2010年11月30日火曜日

発芽

まだまだ、フランス語で話す環境で深い議論はできるとはいえない中、話しながら色々新しいアイデア考えたり、考えてることを深めるタイプの自分にとっては、今日みたく日本語で議論できるのはとても貴重。

たまにがんちゃんとかと話すのもすごい刺激になるんだけど。

今日は専攻も全く違う、しかもうち一人は日本語で話すけど考え方は割とフランスな友達だったので、日本語でフランスと日本の比較を行ったことで新たな知見を得られた気がする。

気付いたら4時間あっという間に立ってた。 
というか、ある種のねじれ構造があるんじゃないかということに気付いた。正しいか知らないけど。

とりあえず芽は出た。 どう発展するかはわからないけど。

大事な目なので枯らさないように育てて行こう。

明日の宿題は終わってないけど、現在ノートにメモ書き中。

日本から遊びに来てくれた友達Jとシアンスポで勉強中のJ。ホーム対岸には俺とゆーだい。      
友に感謝だなー。

ちなみに、この子がパリにやってきた日に狙ったかのようにパリには雪が降りました。
ある意味なんか持ってるな…。









 

2010年11月28日日曜日

授業についてその2

つづき

水曜日(午後)
都市とメトロポリタン 2時間:ハードと有名な授業らしく、留学生がほとんどみんな避けた授業…。結構いるはずのスペイン人とブラジル人が殆ど誰もいません…。あれ?これ選択必修ですけど???
授業自体は、メトロポリタンの概念とかメリットとか、そういうことについて話しているもので個人的には面白い。そして、対話をかなり意識してる人なのでフラ語がもっとわかれば心底おもしろいんだろうが、いかんせん普段は3、4割いる留学生がこの授業だと2割弱しかいないので先生も話すのが早くてつらいうえ、ポスター発表のテーマが猛烈に重いので大変。試験も大変重いそうな。単位来るかなぁ…。
ちなみにこの授業だと3大メトロポールとして東京、NY,ロンドンがでてくるので、凄い日本が意識されてることがよーくわかります。ゴーンの関係もあって日産の話も出てくるし。先週は都市の在り方を変えたイノベーションでの話でエロ―キティがでてました。ハローキティじゃないのはフランス語のせい。

エネルギー。2時間:都市・環境・交通の3専攻、ようは学科全員が唯一全員そろう必修授業。そして、日本人3人も唯一そろう授業。鉱山学校(ゴーンが出た理系トップ校の一つ)の先生が授業しているんだけど…もう、猛烈につまらん。もともと日本にいる時から環境とかエネルギー系の授業嫌いだったんだけど、話がつまらない&すでに6時間近く講義受けてるのでもう集中力も持たないともう終わっている。
普段、フランス人は基本的に寝ないし、みんな結構真面目にノートとるのに、この授業に限ってはボーっとする奴、寝る奴、内職する奴とかなり無法地帯になっている。それくらいつらくつまらない、ポンにしては珍しい外れ授業。演習は授業内容から急に飛躍的に難しくなってるし説明少なすぎてよくわかんないし。マジ早く終わってくんねーかな…。

木曜日(午前)
流れ・網・地域 3時間。:選択必修のうちの一つ。ようは、交通とか流通ってのが地域にどう関連してるかってのを扱う授業。概念的なもの(国土学的な感じ)と理論面との2側面から取り扱うというもの。後半はまだやってないけど先生の話が非常にうまい。フランス語だけど、圧倒的に説明が上手いのだけはよくわかる。
必ずしも交通だけではなくて、CO2の流れとか、電線網についての話とか色々広くやってる。
授業の後半はグランパリで今度大学都市として拠点になるPlateau Saclayというポリテクがある地域において、交通網とかどうあるべきかとかを毎週少しずつ考えて行こうという演習を行っている。30分くらいしかないのでそんな深い議論はできないが、なかなか面白い。

木曜午後はお休み。

金曜日(午前)
・都市計画法 2時間×6:地獄。
配布資料なし。板書ほぼなし。3時間ぶっ続けで先生が大事なことばかりをひたすら喋る鬼畜な授業。
繰り返し話したりしてくれないうえ、ノートとるにはあまりに話すのが早くフランス人でも必死にノートとらないと間に合わない鬼畜授業。
こっちの都市計画において、階層ごとの計画がどのようなもので、上位下位概念とどうかかわっているかというのが今回のテーマ。後期は選択してないけど(しなくてよかった。選択しちゃったゆーだい乙)、もっと厳密に建蔽率とかそういうのとか、ケーススタディとかをみるのかな。
来週テストなんだよね…どうなることやら。

