2011年1月30日日曜日

書評 東京の副知事になってみたら

最近、猪瀬さんが気になっていたので、友達に頼んで東京の副知事になってみたらを買ってきてもらい、昨日今日で一気に読んだ。

なるほど、確かにこれは面白い。


東京の副知事になってみてのエッセイ本だと思っていたのだが、
東京都、という媒体を通してみた日本の国家成長のキーワードをあげている本であると思う。
そして、そのキーワードの多くはインフラである。

土木界のスーパーエリート(笑)としては、一般大衆向けにインフラ技術をうまいこと説明してくれているありがたい本は紹介しなくてはと思い立った。基本的に 黒子であることにカッコよさが見える業界だけど、それが故にみんなあまりに関心がない。それが当たり前と思ってしまうから。

まだ他の本は読んでいないけど、元々日本についての事をずっと調べている人だし、ツイッタ―とかみてても日本の水道技術とかに随分関心持ってる人だなとは思っていたけど、本を開いたら予想以上にインフラが鍵を握る内容だった。


空港戦略、港湾戦略、エコ、高齢者住宅サービス、医療補助、水道技術移転など、これまでの問題や今後の展望を、都庁でのエピソードを交えながら簡潔にまとめている。非常に読みやすい。つーか、2,3時間あれば読めるんじゃないだろうか。
出版されたのが今年夏ごろというのもあって、港湾戦略、空港戦略などは本当に最近うちだされた京浜港の一体戦略や、羽田成田国際化戦略などホットなトピックが載っている。水ビジネスにしてもそう。


その意味では、インフラのことを余り良く知らない人には是非読んでもらい一冊。へぇ、なるほど。知らなかったという点が結構あるんじゃないかと思う。
あ る程度インフラを学んで知ってる人には色々まとめ直しになるかもだけど、読みやすいし、作家の言葉なので、ちょっともやっとしているところを、そうそうこ れが言いたかったとすっきりさせてくれる。それに、医療制度とか地下鉄の歴史とか知らないこともまとめてあるし、個人的にはためになった。


手軽に読める一冊なので、暇つぶしにでも是非読んでもらいたい一冊。



追記。この本読んで、ドイツの太陽光買い取りシステムが最近上手くいかないことを知ってほっとした。エネルギーの授業でやたらドイツの買い取りシステムは すごいすごいみたいなことを語ってる人がいたが、やっぱり無茶があった。盲目的にドイツが優れてるのに日本はうんたらみたいなのだったから、当時から信用 はしていなかったけど。

2011年1月24日月曜日

合法?

国家主導でウイルス作ってサイバーテロを起こすのは合法なのか?
これはイランだから、という理解のできない建前でやってるんだろうか?
真相がどうなのかわからないが、もしそうだとしたら理解に苦しむ事態だな…

【イスタンブール=久保健一】イランの核施設を標的とした「スタックスネット」と呼ばれるコンピューターウイルスが、イラン核開発計画の中核である中部ナタンツのウラン濃縮施設に深刻な影響を与えた可能性が強まっている。
 イランの核開発が遅れることで、イスタンブールで21日から始まった核協議でも欧米は有利な立場から交渉に臨める。
米紙ニューヨーク・タイムズによると、ウイルスは米国とイスラエルが共同で開発した。ウイルスは、遠心分離器を制御するコンピューターソフトを誤 作動させ、機器を異常に高速回転させて破壊する。一方で、正常な動作を示す偽装データを送るため、異常が発覚せず、緊急停止などの防護措置を取れない。
(2011年1月22日10時03分  読売新聞)

2011年1月21日金曜日

アラブ学のススメ4

とりあえず、一連のアラブ学のススメシリーズも今回で終わりです。


最後は、僕なりに感じた各国の魅力をちょこちょこ紹介しようかなと。


①レバノン
レバノンは中東のパリと言われるらしい。この国にいる間はずっと現地の友達が案内してくれたので地元の人との交流は彼らの家族とくらいしかなかったし、街中も歩き回ったりしたのは一部に限られるので、印象が限定されるのはあるけど、地中海沿いらしく、綺麗な海がいつも見える素敵なところ。


