2012年5月26日土曜日

music life. コンサートレビュー

昨日は、知人の姉がピアノを弾くというのに招待されて、生まれて初めてピアノデュオコンサートに行ってきました。

考えてみれば、プロのピアノを聞くこと自体が今回初めてだったのです。

しかも今日のコンサートは現代縛り。ライヒだって名前はしってるけどさ、程度。吉松隆はギターしかしらないし、という中行ってきました。
コンサート、素晴らしかった。いわゆる敬遠されがちな現代物なのに、すごいすっと入りこめました。

とてもとても素敵だったので、いくつか曲をご紹介。

まずはスティーブライヒのピアノフェイズ。ミニマル音楽の創始者ですよね。なんというか潜り込ませてくるのに、ある一線を越えるとピアノからひっぺがされるような、不思議な空間。

そのあとのソロがまた素晴らしかった。一目ぼれしてしまうカッコよさ。
fitkinのrelentという曲。頭から離れない。こういう、一度聞いた時にビビッと来る曲に出会えることってのは至福だと思う。


もうひと方が弾いていた、こちらは癒しの極地のような曲。
誕生日のロマンス、吉松隆
本人の音とすごいマッチしていた。優しい音だった。

同じく吉松のランダムバード変奏曲。架空の鳥ランダムバードについての曲らしい。
吉松は響きというかメロディの中に何かを見出そうとした人なのでしょうか。


アンコールは天使の死。


およそ、こんなのもう聞けないだろうというような攻めのプログラムに酔いしれる一日。

二人の音の質が全然違っていて(ピアノの差もあるのだろうけど)、一人は鋭く、低音でゾクっとさせるような力強い切れ味のよい日本刀みたいな音楽を、もう一人は、優しく母性と愛にあふれた丁寧な音を、と一見かみ合わなそうな二人の音が見事にマッチしていて、らいひのピアノフェイズの時は比較的同質だった二人の音が、ソロを挟んでもっと離れて行きながらも、奇妙なバランスでマッチし、ランダムバードとアンコールの天使の死で絶妙な塩梅に。


新しい音楽との出会いが沢山あって、興奮してなかなか眠れなかった。
ピアノと比べるとずっとギターにゾッコンだった自分としては、あぁなんと素敵な愛人を見つけてしまったことか。

自分で音楽の壁を作ることなく、新しい音楽に積極的に出向いていこうと感じさせてくれる日だった。
是非、コンサートがあれば足を運んでみてくださいな。

http://ameblo.jp/arasakinarumi-piano/entry-11212036831.html





2012年5月17日木曜日

そこはパリだった

突如前のボスと先輩に、今パリにいるから!という召集がかかり、神楽坂のオサレなお店に及ばれしてきた。

神楽坂のお店といえば基本的に自分では入れないお店ばかりなので、いつも遠巻きに路地を散歩だけして、いつか!と思っていたのだが、大学7年目にしてついに足を踏み入れることに。

お店のフランス人はもうみんな日本語がぺらっぺらだったんだけども、先輩に言われて注文をフランス語で取った後から、フランス人の対応がフランス風に。

いろんな事は日本語でいうんだけど、お勧めのワインは?っていったら

これ!と店で一番高い5ケタのワインを指差すわ、なにも開けてないボトルをいきなりだして、はいよっとかいうわ、お会計でこれはチップ代金ね!というわ、まぁなんともフランスらしい、あのどうでもいいウソを言ってくる感じに対応が変貌した。

会話は途中から日本語だったけど、明らかに接客はフランスのそれだった。

この人間臭い(うさんくさくもある)感じが、やはり惹かれるところなのだ。

大層おいしいワインとお肉とチーズを食し、そのうち自分も後輩を連れてこれるようになれば、とか思いながら神楽坂を後にする。

しかし、2年ぶりくらいに神楽坂にきたが、なんとまぁ魅力的な街なことよ。

地上に出た瞬間のあの明りと街路で既に再度惹き込まれている自分がいた。

また、遊びに来よう。 回遊研究しなくては。

2012年5月15日火曜日

地球が何回回った時

はい、それいつ言ったのー?
証拠はー?何時何分何曜日?地球が何回回った時?

という意味がわからない無茶な難癖をつけて、相手の言ったことを否定するという理不尽極まりない遊び? が子供のころ流行ったのをふと思い出した。

ので、友達に聞いたら隣の隣の県の友達も知っていた。

ありゃ、なんだったんだろうかとふと思う。

そういや、
お前、ほんとにそれ言えんのかー? 命かけられんの?

