2010年10月24日日曜日

すっかり寒くなってしまったパリ。今日は空模様があまりよろしくない。

スーパーに食材を買いに行っている途中に夕立に降られてしまった。

買い物をして、外で雨宿り。

雨宿りなんてしたのは久しぶり。

わずか5分程度だったような気がする。

ちょうどクラシックギターの曲を聴いていた。

吉松隆の空色テンソルだっけ。雨によく映える。

あまりに寒くて今日はじめてきたPコートに手を突っ込むと固い紙が入っていた。

とりだしてみると快速三重の回数券の領収書が入っていた。

インターで卒業旅行いったのももう半年も前の出来事。

そのうち雨が弱まってきたので少し濡れながら家路に着いた。

2010年10月20日水曜日

First Impression

なかなか書く時間ができなかったけど、こればかりはどうしても書かないといけないし、もう少ししたら忘れて行ってしまう気がしたのでなんとか今書きとどめようと思う。

パリに初めて来た時に何を感じたか。


初めてパリに行ったのは確か9月2日だったと思う。

学科の同期のH瀬と二人でパリにでた。H瀬はヨーロッパデビュー。自分もパリをまともに見るのは2004年以来だから実に6年ぶりだった。

街並みを見て感動するH瀬。

これまでヨーロッパは一通りぐるっと回ってきた。総計150日くらいいたはずだから、100都市位はみてるはず。だから、街に対してものすごい感動っていうのはなかったけれど、

この街はそういう印象を与えられる街なんだなと思ったのが最初だった。


Chateletから少し南に下って、セーヌ川沿いへ。

途中少し迷いながらオープンカフェを見て、

悔しいけど、きまっていると思った。

彼らの振る舞いはごく自然であって、誇張する雰囲気は何もない。
それが逆にカッコいい。洗練された雰囲気を醸し出している。
”当たり前&さりげない”その感じ。

さりげなさといえば、例えば屋根を少し壁面後退させて傾斜をつけて小窓をつける、とか、窓際に花を飾るとか、ちょっと柵にデザイン的工夫を凝らすとか、そういったさりげなさが随所にみられる。そして、これらのさりげなさが総体としてものすごい効いている気がする。
あれがなかったらイメージは全然違ったと思う。パリの郊外の新興住宅にはそれが感じられないから巴里っぽさはほとんど感じない。

これは実感としても感じたし、パリを建築家が語るDVDでも行っていたし、建築家の知り合いの方も仰っていた。


実際にはそのさりげない工夫と、ごく何気なく醸し出すあのカフェの雰囲気や市民の生活が日本人や世界各国の観光客を呼びつけるひとつの要因となっているんだろう。



さて、悔しいけど、と書いたように自分は正直な話パリという街はそこまで大好きではない。

初めてフランスに来た時はLa Rochelleという大西洋沿いの小さな港町(日本で言うと岡山的なポジション)にいたし、その後フランス国内をまわったけれど、フランスの地方都市に魅了されていたので、パリの雰囲気はそこまで魅了するものではなかった。

それでも、改めてパリを歩いてみると、すごい街だと思わざるを得なかった。

セーヌ川沿いの建物を見て、普通の建物がこれだけ迫力持っているのはすごい、というH瀬の話を聞いて、この建物達がわりとオースマン時代に構築されたことを思い出す。


オースマン、もといナポレオン3世の時代なのだから1850年とか1900年の話なんだ。
パリはオースマン計画で大きく変わった。当時の家は壊され5階建てや4階建ての中庭式の住居が作られ、軸線が強調され…。

だから、今パリでごく当たり前に目にする”かっこいい街並み”と称されるものはまだ100歳ちょっとなのだ。

知っていたようで気付いてはいなかったこの感じ。たった100年を経ればこの雰囲気と風格はだせるのだと。イタリアの街や古都と言われるような場所はそれ こそ10世紀とか15世紀とか本当に昔の世界が今も残っているけど、パリは、要所要所は確かに古いけど全体としては新しい街なんだろうと思う。

日本は確かに惜しいことをしたし、関東は2回も焼け野原になっているということはあるけど、それでも戦後から50年以上を経ている。
あの時、あの時もう少し頑張っていれば(勿論、当時の成長と当時の復興計画がいかに大変だったかというのは話を聞いているだけでも凄いものだと思うけど)東京だって、東洋を代表する素敵な都市になったんじゃないかと。
そして、今からでも100年先のことを考えてそれに耐えられるものを作っていけば…。まぁ、創造の話だけれど。