・法律入門 3時間:M1必修授業。留学生が集まる唯一の授業。6学科に散らばっているので。内容としては、毎回違ったテーマで各国の法律のプレゼンを20分×3くらいして(一人1回)、最後にフランスがどうかってのを先生が講義して法律全体に詳しくなりましょうって感じの授業。よくわからんが、最近フランスの事例が殆ど話されないまま各国のプレゼンだけを聞いて終わるので何がテストに出るのやら…。スペイン人とブラジル人がたくさんいるので、おかげでスペイン・ブラジルの法律とか状況に随分詳しくなりました(笑)


がんちゃんも書いてたけど数学的にはかなり自分みたいなエセ理系にとっては苦しいところ。授業は、とりあえず学科の授業は全体的に面白い。
必修は…。というのはどこも共通か。

後は、どの授業も結構演習を取り入れているものが多いので(負担は増すわけだが)、身に着けさせようという心意気はかなり伝わってくる。

おかげで、土曜日の今日は法律入門のプレゼンの話合い。明日は都市とメトロポリタンの身にレポートの話合いが再びあるわけだけど。

まぁ、それでもなんていうかものすごい目新しいことは今学期はやってない。だから結果としてちょっとその環境に甘えてた。
そもそも専攻が都市計画だから、今までの自分の興味の都合上全く知識がないって授業はかなり限られてるし、流体や統計なんかは一度やったことあるしと、正直なところ今学期はまだちょっと楽なほうだと思ってる。今学期中にだからこそフラ ンス語の精度を上げたいところなんだけど…。
そういうことを自覚して、もっと色々やろう!とやる気は11月に入ってかなりあがったものの、忙しさも比例してあがったのでまだバランスが取れていない。ほんとはもっと勉強しないといかんのよね。図書館で本を借りて本も読みたいんだけど、なかなか進まない。

9月2日にH瀬と一緒にパリ観光したさいに買った雑誌”都市計画”―グランパリ特集―もいい加減読みたいんだけど、今学期が終わるまでに読めるのだろうか。

2010年11月23日火曜日

授業についてその1

そういや、時間がないだのわーわーわめいてますが、こっちで何やってるかというと…。
基本的に、午前は授業は一つのみ。3時間半(90分授業×2の間30分休憩)。午後は2時間か3時間半(午前と一緒)のどちらかで構成されていて、8時半~18時半くらいで授業がある。基本は全13回。

月曜日(午前)
都市経済(後期開講なのでまだ不明)。3時間×6,7回:Economie de l'amenagement自体は整備の経済。国土整備の経済ってなってるんだけど、実際は都市経済なんじゃないかなーと踏んでいる。

月曜日(午後)
・フランス語ライティング。2時間:割と基礎的なレベルなのでそんな負担じゃないし、基礎で見落としてるところが結構見受けられるのでわりと勉強になる。一方で、ライティングレベルがこれですごい向上するかって言うとそこまででもない気はする。だいたい毎週宿題あり。

火曜日(午前)
都市・地域計画 2時間×9回。ヨーロッパを中心とした都市計画史的な授業。都市の発展形態(格子型とか放射環状型とかetc)を様々な都市を対象に概観(歴史的変遷とその構造)し、その後フランスの事例を見て、最後は都市計画手法を見るというもの。うちの学科の授業だけど、となりの建築学校で授業を行っている。先生もそっちの先生。
個人的に、今まで都市計画の本は読んだことあるけど、こういう授業は受けたことがないのでとても面白い。
あまり黒板に書かないうえ、黒板の字が小さい&くっそ読みにくいのと、パワポを見せてる時は完全にノートをこっちが取ってるということを忘れているので細かいところでちょくちょく置いて行かれるけど…。全く知識がないわけじゃないので、たまに自分の知識で補いつつ、なんとかという感じ。ノート提出が最後義務付けられているので友達のノートを毎週借りて補筆。そのせいもあってもっとも理解度&復習ができている。まぁ、だからといってテストができる保証はゼロなわけだが。
ちなみに、この授業を受けてると建築学校の女の子の方が可愛い子が多いのでちょっと凹む。

火曜日(午後)
・フランス語(会話)2時間:会話もしてるんだけど、どっちかっていうとフォニティックが多いのでぬるい。個人的には発音というよりは抑揚とかを直されます。ていうか、もっとゆっくり喋れってよく怒られる。宿題も少ないのでまぁ楽してる授業。

・統計学 2時間:基礎統計のおさらい。元々統計嫌いだったので授業開始後すぐ免除させてって直訴したけど手遅れだった。正直説明がヘタ&無駄に数学的なせいで大分混乱させられる。演習でRという統計ソフトを使わないといけないので、その意味では多少知識が増える&演習があるからある程度身に着くっていう意味では今まで逃げ続けた統計をちゃんとやり直すことになっていいのかも。でも授業はつまらん。この授業の裏で開講されてる航空関係のインフラって方がおもしろそう。