ベイルートは内戦の後を一刻も早く消したい(当たり前だ)思いもあって、今は非常に綺麗な街だ。


中心街には最新の綺麗なショッピングモールが広がり、中央広場もとても華やか。スークもアラブアラブしていないし、落ち着いている。街の人はみなアラビア語意外に英語かフランス語が最低限話せる。アラブの雰囲気を感じられるし言葉も通じる。
多分、ヨーロッパの雰囲気を最も持っている国なので、色々と馴染みやすい。 
そして、アラビア料理はレバノンから始まった。だから、食もおいしい。
まぁ、僕はそれで見事に食あたりになってバールベックに行けなかったわけだけど、それは食べ物がうまいから普通に食ってただけで、たまたま運悪く何かに当たっただけだろう。飯は独特な香りとかあるけど普通にうまい。

歴史も抜群である。アルファベット始まりました☆みたいな国なので古代ローマ時代の列柱とか平気で沢山ある。イタリアで色々とローマ時代の遺跡もみたが、こっちの方が色々綺麗に残ってるような気がする。



その上、山ではスキーもできるので、海で泳いで、車で1時間も上に上がればスキーもできてしまうらしい。この観光資源がレバノンの魅力であろう。
ただ、個人的に、この国が面白いのは、海岸線沿いに都市が発展しているのにそこには平野部がないとこなんではないかと思う。普通は、海があって、平地がちょっとあって、そして山が奥にある、或いはずっと平野とかだと思うんだ。日本は割と急峻で、すぐ山があるって言ってたけどそれでも小さな平地があるところが多い。けど、この国はそれが本当に猫の額くらいしかない。

だから、海岸線と、その先には山の傾斜と山の中腹にまで広がる家々が見えるのだ。これは、初めて見る経験だった。
そう、そしてこの構造が何をもたらすかと言うと…




これである。
そう、レバノンは夜景がものすごく綺麗な街だ。星空みたいに明かりが広がっていて、それが山の中腹まで広がっている。


ただ、この夜景を作りだす大きな原因がある。それが交通渋滞である。


この国には公共交通がない。信じられないかもしれないが、国の動脈は海岸線沿いを走る高速道路と、その横に併設される海岸通りであり、電車は通っていないのだ。かつては通っていたという話もあったが、すたれてしまって今はない。
そうなると、移動手段は当然車になる。だから、朝と夜、通勤時に合わせて恐ろしいまでの交通渋滞がベイルート付近で起こる。これはもう20年も続いている現象らしい。
道路を増やせばいいではないか。これも当然考えるのだが、先に行った通りこの国には平野部が殆どない。だからもう場所がないのだ。そんなものを通す。これ以上道路を作ろうとすると恐らく沿線部の店が無くなって街が成り立たなくなる。かといって山道を通すとものすごい遠回りになるからきっと成り立たない。
もうひとつ。こんな夜景の綺麗な国なのだが、その電気は24時間国から供給されるわけではない。彼等には定常的な電気供給がない。だから、一日12時間しか電気がもらえない。その後は地域ごとのジェネレーターで回している。
信じられるか?そんなこと。電気なんて通って当たり前の自分からしてみたらこれは本当に衝撃だった。突然電気がふっと消えて一分くらい切り替えに時間がかかるのだから…。
そんなわけで土木・都市計画的にも非常に興味深い国である。

もうひとつ、この国を語る上でイスラエルは不可欠なのだが、それはアラブ学の”ススメ”ではないので今回は割愛。

②シリア
シリアはアラブアラブ―な国である。


アラブが基礎のアラビア数字なのに、なんとアラビア文字だとその字形は全く異なる。だから最初は数字も読めない。アラビア語は当然話せない。

でも、シリア人は英語もフランス語も喋れない。Oh my god....
というわけで数字の読み方と発音は速攻で覚えた。
まぁ、こういう時の形も違うし何言ってるかさっぱりわっかんねー。という時はどうするか?
そう、世界共通言語のエスペry・・・・・なんか通じるわけないので、世界共通のジェスチャーでなんとかやりくりする。 ちなみに、ギリシャも割とこんな感じだった。だから魔法の様な言葉をちょっと覚えた。
閑話休題。
シリアも歴史ばんざーいという国である。だって、旧約聖書に出てくる通りがダマスクスにそのままあるんだよ?旧約聖書ておい、お前ちょっとまて!という話だ。
ダマスクスは巨大な街。どこまでも広がっていくのではないかという風に感じられる。
シリアで印象的だったのはマルムーサという砂漠の中にある修道院とパルミラ遺跡である。
マルムーサ修道院は本当に、砂漠の中の山間にぽつんとはまったような場所で、周りにはなにもない場所。それだけに、夜景と、朝日と、星空はとても綺麗だった。
朝日