少し話がその後の考えとも混じっているような気がするが、そんなことをちょこっと話ながらオルセー美術館に向かう。

オルセー美術館は最も好きな美術館のひとつ。スケールも好きだし、作品も大好き。
そして、あの美術館それ自体がかっこいい。
地獄の門がある入口の向かい側の3階?から当時の駅舎の姿を覗くことができるのだが、これがまた見事なのだ。誇りと自信を持ってこれはうちの財産だと言えるような駅舎だと思う。
形状としては普通のアーチなのだけど、見ていて飽きることない風格がある。
美術館に転用したって、何一つ作品に負けないどころか作品を凌駕する雰囲気を持っている。

要所要所にあるこうした資源達は魅力的。
セーヌ川沿いをずっと歩くだけでこうした存在(エッフェル塔があり、グランパレ、プティパレがあり、オルセーが、ルーブルが、ノートルダムが…etc)が所々存在する。


なんて思いをいだきつつ、2人でパリ観光を楽しんだのであった。

小さな工夫とさりげなさを持つまだ若い建物と、そして要所要所に点在するシンボリックかつ歴史的な資源達。そこに現代的な建物や文化、人間の活動が重なっていく。
構成するものとしてはごく単純だけれど、非常に重層的。作られた時間は短いけれど密に何重にも重なっているんだろうと思う。
そして、きっとあの街としてのスケールも影響しているのだろう。実際にパリを観光する人達は13~20区はそんなに見ていないはず。ごく小さなあのセーヌ 川沿いの歩けるスケールに重層的に固まる存在がより強固な”パリ”を作っているのだろう。(東京だって魅力的な街は沢山あるけどいかんせんその散布密度は 低い気がする)


あぁ、そうするとここまで人を惹き寄せる街ができあがるのかと。

そんな思いを抱いたのがパリ初期の印象。

これでもすこし書くのが遅れてしまって途中考えたことが色々と紛れ込んでいるけれど。

これからパリをもっとしらみつぶしに歩いてその印象が1年半後にどう変わっていくんだろうか。或いは変わらずにより確信を抱いて行くのだろうか。

2010年10月17日日曜日

Bruxelles

先週末の日曜は日帰りブリュッセル。
日本から遊びに来た武蔵サッカー部メンバーで旅してきた。

細かい旅は下に書いておくけど今日は日帰り。
パリとブリュッセルの間はタリスという高速鉄道が走っている。赤い特急。1時間20分なので、名古屋に新幹線で行くようなものなのかな。
行きのチケットは44ユーロの2等、帰りは69ユーロの一等だった。帰りは買うのが前日夜だったので、てっきり2等だと思ってたのだけどどうやら2等が満席で一等になっていたらしい。

まぁ、相場的にもそんなもんだし、しょうがないよねってことで納得していた。

無事ブリュッセルついて存分に観光(ルネマグリット美術館素晴らしかったし、ミサもちょっと聞いたし)。その代わり、夜はレストランで食べるには時間がちょっと足りないので旅のお供 ギロス(ほぼケバブ。ケバブギリシャ風)を頼んで、ポテト&マヨネーズ(ベルギースタイル)を食べてお腹パンパンに。

後はタリスでベルギービール飲みながら帰るだけっしょ!とスーパーでベルギービール買って満足してタリスへ…


そう、ここで事件は起こった。

いや、一等席なので広い広い。やべー、これは寝れるな!とか言いながら金の清算をして、さー、ビール飲んで乾杯するか!って時に

ふと後ろを見ると…。

おばちゃんが車内食をもらっとる。

…?

あれ?これ何?あの人予約したの?

と動揺する4人。(みんなヨーロッパが初めてではないです)

一等車だからって車内食つくってことはないっしょ?(全員ヨーロッパは今回が2度目以上)

机の上にはお菓子とビールが7,8本。荒れ放題もいいところ。

自分達の番になって思わず聞いてしまった。

”これ、オプションでお金払わないといけないんですか?それともサービスに含まれているんですか?”って…(個人的にタリス乗るのはこれが3回目)

そしたら、”あ、えぇ。一等席ですから…”

と返されてしまった。まじ恥ずかしい。一等車とか慣れてないのがあまりにばればれすぎる。(TGVの一等席でこんなサービス受けたことない。)

しかも質問したのは俺だけなうえふら語で質問したから恥ずかしさを共有できる人がいない。 (ちなみに通路向かいは日本人夫婦だったのでそこにはばれなかったのか…?)