水曜日(午前)
・流体力学 3時間:流体力学ですよ。院試でも3年でもやった噂のあいつ。この学校、あのナビエストークスのナビエを輩出しているところなので、流体にかける意気込みはなんかすごい。なんか実験施設での実験もあるらしいんだよね。
3時間で13回と、東大の水理学の2倍のボリュームがあるので、やる内容は水理学と海岸工学+気象学+河川工学って感じっぽい。とりあえず、中間2週間前の現時点で乱流の流体力学(ナビエストークスとか混合距離仮説)がだいたい終わった感じ。
こ流体が曲者で、日本だとどうもアメリカ方式の説明を採用してるっぽいんだけど、こっちの学校は予備学校でさんっざん数学やってるせいもあって説明が恐ろしく数学的。ベクトル解析わかってないとさっぱりわからん。というわけで、当時まったくわからなかったベクトル解析を勉強するはめに。日本から工学部でもわかる数学を持ってきておいて良かった。
でも、テンソルや発散、回転、ストークスの方程式やら、線積分やら面積分やら、なんかもう数学が弱い理系学生にとっては必殺技(やられる方)のような言葉が毎回ポンポン出てきます…。

連続式もナビエ微小立方体使ってちょっとテイラー展開して後は足し算で証明できるやーん。と何度思ったことか。

長くなったし続きは次回。

ちなみに黒字はうちの学科(都市計画)の開講授業です。

2010年11月22日月曜日

牧野富太郎

牧野富太郎と言われても、基本的には内藤先生の牧野富太郎美術館がまず最初に浮かんでしまう。

内藤さんが喋るのを聞いて、牧野富太郎がとても高名な植物学者、というのは聞いていた。

wikiによると日本の植物学の父」といわれ、多数の新種を発見し命名も行った近代植物分類学の権威である。その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作として残っている。小学校中退でありながら理学博士の学位も得て、生まれた日は「植物学の日」に制定された

であるらしい。
その後も、特に牧野富太郎のことは意識していなかったのだが、先日、ほんのふとした折に自分のスマフォのマーケット(アプリおとす奴)で日本語のソフトが使えるのではないかという発想に至った。考えてみれば日本でもギャラクシーは展開しているみたいだし当たり前なんだろうけど、フランスで携帯を買ったというのもあって、何故かそういう発想は全く生まれなかった。

携帯でおとすアプリは時間つぶし用の下らんゲームとかだったのだが、家計簿のソフトを落としながら、kindleみたいに青空文庫の本、読めるんじゃない?と思って検索したら見事にヒット。

かくして、青空文庫リーダーをゲットしたのである。

ちょうどおとしたアプリはランクトップ500のデータがそのまま保存されているというもの。

あ、そういえば牧野富太郎…とかあるのかなと検索したら引っ掛かったのが

”植物一日一題”という本だった。

どうやら、真面目な植物の本ではなく、植物の命名の解説を軸としたエッセイ風の本であるようだった。

一つの植物ごとに話が変わるので非常に読みやすいし、なによりこの人の書く文章が非常に面白い。

文章の言い回しも面白いし、毒吐きがすごいのだ。

まだ、1割程度しか読んでいないのだが、思わずRERに乗りながら笑ってしまったのが次の文章。

狐ノ屁玉ヘダマ)、妙な名である。また天狗テング)ノ屁玉ヘダマ)という。これは一つの菌類であって、しかも屁のような悪臭は全然なく、それのみならずそれが食用になるとは聞き捨てならぬキノコ(木の子)、いやジノコ(地の子)であって、常に忽然として地面の上に白く丸く出現する怪物である。

