2012年1月29日日曜日

パリの公園、日本の公園

パリの公園といって思い浮かぶもの・・

リュクサンブール、トゥイルリー(ルーブルの前の奴)、ラヴィレット、モンスリ、モンソー、ビュットショーモン etc

フランス人(いや、ラテン人?)は太陽の下にいるのが大好きなので、春や夏になれば大勢の人が公園へピクニックにでかけたり、散歩したりする。冬場でもオープンカフェが人気なのは、気候と気質によるものではないかと思う。日本にまんま適用するのはつらい。

とはいえ、こうしたフランスの公園は24時間空いているものがすごい少ない。

多くの公園は綺麗だけど巨大な鉄柵がついていて、夜には締め出されてしまう。

リュクサンブール公園なんて、けたたましい笛の音で終わりを告げられるそうだ(追い出されたことはないのでよく知らない)。

フランスの公園は大きく分けて、オースマン時代に新しく整備されるようになったものと王宮の庭園を一般に開放したもの(リュクサンブールやトゥイルリーなど)の2つがある。
モンスリ、モンソー、ビュットショーモンはオースマン時代に端を発する。ブーローニュ&ヴァンセンヌの森も荒れていた状態だったのが、この時代に再整備された。シャンゼリーゼも同様である。


イギリスの公園に感銘を受けていたオースマンは

ナポレオン三世に向けて

De ne manquer aucune occasion de ménager, dans tous les arrondissements de Paris, l'emplacement du plus grand nombre possible de squares, afin de pouvoir offrir avec largesse chez nous, comme on le faisait à Londres, des lieux de délasssement et de récréation à toutes les familles, à tous les enfants, riches ou pauvres

と伝えている。
ざっくり訳すなら、ロンドンの公園がそうであるように、憩いの場を家族、子供、貧困問わず全ての人に提供するために、この期を活かして出来る限りの緑をパリのすべての区域に作るべき、といった事を伝えている。

そのようなアイデアがあったにも関わらず、巨大な鉄柵があり、門は夜になると固く閉ざされ基本的には入ることは許されない。それ以前の公園が、非常に限られた貴族にしか解放されていなかったので、それを一般市民にも開放するという思いがあったのに、どうして柵が無いといけなかったのか。治安のことは勿論あるのだろうが、ちょっと不思議なものである。明りの関係とかもあったのだろうか。
オースマンの時から150年は経っているのにそれでも柵は取り払われない。
パリジャンはこれについてどう思ってるんだろうか?

そう感じてしまうのは、日本の公園に慣れているからなのかもしれない。
有料の公園や代々木公園などを覗けば24時間空いている場所も多い。上野公園など良い例であるし、小さな公園なんて殆ど柵など存在していない。

日本で最初の近代的公園である日比谷公園は門はあるものの、大半の柵は簡単に乗り越えられる非常に形式上の柵である。(初期から柵があの形状だったかについてはちょいちょい論文を読んでみたが記載されていなかったし、図面からではよくわからなかった)
最初の公園が柵がないというところから日本の公園の多くは柵がないのだろうか。その最初の公園に柵がないのはなぜか?

自分の記憶だと、日比谷公園は本多静六がNYのセントラルパークを模倣したと調べたはずなのだが、どうも今検索しているとドイツのコーニッツの公園を模倣したという言及が多い。ドイツの公園はよくわかっていないので、一体なににより公園がこのようになったのかはよくわからないけど、こんな所に国の差が出てくるのは非常に面白い。

治安、都市の発展の歴史、災害対策などが恐らく原因なんだろうと推測するけど、まだ詳しいことは自分にはよくわからない。
城壁が非常に重要な位置を占めていたフランスでは囲いを持つのが当たり前だった一方で、日本の城下町のようにきちっと街を閉ざさないという意識が公園の設計にもしみだしてきたのだろうか。

さらに言えば、公共空間としては素敵な一方で、夜閉ざされてしまうパリの公園は、公園としては普通でも24時間空いている日本のそれより優れているのだろうか?
公園は公共のものであり、いつでもだれでも皆が過ごしやすいように使えるべき、だなんてなんとなく思っていたけど、夜は固くその公共性を閉ざしてしまうパリの美しい公園を見ているとパブリックとは何ぞや、と考えさせられるのだ。