しかも、とりあえずもらえるなら…ということで全員車内食を注文。

なんて悲しいサガ。

みんなお腹いっぱいなので、ここまでいくと拷問や。。。とか思いながらひぃひぃいいながら食べた。

2つくらい頼んで分ければいいのに。日本ってそういう文化やん?という発想は誰もが食べ始めるまで思わなかった…。

80分のタリス。

なんとか一通り食べ終わった時には既に50分が経過していたとさ。


あまりに食べるのに疲れたうえ度数の高いベルギービールで完全によってみんな死にそうになってた(笑)


夜のタリスの一等車に乗る時には気をつけましょう。普通に夕食代浮くし、車内食なんておしゃれな体験が味わえます。




おまけ。



旅日記

4年ぶりのブリュッセルは、やっぱり楽しかった。街はきれいだし、市庁舎はカッコいい。あんな市庁舎で働けるって誇りだなぁと思う。パリ市庁舎もめちゃくちゃカッコいいけど。

小さな街だと改めて歩いて実感したが、風格のある街。



大広場を見、残念な小便小僧を見、お昼を食べようとふらふら歩いきつつ、どこの店が信用できるかなーと物色していたら見覚えのあるお店。


あ、、、

ここ、多分あっちゃんが4年前連れて行ってくれたお店だ!

というわけで4年ぶりにLeonに行ってきた。確かここだよね?このT字路のとこで小便少女見てげんなりした後いったんだよね??

昼間からベルギービールをたしなみ、かきやらムールフリットを食べ、小便少女みてげんなりした後、王宮やら大聖堂へ。

ここは4年前は行かなかった気がするんだけど、随分とステンドグラスが奇麗なところだった。

あれはガラスに直接絵を描いているのかな。決めが余りに細かすぎる。


その後は王宮経由で美術館へ。

時間がないのとメンバーの半分は興味なかったので、1時間後に集合という形で、たろーと二人で去年できたルネマグリット美術館へ。

学生は2ユーロで済むのだが、ここがまた素晴らしかった。

細かいフランス語やドイツ語を見る時間はなかったのでかなりすっ飛ばしていたが、作品と自伝みたいのとをうまく組み合わせていたし、なによりマグリッドの作品が素晴らしかった。

名前は知ってたけど、こんな面白い作品作ってる人なのかと。シュールレアリズムの代表格のダリよりもこっちの方が自分はずっと好き。

ああ、こんなアイデアあるんだなぁと感心しっぱなしだった。

ベルギー王立美術館もめちゃくちゃでかいし(昔は3時間後に集合!とかやったたけど全然見きれなかった)、美術館クオリティ高い。

帰りがけにミサをちょこっと覗かせてもらって、パイプオルガンの響きを少しだけ味わってケバブを食ってタリスに乗るのでした…。

美術館付近からの風景。ブリュッセルは色んな時代が積層してる感じが判っておもしろい。


めちゃくちゃかっこいい市庁舎。こんなところで働けたら公務員としての誇りもさぞかしあるんだろうなぁと思う 

2010年10月3日日曜日

La Crise MIRIN.

わざわざ遠出して日本食品店にいって

みりん
ぽんず
料理酒
味噌
焼き肉のたれ
胡麻ドレッシング

を購入した。

岩田の分の胡麻ドレと料理酒もあったので

重い思いをして部屋に帰って

ふと裏を見ると…


胡麻ドレッシング

賞味期限
10月24日

!!!!!!!!!!!!

おいおい、使いきれるわけねーだろ!


まさか。。。



不安になって他のも見てみることにした。

すると。。


焼き肉のたれ

11月4日…


料理酒
12月10日

無理でしょ。

ポン酢が2012年、味噌が来年2月っての以外無理。無茶。


極めつけ


みりんの賞味期限






10月4日


\(゜ロ\)(/ロ゜)/


04.10.2010


(゜-゜)


orz

明後日じゃねーか!!!!!

どこのどいつが2日でみりん500ml消費できるんだ。


この前近くのスーパーで手に取った鶏肉は賞味期限すでに1日過ぎてたから、食品は結構賞味期限を見るようにしてたけど…だって日本人経営の店だし。うぅ。

日本食品店だからって安心した俺がバカだったのか…

調味料の賞味期限は流石に確認しないって…(味噌だけ見たけど)


うん、だめだ。フランスはあてにならん。


というわけでお店に電話。

フランス人は賞味期限の概念とかなんか日本とずれてそうなので説明するだけ無駄と判断し、即座に電話して即座に日本語喋れる人に代わってもらう。


流石そこは日本人のサービス精神は持ってるらしく、とりあえず来週以降在庫確認含めて対応してもらえるみたいだけど、またあの店まで行くのだるいんだよなぁ…。12番線の南の方だし。日本人だしこっちまで無料配送してくれないかなー。

