2011年10月11日火曜日

国際空港24時

先月末の新聞で切りぬいてた記事でシャルルドゴールについての面白い記事があった。

記事自体はロワシー(シャルルドゴールのこと)の夜間空港制限を求めるデモが明日あるよ!っていう記事で、夏場窓を開けて眠れない近隣住民とかが文句を言っている記事なのだけど、その中に色々とデータが出ている。

パリには国際空港が2つあり、シャルルドゴールとオルリーの二つがある。前者はパリ中心から25キロ、後者は16キロである。ちなみに成田は50キロくらい離れていて、羽田が20キロ程度だったかと思う。

ロワシーは24時間空港であるのだが、23-6時の間の夜間飛行便が160便あるらしい。

最も、国際ハブ空港として、フル稼働させることは競争力維持のために必要不可欠だと僕は思っていた。

しかし、なんと、ヨーロッパ最大のヒースローは夜間便が僅か16便しかないらしい。これは意外だった。ヨーロッパの覇権を取るのに必ずしも24時間フル稼働で運営しないといけないと言うわけではないのか。

ドバイなんぞ行けば空港はリアルに24時間運営していて、深夜1時について深夜3時に出発、なんぞざらである(ていうか日本に帰ろうとするとこの便になる)。まぁ、これはヨーロッパに照準を合わせてるからだろうけど、それでもハブ空港、を目指すならそれが必要なのかと思っていた。

夜間飛行が成田のように制限されているオルリーと違ってロワシーはフル稼働。このままヨーロッパ一を取るにはもっと滑走路を増やし、さらに24時間体制が必要ではないか!と言われているくらいである。 日本だって、羽田がついに深夜便を運航し国際空港!の名を再び冠したところであるのに。あのヒースローは違うのか、と。

最もパリの場合はFedexのハブになっているらしくて、空港内に8haもの基地を持ち、夜間に200カ国へ飛行便を届けるための貨物空港もかなり出ているので一概に述べることは難しいのだけれど。

この先恐らく、フランスは、例え騒音問題があろうとも、(既に24時間の運営が成り立っているので)ロワシーはこのまま24時間を続ける事がメトロポールパリとして重要なのである!と言うであろう。記事の中で東京は夜間飛行禁止命令が田舎(成田を指しているw)でも出ているじゃないか!というコメントがあった中、今後の国際競争の中で、空港の運営時間というのはどういう風に規定されていくか、というのは非常に興味深い。



2011年10月5日水曜日

パリ史①

今学期はちょっと暇になったので、ミニブックのHISTOIRE DE PARISというパリ史についての本を読み始めました。
以下は備忘録的なもので、4,5ページ分くらいの内容をツイッタ―で呟いて、それをまとめたものです。なんとか早いうちに読み終えたいものだけど。


パリの昔の名前はルテチア。近辺の堆積層から取れる鉱物などを得ていたらしい。紀元2世紀ごろから今のシテ島に城壁を作り、橋を2本通した。それ以外の 島々では先頭のギルドが支配者層となっていた。シテは交易の交差点として、税をあつめ、商業が行われていた。今のマレはかつての河道

そのうちカエサル率いるローマ軍にうち負かされる。その後はローマお決まりの土木開発。ルーアンやMelunに向けて道が作られていった。次なる発展はセーヌ左岸に向かうのだが、これは現在のマレが湿地体で、増水被害を受けにくい理由でまずは左岸から発展したらしい。

三世紀になるとキリスト教が流行り出し、フン族の進行を撃破し、5世紀末に王国を気付く。その後、キリスト教の流行によりサンジェルマンデプレなどの教会 が建設。7世紀末には王がクリシーに宮殿を設置したことにより衰退するが、ノルマンディーの進行を経て再び威厳を取り戻すのだった