修道院の裏手
 パルミラ遺跡はシルクロードの一部で2世紀ごろにローマ帝国に併合されたとかだった。このパルミラ遺跡、歩いて回ると3時間くらいかかるのでは?というくらいでかい。つーか、そんくらい歩いていた。




2km×3kmほどに渡って非常に高いレベルで遺跡が保存されている。列柱の並びが本当に美しくて、夕焼けの景色は感動的だった。

後は、クラックデシュバリエという城マニアには涎モノではなかろうかというめちゃくちゃカッコいい城がある。あぁ、戦争で落とされないための城ってのはこういうものが必要なのかと。装飾は一切ない、機能美で固められたその空間に僕と友達はカッコよすぎる…とため息ものだった。

まぁ観光資源は沢山あるのだが、それはこれくらいにしておこう。
もうひとつ、シリアは最も人々が暖かい国である。困っていたら助けてくれるし、道を通り過ぎる人達は本当に快く、一切の下心無し(モノを売りつけたいとかじゃなく)に純粋に僕らのことを歓迎してくれる。あんな素敵な笑顔で人を迎え入れてくれるなんてなんて暖かい人達なんだろう。
アメリカの”テロ支援国家” というイメージからは随分かけ離れている、とても平和な国だ。

街は発展途上で車だらけでちょっと土臭い感じはあるけど、人と人との交流という意味ではなんだかハッとさせられる国。

③モロッコ
モロッコは最も長くいたのでちょっと上2つと比べると印象も違うのだが、この国がもっとも面白いのは旧市街である。
モロッコはフランスに統治されていたのだが、旧市街があまりに複雑で迷路のような構造だったので、それはそのまま残して、隣に新市街を作った。だから、旧市街は10世紀前後からそのまま残っているままである。


マラケシュ、フェズという代表的な都市の構造はまさに迷路で、フェズで僕等は見事に迷子になってダンジョンから出られなくなった(マジで)。地図を持っていても全ての道が曲がりくねりながら、しかも目印も何もないので方向感覚なんて一瞬で消える。


フェズ旧市街を上から眺める。

そんなこの街の旧市街のスークは観光客も地元の人も、猫も、馬も、バイクも同じ道を通るというなんともカオティックだけどとても熱気的な街だ。東南アジアとは違った熱気があって歩いているだけで面白い。
海沿いの街も、砂漠も、山間の街も沢山回ったけど、モロッコの魅力は旧市街に凝縮されている。
スークの魅力を最も感じたい人にはモロッコが面白いのではと思う。

おまけ②砂漠
ちなみに、砂漠は感動!という一気に押し寄せてくるものではなく、なんだか後からじわじわと迫ってくる感覚を与えてくれる。僕が砂漠に泊った日は満月だった。だから、星はほとんど見えなかった。代わりに、ずっと遠くまで砂の山や、砂の広がりが月明かりに照らされて見えるのだ。砂の山に登って見渡す景色は風の音と自分の呼吸音しか聞こえない。こんな孤独な世界にサンテクジュペリは落ち、アラブの行商人たちは何もない中を進んで行ったのかと。
ただ暗闇と砂が広がる砂漠の景色

月明かり







④アラブという国々


アラブの世界は言ったことない国もまだまだ沢山あるけど、やはり、人が暖かい。そして、とにかく時間がゆっくりと流れている。
フェズでカメラを向けたらポーズを決めてくれた子供たち
特にモロッコとシリアで感じた僕の印象は、彼等は今という時間を存分に楽しんでいるということ。
レバノンはすごい勢いで発展しているけど、でも根幹部分は変わっていないように思えた。
ゆっくりと成長はしているものの、彼等は東南アジアのように発展したい!先進国に追いつきたい!といったあの独特の熱気はあまり感じられない。その一方で、このままこの生活を続けても、幸せならそれいいじゃないか。そんな気持ちが感じられる。

いかにも!な肉屋。ここのサンドイッチはたまらなく好きだった



ゆったりティーを飲んでシーシャを吸って、友と語らい、スークの喧騒の中、今を楽しむ。
これがずっと続いてきて、これからもずっと続くんじゃないかと思わせてくれる国々がアラブだった。