パリ往復するだけで新しい焼き肉のたれ買えるんですけどー。

ちなみに日本食の値段はこんな感じになってます。

エバラ 焼肉のたれ 黄金の味 中辛 210G 5.79 €
タカラ 本みりん 600ML 6.20 €
ミツカン 米酢 500ML 4.50 €
ミツカン すし酢 500ML 4.88 €
ブルドック とんかつソース 300ML 3.40 €
ect


つづく。

2010年10月1日金曜日

河川港

日本にいると、港=海という考えがどうしても着いてしまうらしい。

日本の河川で物資運搬とかが盛んだったのってかなり昔の話。

江戸時代とかは江戸は水路の街として栄えたし、利根川とか交易上利用されていた(よね、確か)。
京都の琵琶湖疏水が誕生したのも、もともとは遷都して衰退が予測される京都が活気を失わないように、琵琶湖から疏水引いて日本海側で当時盛んだった交易を京都まで延伸するのが目的の一つだった。
まぁ、それでも20世紀のお話。

今の河川は木材運んだり、一部の物資は運んだりするけど日本の戦略上重要な河川港ってのはないはず。

そんな前提で、ストラスブールの河川港を見に行った時は、いかに重要性を説明されても、いや、だって河川港がそんな大事って言われてもなぁ。なんでここをこんなじっくり見て回るんだろうとフランス語の理解力のなさも手伝って、いまいち理解ができなかった。



パリに戻ってきて、後でネットで検索してたら、それが違うということがよくわかった。

陸続きのヨーロッパ、そして日本みたいに急峻な河川じゃない川ってのは交易上今も非常に重要な存在なんだね。
スペインは交易に使える河川があまりないらしいけど、国家間をまたぐ上、内陸国のドイツとかにとっては河川ってのは大量輸送を最もしやすい極めて重要な手段だということに気付かされた。

考えてみれば、当たり前なのかもしれないのだけど、勝手な前提が働いていてなかなか気付けなかった。

パリも同じ。フランス最大の都市でありながら完全なる内陸都市なので、物資の運送はかのセーヌ川に頼ることになる。

パリの北西をちょっと行った先にあるporte de clichyを抜けていくと、巨大なコンテナ置き場とクレーン、東京湾でみかけるようなあんな風景が広がっていた。
『あぁ、セーヌ川ってあのおしゃれな街のおしゃれな川ね』っていうイメージのかけらはそこにはなく、インフラの生々しさと力強さが広がっている。

ここから川を下ってle Havreに物資を運びイタリヤやポルトガル、イギリスなど様々な国に輸出入を行うそうだ。
パリ港、ルーアブルはセーヌ川で結ばれた非常に大事な関係にある。



実際、現在のグランパリ計画ではセーヌ川を一つの国土計画の軸として、パリ、ルアーブルだけでなく河川上のライン(にあるルーアン、カンなども)を発展させていくらしい。

フランスの思想家ジャック・アタリもセーヌ川は今後100年のパリを考えるにあたって中核をなす存在になるといった内容の本を出版しているらしい。


日本にいたら気付かされることはなかったであろう河川港の重要性。




日本にこういう関係性って今もあるのかな?宗教上の行事として、木曽川上流の木を切って流して下流まで運んで伊勢神宮の遷宮に使うって意味では非常に重要だけど、交易上ってのはあまり見かけられない気がする。

そういえば、夏学期にI田さんが港湾の戦略についての授業をまちづくり大学院で一回講義してたんだけど、こういうコンテナ港って、ちょっとmoche(汚い)のはあるけど、やっぱり迫力とエネルギーに溢れてるんだよね。

自分が土木の学生なのもあるけど、やっぱり見ていて面白いし、日本じゃ考えられないけどコンテナクレーンの真下でヘルメットもつけずにコンテナを釣り上げるシーンを見ているとおおおおおぉってなるよねやっぱ。


それだけに、こういう巨大インフラ施設を隠さずにまちづくりに活かすことを考えないといけない。既存の考え方にはない港湾のあり方を考えることが必要だという髭先生の言うことにはなるほどと思わされる。
横浜も今見えるのはかつての港湾のあとの港未来であって、現在の港にはスポットは当てられていない。
安全上の問題や運用の問題を考えると迂闊に見学っていう手は使えないけど、軍艦島の人気やD滑走路の見学ツアーの人気なんかを考えているとまだまだ可能性は色々ありそう。