植物学としての権威っぷりはわからないが、まったく興味の無い植物の名前を扱っただけの文章なのにぐっと惹きこまれる。

下は、ちょっと長いが、”キャベツ”についての全文である。おいおい、牧野先生そりゃひどくないですかwwwというくらいの毒っぷりである

キャベツ、すなわちタマナを甘藍カンラン)だというのは無学な行為で、科学的の頭をもっている人なら、こんな間違ったことはしたくても出来ない。
いったい甘藍とはどんな蔬菜かといってみると、それは球にならない、すなわち拡がった葉ばかりの Brassica oleracea
L. で、その中の var. acephala DC.(無頭すなわち無球の意)がこれにあたる。すなわち前々から葉牡丹ハボタン)といっているものである。これはその葉が牡丹の花の様子をしているからそういうのである。これは結球しない品だからこの品を呼ぶハボタンをタマナすなわちキャベツに用うべきでない。ゆえに甘藍はキャベツすなわちタマナではあり得ない。
右のキャベツすなわちタマナは Brassica oleracea
L. の中のものではあるが、これは葉が層々と密に相包んで大きな球になる品で、学名でいえば Brassica oleracea L. var. capitata L.(この capitata は頭状の意)である。
キャベツはキャベージ(Cabbage)の転化した言葉である。この Cabbage とは大頭の意であって、これは熱帯椰子類の数種の新梢芽が頭状に塊まっているので、本来はそれを Cabbage といったものだ。そしてこの
嫩芽わかめ)は食用になるものであって原住民は常にそれを食べている。そこで Brassica oleracea L. var. capitata L. へこの Cabbage の名を借り来ってそのタマナを Cabbage といったものだ。それがすなわちキャベツである。中国ではこのタマナを椰菜ヤサイ)と称する。それはもと Palms すなわち椰子類のものが Cabbage であるから、それでこれを椰菜としたものだ。が、この椰菜の名はあまり我国では使用しなかった。ただしその椰菜へ花の字を加えて花椰菜ハナヤサイ)となし、それをハボタンの一種なる Cauliflower の訳字となし、これは今日でも普通に用いている。今それを学名で書けば Brassica oleracea L. var. botrytis L. である。(botrytis とは群集してふさ)をなしている状を示す語)。
以上のようなイキサツであるから、このタマナ、すなわちキャベツを甘藍とするのは見当違いであることをよく知っていなければならない。古い学者、技師連 などは古い書物に書いてある間違いの影響を受けてその誤りを引き継ぎ、今日でもなお甘藍をキャベツ、すなわちタマナと思っているのはまことにオメデタイ知 識の持主であって、憐れ至極な古頭の人々である。総体物は正しくいわなければいかん。知識の奥底を見透かされるのはいっこうにゴ名誉ではござんすまい。

 



こんな感じで、微妙にマニアックな植物の知識がついたようなついてないような気がする、ちょっと珍しいタイプのエッセイ。自分はこういうアカデミックなのにいやに面白いエッセイに出会ったのは初めてかもしれない。

ついつい、寝る前に目覚ましを設定しつつ、1,2話読んでしまう魅力的な本である。

無料で読めるし、なかなかおススメです。

2010年11月21日日曜日

La nuit blanche

音量に注意


随分と、時間がたってしまったが、上の動画は10月頭に行われたLa Nuit Blancheというイベントでのインスタレーションである。

La Nuit Blancheは徹夜という意味。
この日は、パリ市内(他の地方でもやってる)で文字通り徹夜でインスタレーションを主としてアートやダンス、コンサートなどが行われる。
シテ島周辺、北東部、西部の3つのエリアで200個近いイベントが行われる。

全て無料。

しかも、パリ市が主催なのである。これがなかなか凄い。

アーティスト達も出店料は払っているのだろうが、夜間警備、アーティストの出典など全面的に市がバックアップしているということ。

まっこと大胆である。おおみそかとヨコハマビエンナーレを足して割ったような感じかな…。

そう、だから、メトロも動く。もともと1時2時までやってるのだけど、その後も5時まではストが起こらなくて有名な14番線と東西を結ぶ9番線が動いてくれる。

そんなバックアップを受けて行われるイベントに、助教のO崎さんの親友でパリで建築家として働いているK内さんという方と、その奥さん&成り行きでその奥さんのお友達とY大とでぐるぐる回ることになった。

19時頃からご飯を食べ、21時過ぎくらいからぶらぶら回り出したのだが、もうそれはすさまじい人の数。
ちょっとおもしろそうなパンフレットにでかでかと書いてあるイベントはとんでもない行列ができているのである。
多分まともにならんだら30,40分待ち。結局そういうのはみなかったのでどんなのが行われたのかはわからないけど、街中はこれでもかというくらい人で溢れていた。
下の写真は先の動画にも挙げたけど、サムソンのバックアップによる立体構造のインスタレーションの投影である。プロジェクター2台でなんでこんな動き作り出せるか全然わからなかったけどすごかった。
シテ島とサンルイ島というセーヌに浮かぶ二つの島を結ぶ橋で行われていたのだけど、下の人の多さがわかるだろうか?


とにもかくにもこんな感じでどこもごった返しながらイベントをやってるのである。




これは、パリ市庁舎にいろんな国の言葉でありがとうか愛してるかそんなのを飾ったライトアップ。正直普段のライトアップの方がカッコよかったけど…

後は、よくわからないけど謎の言葉をひたすら唱え続けるインスタレーションとか、小さな画像を壁に投影する奴とかetcetc

世界遺産の日でも感じたけれど、パリの人達はこういう文化イベントが本当に好きなんだなとものすごい感じた。

K内さんの奥さん、アーティストの方なのだが、彼らは自分の文化とかアイデンティティを良くわかってるのよねーというのが印象に残った。

無料であるから、気軽にいける。
街中の到る所でイベントをやるので、街中を良く歩く。結果としてさらに街の気付かなかったところに気付く。
アーティスト側も場所を提供してもらえるし、相当な大多数の人に見てもらえるから認知度は高まる。そのインスタレーションをみて、また芸術が好きになる人が増える。