僕らが猛スピードで駆け抜けていつの間にか忘れてしまったモノがこの国々には到る所に広がっている気がする。
始めのモロッコがこれだったから、僕は改めてアラブにはまったのだと思う。


ヨーロッパを回るのは勿論面白い。けれど、それとはまったく違ったアラブ文化にも足を延ばして見て欲しい。
そして、ゆっくりとティーを飲みながら、10年後に訪れても変わらずの世界が広がっているのだろうかと思いを巡らせるのもいいのではないかと思う。


まぁ、ざっとこんな感じか。
語ればまだまだ幾らでもでてくるのだけど、尽きることはないのでここら辺で終わりにしよう。

物理的距離以上に心理的距離の遠いアラブ諸国に魅力を少しでも感じてくれたなら幸いで、もしもこれに触発されて、僕みたいに卒業旅行でモロッコ行ってみました!みたいな人が増えたらそれはもうしてやったりである(笑)

2011年1月18日火曜日

メモ

以下mixi newsより転載。毎日新聞の記事より。
今後どうなるか気になるのでメモ。


担任する女子児童の親からの度重なる苦情で不眠症に陥ったとして、埼玉県行田市立小学校の女性教諭が女児の両親に対し、慰謝料500万円を求めて、さいたま地裁熊谷支部に提訴していたことが分かった。両親は「いわれのない訴え」と反論している。
訴状などによると、教諭は10年4月から女児の学級を担任し、6月に女児同士のもめごとがあったため仲裁をした。その際、女児の母親から 「相手が悪いのに娘に謝らせようとした」と電話で抗議され、7月中旬までに連絡帳にも「先生が自分の感情で不公平なことをして子どもを傷つけています」な どと8度書かれたという。親は文部科学省や市教委にも苦情を申し立て、女児の背中に触っただけで警察に暴行容疑で届けたこともあった。

その結果、教諭は不眠症となり「教員生活の継続に重大な支障を生じさせられた」と主張している。

教諭は9月に提訴し、小学校は10月、市教委に「モンスターペアレンツに学校や教師が負けないようにし、教諭が教員を代表して訴訟を行っていると受け止めている」との校長名の文書を提出した。

女児の母親は「学校は何の対策も取ってくれず、モンスターペアレンツに仕立てられてしまった」と反論している。また「裁判はいわれのない訴えで、和解する気はない」と話している。【藤沢美由紀、清水隆明】

2011年1月16日日曜日

小休憩。"フランスの美容院"

前回、何の下調べもせずに、ここなら大丈夫かもという根拠の無い自信を持って美容院に行ったところ、見事その自信と希望を打ち砕いてくれたパリの美容院。

25ユーロでサービス精神なし、意見聞いてくれない、前パッツンと大特典付き。。。orz

今回、岩田が23ユーロでカットできる日本人スタッフの美容院を見つけたのでそこに行ってきた。

あぁ、こっちの要望をちゃんと聞いてくれる。シャンプーちゃんとしてくれる。と、日本では当たり前の”サービス”を受けられて感動する自分。

美容師さんとお話している時に、なんでフランスの美容院があんななのかを非常に明快に説明してくれた。

①まず、フランスの美容院では基本的にお客さんはだいたいこんな感じで!とだけ伝えて後は美容師さんのセンス任せであるということ。だから、細かいことをいちいち要望するのは普通じゃないらしい。

なるほど、これは俺が向こうのセオリーをわかっていなかったわけだ。反省。

②センスに任せてきるのだけど、フランス人は癖っ毛。しかもいい感じの癖っ毛なので、パッツンにしても、クシャクシャってやれば何故か無造作おしゃれヘアーに大変身♪おまけに頭の形がいい感じに丸っこいので短めに切ってもいい感じに落ち着く。

なんというフランス人のポテンシャル。

③一方、日本人はパッツンできれば綺麗にパッツンになるし、思いっきり短くきれば頭の形がでて角がついてしまう。しかも、癖はわりと厄介なのが多いのでフランス人みたいに上手い具合にはならない。


