2011年1月9日日曜日

ダイブ

修士になって専門じゃないことに対してまた色々とあれこれ考えるようになってきた。
こっちに来てその傾向はさらに顕著になっている。


基本的には卒論以前から考えては忘れたことを思い出したり、とかなのだけど、それが少しずつ紡ぎだされたり、新しいところに手を出してみたり。前よりはちょっと見方が深くなったり、もっと別のものと連携づけられるようになってきた気がする。

確信はないんだけど、体験的な直感として、やっぱり卒論書いたのってでっかいんだろうなと思う。
もちろん、アカデミック的には大したことは出来ていないんだけど。

4年間かけて海のどこで潜るかを探して、初めて海に潜って魚を探して、ようやく今再び水面に戻ってきたら空が違って見えたかのような。

一度、専門という世界に長時間ダイブしていたおかげで、そして、今こうして時間を与えられて一度水面に顔を出せたおかげで、今まで見ていたものの見方が多少なりとも深くなった気がする。

こっちの学校で専門が都市というスケールに変わったこと、ラボという環境を離れたこと。日本という環境から移ったこととかが追加要素として色々あると思うんだけど、とにかくいろんな分野の色んなアイデアがポンポン浮かんできては『あ、これも面白い。あ、あれも考えなきゃ!』といった状況が続くようになった。結局時間が十分にとれなくて考えきれないことが多いんだけど、意識としてはそういうものが続いている。

日本にいた時は友達と勉強会して農業問題とか考えたりしてたし、資源について随分興味がわいた。
こっちに来てからは、やっぱりフランスの都市、輸送や国土計画に興味がわいたり、改めて日本の都市とかに興味持った結果、江戸の歴史と風俗史について勉強したいと思ったりとか、宮本常一読み始めたとか。生活していて無視できない経済状況を見ていて、未来予測系の本を読む決断をし友達に送ったりだとか、加藤周一に手を出そうとしていることとか。

それぞれは暴れ馬みたいで、結びつけられてはいないんだけど、今一度また水の中に戻る前に、自分の中できちんと彼らを専門にリンクさせてからまた研究の世界にダイブしたい。 せっかく一度顔あげるチャンスもらったんだし。

まぁその分、研究的なアイデアの深みは全然増していないのだけど。あれをやる時は結構一点集中しながらやらないとなかなかうまくいかないんだよなー、多分。当時だって卒論のテーマ考える時はずっとそのこと考えたりしてたわけで、それでもしばらく決まんなかったんだもんなぁ。
来週、一応修論のことについてこっちの先生と話しあいなんだけどこっちに来る前に考えていた草案から更には深められなそう。論文もあんまり読んでないし。息継ぎする時間が全然ないまま顔突っ込まないといけない感じ。

だから、こうして今考えてることをもう少し意識したことを盛り込めない。よくわからんけど、今色々考えつつあるものを自分の中で消化して昇華していくと、もうちょっと別の研究アプローチとかにもつながる気もするんだよな~。

そんな、楽しいけどもやもやした気持ちが続く今日。そんなこと考えてないでテスト勉強をしないといけないんだけれど。

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