素敵な作用が生まれている気がした。

パリ市の大胆さとパリ市民に憧れを抱いた、とても印象的な日。

1時になってそろそろ郊外線RERがなくなろうかという状態になっても人が減る気配はなかなかない。

K内さん達と別れて夜中の2時頃になって、ようやくすいてきたノートルダムに入ることができた。
これは、普段建物の中でしかみれないステンドグラスの輝きを、中からライトを放つことで外からステンドグラスの模様が見えるようにしようという企画。

中は下の様な感じである。これはまた、これでとても幻想的で印象的だった。





 日本にもこういうイベントがあれば、もっと美術とかの愛着が増すしいい機会だと思うんだけどな…。
アートイベントを細々とやるも、かなり小規模で良い相乗効果は生まれてない気がする日本の状況を振り返ってみると、 文化大国の維持を見せつけられたようで、感動半面、悔しさ半面。 文化資源やってる人にはぜひこの時期に訪れてもらいたい。
最後は肉体的にぼろぼろになりながら4時の深夜バスに乗って我が家にかえり、泥のように眠ったのでした。

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2010年11月19日金曜日

超ひも理論についての疑問

こんにちは。

今は特別授業週間で農業と水資源の間 みたいな授業やってます。
とりあえず灌漑をいかに効率よくやるかみたいな、ミクロスケールでの農業技術には興味がないことが判ってしまいました。ていうか単語わかんねーよ。すげぇ目を輝かせて解説される分余計悲しくなってくる。
食糧問題とか、もう少し広範囲のこと、水文学的なことはすごい楽しいんだけど…。



まぁ、それはいいとして、最近飯食う時に暇かつテレビもないのでにこにこで20分くらいのものを見てるんですが、たまたま”超ひも理論”の動画を見まして。

前から多少興味あったので(特に宇宙論)、ふんふんと思いながら見てたのだけど、やっぱり良くわからないことが多数。


とりあえず、見た動画の中で自分なりにわかったひも理論においては(間違ってたら教えて)

・量子力学には3つの力がある(強い力、電磁気力、弱い力)

・小さい世界の量子力学と宇宙レベルを扱った相対性理論を結びつけるための統一理論が必要

・アインシュタインが統一理論を作ろうと、がんばっていた。ひも理論はそれを解くものになるかも?やも?

・”ひも”は量子よりもはるかに小さいひも状の振動するエネルギー的なものである

・ひもの次元においては既存の4次元に加えて量子レベルで巻き取られた6次元=計10次元が必要。

・巻き上げられた6次元は小さすぎて普通の視点では見えない=認識できない。

・仮定する質量ゼロの粒子=グラビトン。量子レベルで重力を伝達する粒子

・この6次元の自由度が組み合わさってやれひもの動きや振動のパターンを決めている=フォトンとか電子も生み出してる

・M理論によってプラス1次元になって結局、計11次元によって構成されている。

・その結果、ひもだけじゃなくて膜までできた。(=メンブレーン)

たしか、ここまでは5次元の宇宙でもちょっと読んだ気がする。以下は・・・自分にはカオス。

・膜理論においては、宇宙もまたさらに高度な次元の膜の内部にあるごく微小な空間である(なんで?)

・ひもには閉じてるものも紐みたいなのもある(なんで?)

・端のひもはみんな膜にくっついてる(なんでだーーーー?)

・閉じてるもの=グラビトン。グラビトンだけは他の空間に行きき可能(…涙)

・それを検証するために加速器がある

・あと、超対称物質が必要

という感じの流れでした。

まぁ後半全体を教えてもらいたいのだけど、以下のこと、知ってる人がいたらわかりやすく教えていただけないでしょうか?

・なんで、宇宙を逆戻しして、最初の一点まで戻すと既存の理論だと理論崩壊しちゃうの?

・量子力学のうちの、放射線崩壊をつかさどる弱い力ってあんまイメージがよくわからないけど、どういう作用が働く力?

・なんで閉じてるひもと端のあるひもがあるの?

・膜のイメージがよくわからん(ひもの次元が1個加わって平面的になったのはわかるとして、膜にひもがくっついてるってなるのはどーして?)

・グラビトンはなんで質量0でもいいわけ?あまりに質量が小さいから無視できるレベルだったってこと?

・グラビトンが加速粒子機で衝突した時別次元に逃げるかもって言ってたけど、別次元に逃げるってどーいうこっちゃねん?

・リザ=ラングドンだっけ?あの人の5次元の宇宙を途中まで読んでそのまま本を日本においてきちゃったんだけど、ひも理論つかってるのになんでラングトンだと5次元ですむわけ?なんかまくがうんたらってのはちょっと書いてあった気がするんだけど…


質問だらけで申し訳ないですが、知ってる人、ぜひとも教えてくださいな。全部まとめてとかじゃなくて全然いいので!お願いします!