とのことだ。という条件から、自ずと以下のように考えられる。

Ⅰフランス人相手の場合、結果として前パッツンみたく段をつけなかったり、或いは髪をすいたりしなくても、フランス人の頭と髪質のポテンシャルの おかげでいい塩梅の髪型が出来上がる=そんなすごい色々頑張らなくても割とOKなので、技術的な向上がそこまでなくてもなんとかなってしまう。さらには、 お客さんも美容師を信用しているので文句は言わないので美容師側も疑問は抱かず、どんどん自信が沸いてくると。

Ⅱ一方、日本人は髪のポテンシャルが低い(というか、切ったらそれがそのまま反映される上に頭の形はフランス人ほど良くない)ので、色々美容師さ んに注文しないといけない。サービスも当たり前だと思っているので色々注文する。結果、美容師さんは技術的に色々高いレベル持ってないと日本人の髪を上手 く対処しきれない。よって技術はどんどん向上、サービスもそれにこたえるので維持されると。

Ⅲよって、日本人がフランス人美容院に行くと、俺の話を特に聞きもせず(基本美容師任せだかあら)、前パッツンにしておいて(フランス人ならどう にかなる)すごい納得の表情でできたぜ!みたいなしたり顔をしていた(基本自信満々)のも納得がいく(感情的には全く納得いかねーけど)

補遺 挙句の果てにはフランス人はどんなふうにきっても結局癖っ毛で何とかなってしまうので、自分が切った前パッツンとかがちゃんと現れると寧ろ喜ばしいらしい。
美容師さんのお客さんの娘さんは子供用のカットサロンでちびマルコちゃんみたいにされたらしいのだが、美容師さんは綺麗に自分の切った形が髪に現れたので同僚に、見てみてこれすごいきれいでしょ!と言っていたらしい。お母さん唖然。
うん、なんといういい迷惑。俺等はみんな木村カエラ目指してるんじゃないんだから…

以上の考察により、導き出される結論は

日本人はフランス人の美容院に 行 っ て は い け な い 。

だってそんな髪のポテンシャルないんだもん。
本当に日本人スタッフの安い美容院(23ユーロなので2500円とか)が見つかって良かった。フランス留学における悩みごとの一つだったので解決してほっと一安心。

怖いものみたさで体験してみたい人は是非どうぞ。

ちなみに、短くしてくださいとかいうと大概バリカンが出てきて5分くらいでカットが終わります。
一度くらい髪切って絶望を味わうと日本の美容院のありがたみがよくわかっていいかもしれません。僕はもうお腹いっぱいですが。

2011年1月14日金曜日

アラブ学のススメ3

@スークで買い物をする

スークは市場。買い物をする場所である。
いざ、買い物をしてみよう。
あ、これ欲しいな―。
そう思って値段を見ると値札はない。
そう、スークのものは交渉制のモノが多い。勿論値段が決まっているものもある(例えばジューススタンドとかパンとかそういうのは定額)んだろうけど、観光客が買うようなものは交渉するものが多い。

この国では人間同士の話合いが避けられない。前回も述べたが人と人との交流はこの国々の基本なのだ。

つーわけで、彼等はふっかけてくる。正規の値段の3倍とかはザラ。そもそも正規の値段なんか知る由もないのだが、日本とかヨーロッパみたいに言われ値で買ったら後で店のおっさんにほくそ笑まれるだけだ。
こういうところは日本人は苦手なのかもしれないが、値切ってなんぼ。それを見越して彼等もふっかけてくる。大阪のおばちゃんみたいにならないとやっていけない。
初めのうちは、なかなか難しい。値段の相場がわからないからどれぐらい値切っていいかもわからない。
最初の方は結構高い値で買い物をしてしまったように思う。

欲しいものを見つけて、これ、幾らですか?という僕の質問に対して、”幾らがいいんだ?”と聞き返される。ここで相場がわからないともう勝敗は喫したも同然である。相手が上手であった。


@スークでの交渉ゲーム

さて、この交渉、慣れてくると非常に面白い。

”どこまで値下げできるか” はもはやゲームみたいなものだ。
値段のおとし所を見極めて、交渉でどこまで優位に立てるか。
これ、欲しい!って顔を出したらもう負けである。向こうが強気になるし、何より欲しい気持ちが前面にでると、自分の中の限度額がどんどんつり上がってしまう。だから結果的に負ける。
以下になんとかその気持ちを読ませずに安い値段で買えるか。

