2011年1月13日木曜日

アラブ学のススメ2

アラブの国というのは地方によって文化が随分違うようで、なかなか一般的なことをいうのは難しい。アラビア語を話しているだけであって地理的条件などもあって独自の文化を歩んでいるからである。

友達に教えてもらった話によると北アフリカのアラビア語と中東のアラビア語はたがいに理解ができないほど異なるのだという。

そんなアラブの国で、それでも普遍的な光景の一つは前回にも述べた人々の温かさ、そしてもう一つはスーク(市場)である。

スークを語らずしてアラブ諸国の魅力を語るのは難しい。所謂歴史的遺産を見るのも勿論面白い。特にシリア、レバノンの歴史は驚異的である。
旧約聖書の時代からある通りとか、アルファベットの原型、生まれちゃいました☆とか、”歴史”の次元が違いすぎるのだ。
並木の代わりにいつのものかわからないが歴史的な列柱の跡が並んでいる光景をシリアで見かけたが、この2カ国はそういう国なのだ。

@スーク

さて、スークとはアラビア語で市場の意味である(確かね)。

所謂ヨーロッパでいう”市場”は新鮮野菜や魚肉類を売っているのがメインの日曜市などが想像されるのだが、ここは違う。

通りの両側にこれでもかというくらい商品を敷き詰めた店が広がっている。
お土産屋は勿論、食べ物も売っているし、布も売っている、生きたニワトリも売っていれば金物もある。
ジューススタンドの隣に床屋が手をこまねいていたりもする。
香ばしい香辛料や日本の煎餅のようなものを売っているお菓子やまである。
ここは巨大なスーパーマーケットのようなものだ。いや、むしろこれを一つにまとめたものがスーパーか。


 マラケシュのスークは非常に巨大なスークであった。これまでみたスークの中で最大規模である。
スークを見ているだけで一日が終わる。
スークというのは面白いところで、同じ業種の店が非常に固まっているのである。
こりゃ、ホテリングのアイスクリーム立地論をそのまま体現した結果なのだろうか?というくらい固まっている。
だから、このエリアはどこどこのスーク。といった区分けができているところが多い。
実際の理由はよくわからないが、経済原理に則っているのか、コミュニティがあるのか仕入れが便利なのか。とにかく集中している。下の写真は布のスーク。
布のスークなんて可愛いもんである。布が沢山売っているだけだから。最初のうちはこれを見ているだけで面白かったが、世の中上には上がいる。


 貴金属のスーク、鍛冶屋のスークでは金属を叩く音、職人さんたちの顔が見れる。



肉屋のスークでは生肉がバンバン釣る下がっている。シリアのスークではバカでかい包丁で肉バンバン切り裂いてるおっちゃんに凄い笑顔でwelcome!とかも言われた。

鶏のスークではこれから彼らの胃を満たすであろう鶏がゲージの中に大量にいる。ここは臭い。いやマジで。

先日行ったシリアにいたってはタイヤのスークというのがあった。区画一帯でみんなタイヤを売っているのである。まったくもって観光客には役に立たないのだが、まぁこれが地元の人のものでもある証拠だろう。


もっと色々探せばこんなスークが!!!というのが出てくるかもしれない。これもスーク歩きの一つの魅力である。


@スークの賑わい

スークの一つの特徴は賑わいである。
ここでは観光客は勿論、地元の人も沢山訪れる。彼らにとっても生活の基本なのである。
だから、朝起きてスークに行けば、簡単な朝食を出しているスタンドでパンやこっちのファーストフードをほおばっている人や、ジューススタンドで仕事始めの一杯を飲んでいる人もいる。

日中に顔を出せば、せっせと観光客を手引きする一方で、床屋で髪を普通に切ってるおっさんたちもよく見かける。
店の前を歩けば商品を見せてにんまりしてくるもの、すごい声をかけてくるもの。
welcome,my friendといってとにかく強引に店にいれてこようとするもの。親切なアラブ人だが、モロッコの商売人のwelcome my friendは完全に商売人の商売文句なので興味がない時はさっと無視しよう。
ちなみに、モロッコは観光客慣れしているのか客引きがすさまじいが、レバノンは洗練されているのかそもそもスークのあの熱気はなくもっとおとなしく、シリアも店の外まで出てきてわーわー言ってくる奴はあまりいない。モロッコに慣れていた僕にとってはダマスクスのスークは歩いてても声かけられないし、店の中で落ち着いて品を見れることは逆に驚きですらあった。
モロッコのスークで品を見てると要りもしない解説をひたすら聞かされ、とにかくこれを買わないか?!みたいな流れに速攻でなるのでうまく無視しないと落ち着いて品を見れたもんじゃない。
まぁここでないがしろに扱っても彼等は人の敷居にずかずか入ってくる人達なので気にしなくても大丈夫である。
ここで、ようし買おうかという気分になったらいよいよ交渉のスタートである。この話はまた次回にでも。



夜になっても賑わいが続く場所もある。広場で大道芸みたいなのをやっていたり、カフェで話しに華を咲かせる人達、まぁ色々であるが、どうも20時くらいに店としては閉まるところが多い。

スークのお店は木製の開き扉をしているものが多く、夜になると溢れていた商品はすっかり消えて、木の扉で閉ざされた姿が広がる。それは日中の賑わいとはかけ離れたもので雰囲気はまったく違うものになる。

スークを散歩して見れる姿というのはざっとこんなものである。

でも、スークって市場でしょ?そう。だから買い物をするときはどうなるかってのはまた次回にでも書いてみようと思う。


+おまけ1 暇そうなおじさん

これは未だに疑問なのだが、スークでは昼間から何故か店の前にイスをだして暇そうにしているおじさんも沢山みる。一人でシーシャ(水タバコ)をぷかぷかふかしているおじさん。
数人集まってやっぱりシーシャをふかしながらトランプに燃える人達。とにかくだべってる人達。特にレバノンで顕著だったけど、バックギャモンにはまっている人達。
いやいや、あんたら仕事はどーした!と突っ込まずにはいられない人達もスークには沢山溢れている(もっともこれはアラブの街中全体に溢れているのだが)。彼等は浮浪者といった身形ではない。
至って普通に暇そうにしているのだ。

カフェに行けばやっぱり暇そうにミントティーを飲む人。シリアやレバノンならシーシャをふかしながらゲームをする人に溢れている。
フランスのカフェにも人が溢れているし、みんな本を読んだりおしゃべりに興じているのだが、そことはなんだか雰囲気が違う。言い方は悪いが、ヨーロッパのカフェと比べてこっちの人達はほんとに暇そうである。
でも、その空気が良い。
この独特のゆったりした時間の流れを体現している彼らの姿は都会であくせく生きている人間には違和感に見える一方、とてもうらやましくも思う。
シーシャを吸いながらカフェで2時間も3時間もいて、喋り続けるかバックギャモンをする。
このアラブの時間の流れは僕には非常に魅力的だ。なんだかみているだけで癒される。

まぁまぁ、そんな急いでないでさ、もっとゆっくり生きようよ。

決してそんなことを口に出したりもしないのだが、なんだかそんな事を諭されてるのではないかとついつい思ってしまう。
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