結構気になってます。飯食う合間にみるものじゃなかったw
あと、物理学者頭良すぎてもうよくわからない。世界のイメージが付きにくすぎる。
街の研究で良かった…。

2010年11月16日火曜日

あれこれ

そういえば、数日前の枝野氏の発言”「与党になって、こんなに忙しいとは思わなかった。『政治主導』とうかつなことを言い大変なことになった。」にはマスコミが変に切り取ったにしても、本当に失望した。

官僚に対してもあまりに失礼だし、国民に対してあまりに失礼。
国動かす覚悟ないのか?
こいつら、どういう責任持って野党時代に与党叩いてたんだ?
そこらの批評家と一緒じゃないの…。

そして、国として外交的に修羅場を迎えてるだろのに国内では責任転嫁と与野党の足の引っ張り合い。
マスコミも、とりあえず何かが動くように、気を引くような動きに乗っけられるだけ。

こーいう時に国家が試されるんじゃないの?みてて悲しく なる動きだな…。

政治問題に対して大衆が色々親権に考えだしたって意味ではいい経験なんだろうけど、どんどんボスの言う悲しい未来に近付いているのは嫌だな…。

2010年11月11日木曜日

万国共通

今日の授業が終わってのこと。

たまたま、授業が終わって帰ろうとする俺とゆーだいと、これからさらに授業受けに行くカーラというドイツ人の女の子とヘタというフィンランド人の女の子とばったり。

こっちではとりあえず元気?というのがまぁ当たり前みたいな感じなので、とりあえずカーラがヘタに元気?と声をかけた。

まぁ、たいがいはoui ça vaと、元気と答えるのだが、どうも彼女は応募してたインターンの書類審査に落ちてしまったらしく元気じゃないとのこと。

しかも、話を聞いてるとどうやら受かった子のことを知っているらしく(フィンランド人限定のインターンだったらしい)、その子がまた、全然何にもできない子だそうな。

ヘタ曰く(以下、口調からニュアンスを読み取って日本風にしてます)

あの子は、ほんとに自分じゃなんもしないんだよ!
前だって、計算難しかった―とかいいながら、でも友達(男)がやってくれちゃった。とかいって。
ほんっとに何にもできない子なのになんであの子が受かるんだろ。もう最低…


みたいな感じだそうな。
みんなでそれは残念…みたいな顔をしてたのだが、

そこでそんな残念そうな顔してたカーラの一言…。

hmm,,,Elle est jolie?

訳すとすれば

そっか。。。彼女、美人なの?


このタイミングでなんていう一言www


そしてヘタは残念そうに、だが、こちらの予想通り

oui うん

と答えるのであった。


その瞬間何故かカーラの矛先が変わる。

あー、もうだから男の子は…!そうやって甘やかすからその子みたいなのが出てきちゃうのよ。
ヘタが落ちたのはあなた達のせいでもあるわよ!


!!


何故かいつの間にか責められる俺とゆーだい。

いやいや、そこ俺等関係ないから!

と思いつつ、たじろぐばかり。



ちなみに、カーラもヘタも普通に美人だと思うのだけど。

ていうか、2人が日本いたら、ちやほやされると思うんだけど…。

どこの国も、そういうのってあんま変わらないのね…。まさか国を超えてフランスでドイツ人に可愛いだけで甘やかすなと怒られるとは。




そして、まさか、あんな慰めるタイミングで、彼女美人なの?なんて質問が飛び出てくるとは思いもよらず。

完全にツボにはまってしまった。女の子は強いねw

2010年11月9日火曜日

貨物、航空の授業。

こっちの都市・交通でおもしろいなと思うのは、貨物に関しての授業が結構あること。
授業は取ってないけど貨物の授業2つくらいあった気がする。

東大は自分が見てきた限り、貨物とかをやってる先生って殆どいないっぽいし、I田先生もいつかの社会人講義で貨物の研究者が少ないことを嘆いていた。

 さらに言えば、空港関連にしても、空港のインフラ、国際交通(飛行機とか)に関する授業があったりする。

やっぱり東大にはない授業。


ポ ンショセ土木はフランスの土木を担っているので、仏が貨物や空港に力入れてるというのがこういうとこにも出てるんじゃなかろうか。
エールフランスがKLMを買収したこともあって、アムステルダムの港のネットワークとオランダ・フランスの飛行機のネットワークもあって、貨物はかなり拡大したはず。
そして、空港としてのシャルルドゴール、オルリーはヨーロッパの中でかなり巨大な空港(今ヒースローよりも大きいのかな?)