途中からこの交渉ゲームにすっかりはまってしまった。

どんなものかその一例を紹介してみよう。


店の前で声をかけられる。
ふらっと店の中に入ってちょっと興味深いものを手にとって何食わぬ顔をしていれば勝手に向こうがセールスアピールをしてくる。
ふーん、これいくら?と興味なさげにしょうがなく聞いてあげると値段が提示される。
うん、高い。いらないっす。と即座に品物を置いて踵を返そうとしよう。

この時点でまてまて!いくらならいいんだ!という答えか、幾らにするぞ!という答えが返ってくる。

さらに、一瞬立ち止まってそのまま歩こうとするともう一声!いくらにするぞ!という声が聞こえてくる。

ここで、しょうがなさそうに振り返ってみよう。

この時点で言い値の半額とか30%引きとかになることが多い。(モノによるが)

ここまできたらようやく勝負スタートである。
後は自分の中で心に決めた限度額を軸に少しずつ値段を上げて行く。

相手もここであれこれ言ってくる。

これがFinal priceだ!とかこれもつけるから幾らだ!とか色々。
だから、こっちもあの手この手で応戦する。
-じゃあいらない。
-肩をすくめて残念そうな顔をする。
-こっちから抱き合わせで買うから安くしてよと提示する。

そんな応戦をしあい、最後折り合いがついた時は笑顔で握手する。
これで、商談成立である。
駄目だったら、ダメだで商談失敗。

ちなみに盟友曰く、どうも僕は肩をすくめてもうちょっとなんないの?という残念な顔をすると相手にすごい効果的らしい。

そうこうするうち、相手が苦笑いしつつもこっちの条件を飲んで売ってくれる姿を見るのが快感になってきた。勝負に勝った感がすごいするから。

@エピソード・シリア

そんな商談を楽しんで10ヶ月後。 シリアにて再び商談のチャンスが。
今回はスークも何度も行った後だったし、特に目新しいものもなく、ふらふらしてたのだが余りに暇だったので途中声をかけてきた石鹸売りの兄ちゃんと商談をすることに。100SPで売る石鹸をまずは60SPで購入。
その後、この地域ではどうやら布が有名らしく、割とおしゃれなストールを売ってくるおじさんが声をかけてきた。
相場がよくわからないが、600SPという。
いやいや、そりゃ高いだろ。しかも買う気が全然ないので100SPでどうだ?とふっかける。
交渉開始。


”お前さん、バカ言っちゃいかん。コーヒー飲むのとは違うんだぞ?”
”あ、じゃー、いいっす。さよならー”
と、まぁ実際買う気もないのだがとりあえずお決まりのパターンを実行。
”まて!400、いや300にするから!”
 ここで振り向いて、
”いやだから100。”というと
”いいか、じゃあお前にはシークレットプライスで250で売ってやる!特別だ!”
との答えが。それでも100で粘っていたらとうとう150SPにまで下がってきた。
自分は一切譲っていない。
これはいける!と思って、
”いやでも100が。。。”といったら

”YOU CRAZY!!!”と言われて追い払われてしまった。

相手に切れられるとは。どうやら本気で赤字になる価格まで突っ込んでしまったようだ。というわけで120くらいが仕入れ額なのだろう。

そのちょっと後でストール好きの同行者と話しているとシルクのストール150なら全然安いよ!と言われたので買い直そうとしたのだがもう警戒して目も合わせてくれなかった。

ここでようやくストールが欲しくなってきた自分。

少し先のところで同じような店を発見し、何気なく手に取ってみるとご丁寧に解説が。

”これはアレッポのシルクの布だぜ!こうして燃やしてみればナイロンとシルクの違いがわかるだろ?”
といって、シルク布とナイロン布の端切れをちょっと燃やして実演してくれた。なるほど、確かに肌触りがいい。
へー、これ幾ら?と聞くと
1000SPとの答えが。
”はっはっはー、さっきの店で250で売ってくれるって言ってたぜ。ありえんよ。さよなら―。”
とふっかけるにもふっかけすぎなのでさっさと帰ろうとすると600,400,300とぐんぐん下がる。
そのまま歩こうとしたらなんと目の前にいるおじさんが
”250だ!おい250にしてやれ!”と言うではないか。
このおっさんは誰やねん。ていうかなんで部外者のお前が協力して値下げをする?と混乱しているとおっさんがいつの間にかさっきの店に戻って品物を入れて戻ってくるではないか。
なるほど、暇だから息子たちに店を任して自分は別の店の親父と談笑していたっぽい。
誰も買うなんて言ってないよ。

