなんとかやりくりしようとする方針を立てているそうな。
なるほど、まったく正しいやり方だとは思う。
日本に存在していないけどどうしても必要な資源があるのだから、最初から自分たちで見つけて金払って土地買って出資して日本の資源化するのはとて も大事だと思う。頑張れ商社。って思う。が、個人的にはそういう海外での投資をして日本の資源を確保するというやり方を応援しつつも、上記のように途上国 で資源保有国にはもっと主導権を握れるよう頑張ってもらいたい。
どっち応援してるんだって話だ。


とか色々思うのだけど

そもそも、そこまでして本当に資源は必要なのか?いや、資源は必要なのだが、そこまでの量の資源が必要なのかと感じてしまう。

与えられた資源を的確に再分配して効用を高める

のはいいんだけど、与えられた資源に対しての制限って概念は経済学にあるんだろーか?
石油がなくなるやべー。なんか別のエネルギーを!と考えているのをみるとそういう発想ってのはないように思える。
便利・合理性を求めるのはいいのだが、その歯止めみたいなのが一切見えないのが非常に怖い。
エスコンディーダだっけ?世界最大の銅山の画像はなかなかすごいインパクトだったのだが、地球の中何キロも掘り返して地球からその資源が消えるような勢いを持ってまで資源を使わないといけないのだろうか。
レアメタルとかも車やら携帯やら必要不可欠なのはわかる。わかるのだが、資源がある限りひたすら生産するという流れにはあまり納得ができない。

自然に変に手を出すと痛い目に合うっていうのはなんとなく肌で感じだして頑張って世界でブレーキかけようとしてるけど、資源だって似たようなもんなんじゃないのだろうか。


ていうか、ここまでして便利さと合理性を突き詰めて得られるものって何なんだ?


とか資源のことを考えると必然的に”農”にも関心が出てくる最近。
後、経済はやっぱ避けられない。新自由主義には結構懐疑的なので(景観なんぞその被害を見事に食らってるし、もっと別の価値が色々あるだろうと思う)マクロとか経済史は勉強しないとなーんも言えないのだよなぁ。