日本は、ここ数年のアジア諸国の台頭で港湾も空港もアジアの覇者の座を奪われてしまった。
東大土木や東大都市ってのは日本の土木とか都市の方向性を担っている部分はある(教育は大事だし、研究者がいるかどうかも大きい)ので、こういうところが実は効いてるんじゃないかと直感的には感じている。

同じようなことは資源とかにも言える気が。
レアアースの輸入問題でわーわーもめてたけど、資源学科はあんま人気ないみたいだし(シス創の人気は資源の人気ではないはず)。

国のトップの大学が力を入れてるかどうかってのは、国の方向性を決めているか、或いは国の方向性から大学の力の入れ方が変わるのでは?にわとりと卵でどっちが先かわからないけど。

そーなると、こうして開講されている授業を見ていても国家戦略としての違いが出てきている、、、ような気がしないでもない。

日本の場合は、一度資源にしろ貨物にしろ力を入れて、ある程度発展した、潮流がおわった時点で縮小して今に至るって可能性は否めないのでそんな安直に結びつけることはできないかもしれないけど、実際にこっちの学校に来て体験した結構重要な感覚なのではないかと思っている。

2010年11月7日日曜日

困った。

またもや余裕がなくなってきたぞ…

色々書きたいことはあるのだけど、全然やれる余裕がない。記憶がはっきりしてるうちに授業のこと、nuit blancheのこと書きたいんだけど…。

時間の使い方がまずいんだな。

んー、とりあえず明日はもっと勉強しないと色々全然間にあってないぞ…。

このままだと気付いたらフランス語の伸びも微妙なまま、流れに身を任せてるうちにクリスマスバカンスになってしまう。

2010年11月1日月曜日

美術館について思ったこと

日本の美術館や歴史的遺産は若者に対してもっと門戸を開くべきだと思う。今回スペインを旅して、そしてフランスの状況を振り返って改めて痛感した。

・ヨーロッパの美術への門戸の開き方

EU圏に住んでいる学生だとパリの美術館はほとんどお金がかからない。
オルセー美術館も、凱旋門も無料。
ベルギーの王立美術館は学生だと立った2ユーロ。プラド美術館も半額だった。ピカソのゲルニカがあるソフィア王妃美術館は無料。

ヨーロッパで学生をやってるとかなり気軽に美術館に足を運べる。とても入りやすい。

自分が高校生の時に留学した時は18歳以下だったのでほとんど全ての美術館が無料だった。
金を払ったのはカタコンブくらいか。あの時は4ユーロ位とられてケチくさいな!と憤慨していた思いがある。

・いかにして美術に関心を持つのか?

話は脱線したが、この”入りやすさ”は美術においては非常に大事なものだと思う。

美術に興味を持つかって、膨大な作品の中で、ごく少数のハッとさせられるモノに出会えるかどうかで決まると思うから。


そもそも美術に最初から興味をかなり持っている人など極少数だろう。

自分だって今でこそそこそこ芸術関連に興味があるけど、小さいころなんて興味のかけらもなかった。日光の修学旅行に行っても日光の良さなんて何も分からなかった。(それを感じたのは12年後だった)

じゃあ、どうやって興味を持つのか。

大概の人は、何気なく美術館に行っているうちに気付いたら、美術っていいかもって思ったか、ハッとさせられる作品に出会った結果、美術に興味を持ちだすんじゃないだろうか。


・入場料という壁

さて、そうなると沢山の作品を抵抗なく見られるかどうかというのは非常に効いてくる。

その抵抗の一つは間違いなく入場料金であろう。

まず、金が高かったら入らない。
学生で興味がないのになんで夕飯食えるような金を出してわけもわからん作品を見ないといけないのか、となるのは当然だろう。
ただ、それが0ならまぁ無料だしってなるだろうし、2ユーロならケバブよりも安いしちょっと時間つぶしにという気持ちになるかもしれない。日本なら吉牛より安いならまぁいいかもってなるかもしれん。
とにかく抵抗感は圧倒的に少なくなる。特に若い、金の無い学生にとっては。


・入場料における期待値というもう一つの壁

この第一の大きな壁を超える人はちょこちょこいると思う。何気なくニュースにつられて、美術好きの友達に誘われて、デートでetc

ただ、ここにはまた次の壁がある。これが結構問題なのだが、高い金を払って行ったところで感動するとは限らないのだ。

そうなると、期待値以下のものしか得られず、せっかく金払ったのになんだよ!となる。

これまた当然である。

けれど、美術館に行けば必ずいい作品に出会えるわけじゃない。

個人的体験に基づくが、実際興味を持って美術館に足を運ぶようになっても、行ってあぁいいなぁと感じる作品は多分1割にも満たない。

大概は、ふーん。で終わる。

更に困ったことには、美術館が掲げる有名な作品だからといって別に感動するとは限らない。

例えば、今回行ってきたプラド美術館で見た、かの有名な受胎告知はさしたる感動も抱かなかった。(ついでにいうとプラドにエルグレコの受胎告知があると思い込んでた。)
モナリザも別に感動した記憶はない。


けれど、ふらふら歩いているとおぉ、この絵なんかいいなぁっていう作品にふと出会う時がある。


この瞬間が極めて大事なのだ。

いつあるかわからないけど、自分にとってピーンと来る作品があったりするのだ。


これに出会えると、あぁ、金払って見に来たかいがあるなぁとなるのだろう。

多分だけど、この少数の自分に感銘をもたらす作品に出会えるかどうかで美術に対して興味が広がるかどうかが決定づけられると思っている。それがあるかないかでその後、美術に興味が出るかどうかが別れるはず。