と言ったら200まで下がった。
結局、この後一度そのまま歩いて行ってしまったのだが、同行者がこれは全然安いよーというので、踵を返して結局200で購入。
購入したシルクのストール。なかなか暖かいし結構気に入っている。

1000SPが200SPになった。しかも商談の楽しみつきである。

ちなみに1SP=2円。だから、元値もそんな高くないのだ。でも、こっちの国と日本じゃ金銭感覚が違う。郷に入っては郷に従ったほうが面白い。

結局、2000円の言い値のシルクのストールが400円で買えた。

シリアでまた少し商談に自信がついた。

まぁ、これですら僕が手のひらで踊らされていて、あいつ200SPで買って言ったぜ!いい商売だ!

と言われていることも十分あるのだが。
それでも、商談をして折り合いがついた時は、自分がこの値段だったら払ってもいいと納得したと言うこと。

きっと、お互いに満足しているのだから、それでいいのだろう。

需要と供給側がお互いに効用最大になるようにするんだから、経済学の原理をまさに実践しているようなもんなのかな。


日本やヨーロッパの日常とはかけ離れた、時に死ぬほどめんどくさい交渉。毎日の買い物でこれするのかーって思うと疲れちゃうけど、たまにすると面白い。 


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2011年1月13日木曜日

アラブ学のススメ2

アラブの国というのは地方によって文化が随分違うようで、なかなか一般的なことをいうのは難しい。アラビア語を話しているだけであって地理的条件などもあって独自の文化を歩んでいるからである。

友達に教えてもらった話によると北アフリカのアラビア語と中東のアラビア語はたがいに理解ができないほど異なるのだという。

そんなアラブの国で、それでも普遍的な光景の一つは前回にも述べた人々の温かさ、そしてもう一つはスーク(市場)である。

スークを語らずしてアラブ諸国の魅力を語るのは難しい。所謂歴史的遺産を見るのも勿論面白い。特にシリア、レバノンの歴史は驚異的である。
旧約聖書の時代からある通りとか、アルファベットの原型、生まれちゃいました☆とか、”歴史”の次元が違いすぎるのだ。
並木の代わりにいつのものかわからないが歴史的な列柱の跡が並んでいる光景をシリアで見かけたが、この2カ国はそういう国なのだ。

@スーク

さて、スークとはアラビア語で市場の意味である(確かね)。

所謂ヨーロッパでいう”市場”は新鮮野菜や魚肉類を売っているのがメインの日曜市などが想像されるのだが、ここは違う。

通りの両側にこれでもかというくらい商品を敷き詰めた店が広がっている。
お土産屋は勿論、食べ物も売っているし、布も売っている、生きたニワトリも売っていれば金物もある。
ジューススタンドの隣に床屋が手をこまねいていたりもする。
香ばしい香辛料や日本の煎餅のようなものを売っているお菓子やまである。
ここは巨大なスーパーマーケットのようなものだ。いや、むしろこれを一つにまとめたものがスーパーか。


 マラケシュのスークは非常に巨大なスークであった。これまでみたスークの中で最大規模である。
スークを見ているだけで一日が終わる。
スークというのは面白いところで、同じ業種の店が非常に固まっているのである。
こりゃ、ホテリングのアイスクリーム立地論をそのまま体現した結果なのだろうか?というくらい固まっている。
だから、このエリアはどこどこのスーク。といった区分けができているところが多い。
実際の理由はよくわからないが、経済原理に則っているのか、コミュニティがあるのか仕入れが便利なのか。とにかく集中している。下の写真は布のスーク。
布のスークなんて可愛いもんである。布が沢山売っているだけだから。最初のうちはこれを見ているだけで面白かったが、世の中上には上がいる。


 貴金属のスーク、鍛冶屋のスークでは金属を叩く音、職人さんたちの顔が見れる。



肉屋のスークでは生肉がバンバン釣る下がっている。シリアのスークではバカでかい包丁で肉バンバン切り裂いてるおっちゃんに凄い笑顔でwelcome!とかも言われた。

鶏のスークではこれから彼らの胃を満たすであろう鶏がゲージの中に大量にいる。ここは臭い。いやマジで。

先日行ったシリアにいたってはタイヤのスークというのがあった。区画一帯でみんなタイヤを売っているのである。まったくもって観光客には役に立たないのだが、まぁこれが地元の人のものでもある証拠だろう。


