2010年12月4日土曜日

公共意識

こっちにきて、改めてだけどくすぶっていた公共のあり方の”ずれ”みたいのが昔よりはっきりと感じられるようになってきた気がする。ただ単に自分が勉強不足だからな気もするんだけど、まぁそれはしょうがない。

今まで旅行してきてなんとなく感じてた違和感が、人と喋ったり、現状を見ていると多少具体化してきたような感じ。

この国の公共の考え方はなんだか日本のそれとは違う。

パブリックスペースはみんなのもの、だからみんなの所有意識がある。
というのはこっちでも同じなのかもしれないけど、彼らはだからって積極的にそこを綺麗に使おうなんて気はさらさらない。みんなゴミもポイポイ捨てるし、気付いたらゴミを拾ってみたいな意識もない。

コミュニティも、日本みたいな自治会組織は聞く限りだとないそうだ。
アソシエーションという、趣味クラブみたいなのはフランスには沢山あるそうだけど。だから、ボランティア活動みたいなのが沢山作られる形で、それに国から補助金が出たりする。しかも自分達がやりたいことをやるのでみんなやる気に満ちているそうだ。

じゃあ、誰もがやりたがらないことは一体だれがやるのさ?
 日本の自治会みたいにみんなで嫌なことも多少協力してやるもんじゃないの?掃除当番とかさ。

との自分の問いに

それは、公共がやる仕事でしょ?

という一言がさらっと返ってきたのだが、自分にとってはえらく新鮮な返答だった。

だから、マンションの前の清掃も、隣三軒両隣を毎日掃くというちょっと昔の日本の良き伝統?も存在しない。

パブリックスペースも、管理するのは公共。

誰もがやりたがらないことをやってくれるのが公共サービス。だからそこに税金が発生する。
ちょっとわかってない部分もあるけど、大まかにはこれがフランスのロジックのようだ。

そういえば、こっちの国は掃除当番なんて存在していない。日本だったら小中高で掃除をするなんて当たり前だったけど。。。

コミュニティ薄弱と言われている日本だけど、フランスには日本が言うような地域の”コミュニティ”みたいのはあまりないんじゃないだろうか。まだ観察をしたわけじゃないからわからないけれど。

となると、今”公共意識”をとか、”市民に所有権を” といった考えは完全に日本オリジナルのものなんだろうか?何を規範にして目的設定がされたんだろうか。

こんな疑問を抱くのは、日本が目指すパブリックスペースの理想像に欧州のそれが見え隠れするように感じてしまうからなのだけど。

つまり、目指すべきパブリックスペースや風景の姿には欧州のそれが見え隠れしているけど、でもそれを作っているパブリックのあり方や風景の在り方欧州のそれとは違う。
 
どうもここにすごい奇妙なずれ。ねじれが発生してるように感じる。
ねじれが発生してるのは自分の頭の中だけかもしれないけれど…。

そういう、日本が昔持ってた自分の公共への愛着心が明確に見えた風景と、今目指してるものはやっぱり違う気がするんだよな。なんか見えないところでねじれを強引に抑えつけてしまっているかのような。

公共物に対する愛着とかそういう意識ってフランス人にあるのかなぁ。 どっちかというと支配意識みたいな感じがするんだよなぁ…。和辻哲郎の風土みたいな。

スタート地点はきっとパブリック=全ての人のもの なんだけど
・日本はパブリック=全ての人のもの→だから、みんなで管理して、愛着もいつのまにか生まれる→それが内包される風景に
・フランスはパブリック=全ての人のもの→だから、公共が税金の対価に責任を持って管理する。それを自分達の所有物として使えるのはわれわれの権利だ!→それが内包される風景

のような感じなんじゃないかなぁ。それなのに、今の風景は何故かそこの最後の段階でフランスやヨーロッパのそれを取りこもうとしてるような図式が発生しているかのような…


愛着を持ってそこから風景を作るって考え自体は温かみがあるし、田舎の縁側で見られるようなコミュニティのあり方は非常に好きだ。
でも、それを発展させていってもできる風景は欧州のそれのような理想像とは違う気がするんだよな。
かといって、欧州の様なコミュニティのあり方が本当に日本に適合しうるものなのか?適合させうるものなのか?ということには疑念が残る。これはなんとなく肌で感じる違和感。

しかも、コミュニティ概念が変わりつつあり、元々あったコミュニティ概念と欧州のそれとの間でなんか宙ぶらりんになってるような日本の都会とかで、例えばそういうことをやると結果としてできる風景はどういうことになるんだろう。

篠原先生も著書で仰っていたが、日本のオリジナルはどこにあるのか?と問を立てそれに対して城下町だと答えていた。
随分ゆっくりとした足取りだけど、3年前の字面からの納得ではなく、思考の末にとりあえず辿り着いた気がする。それが本当に正しいのかはまだわからないとして。