この、美術に対する種みたいなのが芽を出すかどうかは宝くじみたいなものなのかもしれない。


けれど、興味がある自分にとっても実際にいいなぁと感じる作品はごく少数なのだから、元々興味がない人が関心を持つ確率はもっともっと低いはず。

となると、興味の無い人にとってはより当たる確率が低いくじを毎回引くようなことになるわけだ。

入場料が高いと、単純に得られたものが0どころか、期待値以下だったというマイナスのイメージになってしまい、よりいっそう距離を置いてしまう。1300円も払って期待外れだと時間も金も無駄にしたとかなり悔しい思いをさせられる。ついでに言わせてもらえば日本の美術作品を見る環境は終わっている。あんなにゴミゴミして並んで、人だかりをかき分けて見るなんて狂っている。


一方、料金が安いと期待値も少ないので、いい作品に出合えなかったらさっさと帰ればいいし、まぁこんなもんか、次にいいのがあればなぁとつなげられる。それで逆に感動する作品に出会えたなら、それは大いにプラスに働くだろう。


・現状の日本

長々と書いたけど、こんなわけで”入りやすさ”はとにかく効いてくる。

フランスは少なくても18歳まではほぼ全ての美術館が無料である。
だから、もし旅行に行って時間ができたらとりあえず覗いてみるはず。
いずれ書くつもりだが、nuit blancheのように徹夜でアートイベントなどが行われたりすると、パリはものすごい人だかりになる。彼らのアートへの関心は日本人のそれよりはずっと高い。

そして、残念ながら何気無く入って、あぁ美術館って良いかもって思える環境が今の日本にはあまりに整ってない。

大学になるとキャンパスメイトで例えば国立博物館などは無料で入れるようになるが、この時にはもうすでに興味の無い学生は足を運ぼうともしない。(そもそも、このこと自体があまり十分に告知されていない。)
自分は美術なんて興味ないよーと言って敬遠されてしまう。だから、もっと若いうちにそういう環境に親しみやすくしておかないといけない。


・海外の美術館のおかげ?

さらには、ここ最近友達と話していたり、スペインを旅行したりして思ったのだが、日本人ってこういう美術に対する門戸を他国や他国からのイベントに随分任せているのではないかと思い始めた。

例えばパリに観光に来た人は恐らくほぼ100% ”とりあえずルーブル美術館”に行く。
それが興味があろうが無かろうが、とりあえず行ったことが大事と友達はパリに来た時に行っていた。オルセーもしかり。ポンピドゥーもしかり。

地球の歩き方を見ていたって、例えばマドリッドだったら3大美術館の特集がなされているから当然それで足を運んで行く。

その結果、あ、美術っていいかもって気付く人とかが多いんじゃなかろうか。

自分もそう考えるとフランスにいる間に無料で美術館回りまくったのが、結果として絵画に対して興味を抱く結果をもたらしたのではないかと思っている。
少なくても自分にとってはオルセーで見たルーアン大聖堂を、実際に目の当たりにした時はとても感動したのを覚えている。


別に、それが悪いことだとは思わないし、結果としてそれで門戸が開かれるのはいいことだと思うけど、かなり限定されてしまうし、海外旅行という大きな壁を越えた人にしかそのチャンスはない。

・悪循環

日本にだって貴重な資源は沢山あるだろう。
北斎も広重もあるし、海外の作品だって、例えば国立西洋美術館やポーラ美術館なんてすごい良い作品が沢山ある。
国立博物館の常設展に行けば風神雷神図も見れる。
けれど、いかんせん門戸はこっちの国のように開かれていない。

開かれていないから結果として一部の人間しか興味が持たないから、枠は広がっていかない。

結果として興味を持たないまま大人になってしまうから、さらには政策を決める側にそういう人達がいないとよりいっそうこういった美術面は重視されなくなってしまう。(実情は知らないが、政策決定側にだけ美術に興味を持ってる人が沢山いるってことはないだろう)。

となると悪循環は続く一方。

日本の美術関連への風当たりは非常につらい。

どこで転換期を迎えるのかはわからないが、どこかで転換しないと益々文化が弱まってしまうのでは?

仕分けなんかで採算性格だけで判断されたりするのはあまりに愚かだし、こういうことが起きるのはこの国の文化面の疎さだと思う。いいもの持ってるのに。

フランスも終わってるとこは沢山ある。書きだしたら止まらない。が、こと文化面に関して多いに見習うべきではなかろうか。

もう、ひたすら成長を目指す時期じゃなくなったし、成熟してきた日本にとって、こういう側面は本当は大事なものなんじゃないの?と切実に思う。