もっと色々探せばこんなスークが!!!というのが出てくるかもしれない。これもスーク歩きの一つの魅力である。


@スークの賑わい

スークの一つの特徴は賑わいである。
ここでは観光客は勿論、地元の人も沢山訪れる。彼らにとっても生活の基本なのである。
だから、朝起きてスークに行けば、簡単な朝食を出しているスタンドでパンやこっちのファーストフードをほおばっている人や、ジューススタンドで仕事始めの一杯を飲んでいる人もいる。

日中に顔を出せば、せっせと観光客を手引きする一方で、床屋で髪を普通に切ってるおっさんたちもよく見かける。
店の前を歩けば商品を見せてにんまりしてくるもの、すごい声をかけてくるもの。
welcome,my friendといってとにかく強引に店にいれてこようとするもの。親切なアラブ人だが、モロッコの商売人のwelcome my friendは完全に商売人の商売文句なので興味がない時はさっと無視しよう。
ちなみに、モロッコは観光客慣れしているのか客引きがすさまじいが、レバノンは洗練されているのかそもそもスークのあの熱気はなくもっとおとなしく、シリアも店の外まで出てきてわーわー言ってくる奴はあまりいない。モロッコに慣れていた僕にとってはダマスクスのスークは歩いてても声かけられないし、店の中で落ち着いて品を見れることは逆に驚きですらあった。
モロッコのスークで品を見てると要りもしない解説をひたすら聞かされ、とにかくこれを買わないか?!みたいな流れに速攻でなるのでうまく無視しないと落ち着いて品を見れたもんじゃない。
まぁここでないがしろに扱っても彼等は人の敷居にずかずか入ってくる人達なので気にしなくても大丈夫である。
ここで、ようし買おうかという気分になったらいよいよ交渉のスタートである。この話はまた次回にでも。



夜になっても賑わいが続く場所もある。広場で大道芸みたいなのをやっていたり、カフェで話しに華を咲かせる人達、まぁ色々であるが、どうも20時くらいに店としては閉まるところが多い。

スークのお店は木製の開き扉をしているものが多く、夜になると溢れていた商品はすっかり消えて、木の扉で閉ざされた姿が広がる。それは日中の賑わいとはかけ離れたもので雰囲気はまったく違うものになる。

スークを散歩して見れる姿というのはざっとこんなものである。

でも、スークって市場でしょ?そう。だから買い物をするときはどうなるかってのはまた次回にでも書いてみようと思う。


+おまけ1 暇そうなおじさん

これは未だに疑問なのだが、スークでは昼間から何故か店の前にイスをだして暇そうにしているおじさんも沢山みる。一人でシーシャ(水タバコ)をぷかぷかふかしているおじさん。
数人集まってやっぱりシーシャをふかしながらトランプに燃える人達。とにかくだべってる人達。特にレバノンで顕著だったけど、バックギャモンにはまっている人達。
いやいや、あんたら仕事はどーした!と突っ込まずにはいられない人達もスークには沢山溢れている(もっともこれはアラブの街中全体に溢れているのだが)。彼等は浮浪者といった身形ではない。
至って普通に暇そうにしているのだ。

カフェに行けばやっぱり暇そうにミントティーを飲む人。シリアやレバノンならシーシャをふかしながらゲームをする人に溢れている。
フランスのカフェにも人が溢れているし、みんな本を読んだりおしゃべりに興じているのだが、そことはなんだか雰囲気が違う。言い方は悪いが、ヨーロッパのカフェと比べてこっちの人達はほんとに暇そうである。
でも、その空気が良い。
この独特のゆったりした時間の流れを体現している彼らの姿は都会であくせく生きている人間には違和感に見える一方、とてもうらやましくも思う。
シーシャを吸いながらカフェで2時間も3時間もいて、喋り続けるかバックギャモンをする。
このアラブの時間の流れは僕には非常に魅力的だ。なんだかみているだけで癒される。

まぁまぁ、そんな急いでないでさ、もっとゆっくり生きようよ。

決してそんなことを口に出したりもしないのだが、なんだかそんな事を諭されてるのではないかとついつい思ってしまう。
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