2012年1月18日水曜日

エッフェル塔

たまたま図書館でエッフェル塔の本を見つけたのでパラパラと読んでいた。

エッフェル塔はいつも下から眺めるばかりで、先月ついにきちっと登ったのだけど、その際にあの巨大な塔が僅か2年半(29か月)ばかりで完成したことに衝撃を受け、構造デザインのカッコよさに改めて感服したばかり。

かのモーパッサンがエッフェル塔のレストランで食事をするのが好きだ。ここならエッフェル塔を見ないですむから、と言ったのは有名だが、エッフェル塔はなかなかどーしてカッコイイと思う。当時の批判の一部はあまりに技術偏重だったから、というのもあるらしい。建築家のデザインや装飾をくわえて今の形になったらしいが、元々形状は水平方向からの風の応力にどうこたえるか、というところから基本的な構造が決定された模様。

詳細図面は3600枚に及ぶのだとか。

そんなエッフェルがアーティスト達連合から出された非難に対して答えた文がとてもカッコ良かったので記録のためにここに記載。

"Parce que nous sommes les ingénieurs, croit-on donc que la beauté ne nous préoccupe pas dans nos constructions et qu'en même temps que nous faisons solide et durable, nous ne nous efforçons pas de faire élégant? Est-ce que les variables fonctions de la force ne sont pas toujours conformes aux conditions secrètes de l'harmonie?"
我々が技師(エンジニア)であり、我々の建築が美しさと無縁であると思い、我々が丈夫で長持ちするものを建てると同時にエレガントなものを建てようと願っていることを信じないというのか?力学の持つ必然性(変数関数)は常にハーモニーを奏でる秘薬ではなかったか?

とのこと。構造デザインここに極めりって感じ。

とはいえ、エッフェルさんが元々化学専攻であり、かつエッフェル塔のデザインは彼の会社の部下2人が行ったことはここではあまり語らないことにしておく。

アメリカの自由の女神の鉄骨構造や、ガラピ橋を作り、エッフェル塔が20年契約の後に壊されないよう空気力学の研究をしたり、ラジオ(無線)の研究(ラジオ電波基地になってエッフェル塔は解体を免れた)をした彼はやはりすごいと思うから。

2012年1月2日月曜日

謹賀新年

新年明けましておめでとうございます。

今年は、生まれて初めて一年まるまる海外で過ごすという自分にとってはちょっと不思議な年だったけど充実していてとても楽しい年でした。

こっちで一年を乗り切ったパリの同志達、わざわざ遠くパリまで遊びに来てくれた数多くの友達の皆には特に感謝しています。さらには日本にいる多く の友達にも、帰国すればまた会えるという安心感があったおかげで一年間全く孤独に悩まされることも、ホームシックになることもなくこっちの生活に集中する ことができました。

本当にありがとうございます。

幸いにも今のところは、留学がもたらすプラスの経験の方が、日本にいたら得られるであろう経験よりも大きなものになっていると感じられているので、このまま残りの生活も邁進していこうと思っています。

特に、未曾有の震災を全く体験しないまま、こっちで多少は客観的にならざるを得ない状態で2011年を過ごしたことは個人的体験としても、将来の 専門としても、良くも悪くも自分には大きく影響してきそうですが、何かしらの形でこの経験をうまく日本に還元できればとは思っています。

この一年数カ月のフランス滞在のうちにすっかりこっちにも愛着が湧いてしまい正直今はまだ帰りたくないという思いばかりなのですが、もう2カ月もしたら日本に戻ります。

いい加減長くやってきた学生生活にもピリオドを打たないといけない。
日本に戻ったら今度は日本組の皆と色々な話をできるのを楽しみにしています。
その際にお前、パリで一体何してたんだ?と言われないように残りもう少し頑張ろうと思うので今年もどうぞよろしく。

パリに遊びに来る際はまた連絡くださいな。

賀正