とか

人の言った事に被せて ハイ、ブー、ハイ、ブーというもう鬱陶しさの極みみたいなのもあった気がする。

そもそもなんでこれ系のどう考えても理不尽としか思えないセリフが流行ったのかもよくわからないのだが、

今考えると子供ってのは、他人に対して突然自分のルールを貸すのがなんて上手いのだろうとか感心してしまった。
外で遊んでる時だって、二人で話しながら突然ルールが次々と出来上がって相手を巻き込んでいくとかよくあった。

となると、子供のころはあんなにルール作りのプロであり、そのルールを簡単に覆す外交術を持っていたのに、どうしてオトナの世界になると海の向こうのやからどもにルールを作られ、それを簡単には覆せず、土台に乗ってから適応策を探りだすのが上手い人達になってしまうのか。

本来の日本の子供たち(世界中もそうなのかもしれんけど)が成長すると、 ルール作りが上手い西側の海の向こうのやからと、ルールを転覆させる暴走車の東の覇者みたいなのが減っちゃうのかなとか思っちゃうわけですよ。

今、これを書いた瞬間が1時21分であっても、それが何回地球が回った時かは、今までもこれからも答えられないままなのです。

地元といふもの

あぁ、いつの間にか2カ月も経っていたのか。
ブログ読んでいますという声で、ほっぱらかしにしていた事実にしていた蓋がぱかっと開いたので何を書こうか少し迷ったのち、ふっと出てきたものでそのまま書き進めることに決めた。

別に自分は流浪人でもないし、帰国子女でもなく、長く川崎に住み続けているのだけど、あまり地元という感覚がない。

先日何をとちくるったか、ふとした折に家から二子玉川まで歩いてみようと思い立って散歩に出た。
さらに何を思ったかせっかくなので今まで歩いたみちではなく回り道をしながら行こうと、最短距離である多摩川を下るだけ、というルートは外してあえて街中を通りながら二子玉川を目指す。

10分も歩けばそこはもう自分が知る町ではなかった。こんなところにこんな小さな商店街があるのか、とかこんなところに工業高校があったのか、なんて小さな発見が次々出てくる。途中疲れて脱線をやめて、川沿いをのんびり下りながら二子玉川までいったのだが、帰り道も同じように途中まであえて脱線をすれば、中小企業や製造業、生コン工場がひしめきあう地区に出会う。生コン工場は大きいのでいくつか知っていたけれど、ここまで小さな会社が沢山ある地区があるなんて、なんてやっぱり知る由もなかった。もはや隣の隣町なので、しらなくて当然と言ったらそうなのかもしれないけれど。

が、どのみち自分は地元を知らない。

小学校を過ごした町と今住んでいる町は違うし、中高を私立で過ごし、大学も東京の方にいってしまったので、地元の飲み屋で飲んだことが実はほとんどない。

駅のすぐ近くに結構流行っている感じの和食系居酒屋があるのだが、そこだってもう7年間毎日目の前を通り過ぎているのに一度だって入ったことがない。もちろん、酒が飲める年齢になる前に引っ越してしまったこと、両親が飲めないので居酒屋に行くことがないっていうのはもちろんあるんだけども。

地元の人、なら地元でおいしい店も、地元のおいしい居酒屋もそりゃしってるだろーよ、とか思いながら10年近くすんでいる今の地より、自分が知ってるのは江古田だったり、本郷だったり、下北だったり渋谷だったりするわけだ。それこそ実家周辺よりパリのほうが圧倒的に勧められる場所が多い。
結局自分が学生として活動している場所の方が極めて印象深い。

そーなると俺が住んでいる場所はここだけど、自分が知ってる場所は極めて少ない。

となると、地元は川崎で、なんていうけども、「おいお前、地元とはそれなんぞや」、みたいな気持ちにならないでもない。

この地の歴史も知らなければ、誰が住んでいるかもよくわからない。

コミュニティがほとんど(自分には)ないこの場所は 地元 となんだろうか。


演習課題でいつか描いた、自分の家の周りを表現する という課題で、僕は自分の風景だと思える場所というテーマで、自らの風景だと実感できる場所と知らない場所でグラデーションをつけて平面図を描いた。あれから2年して、自分の地図に今はたしてどれだけ上書きして濃い色をつけられるのか、と思ってふと振り返って壁を見たが、なかなかうまくは行かないらしい。

5年後、また地図を描いたら今度はどうなっているのだろうか。外から見て、もう少し知ることができるようになるんだろうか。

その時、この場所は自分の地元になるのだろーか。

もやもや。