2011年5月27日金曜日

ぬてらといふもの

ヌテラ。

フランスに一定期間いて、ヌテラを知らない人がいたら、ペテンか、よっぽど外に出ないで引きこもって他者との交流を避けていたに違いない。

それくらい、ポピュラーなヌテラ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8C%E3%83%86%E3%83%A9

それは、イタリアのフェレッロっていう会社が生産しているへーゼルナッツ系のチョコクリーム。フランス人が好きすぎて3年前までフランスの製品だと勘違いするくらい、絶大な人気を誇るアイテムである。


フランス人は、ヌテラが本当に大好きだ。
いや、もう信じられないくらい。たまに、アホみたいな大きさの瓶が売ってたりする。
ヌテラを塗りたくってる時の子供は良い顔している。
パンに塗る時は食パンの表面が見えなくなるくらいヌテラを塗るし、クレープ屋でもチョコクレープと並列してヌテラクレープがある。
あの白いラベルに赤い文字は本当に無視できない存在なのだ。

最近は日本でも輸入食料品店で見かけるけど、昔はそこまででもなかった。
3年前にイタリア旅行してる時は某メンバーで何故ヌテラが日本には輸入されないのか真剣に議論をしたほどである。

まぁ、そんなヌテラについてのちょっと面白い、そして割とどうでもいい情報を授業で教えてもらったのでここでちょっと公開。
なんともまぁ限られた人にしか役に立たない、いや限られた人にとっても役にはたたない情報か。


ソースはフェレッロのロジスティックのコンサルやった人である。
で、今回聞いて、驚いたこと。

①ヌテラ最大の工場はRouenにあるということ。毎日とんでもない量のヌテラがノルマンディーで生産されて、そこからフランス各地に運ばれていく。
ちなみに、フランスのヌテラ工場はフランスには一つしかなくて、ここからフランス内の4つの倉庫を使いながらベルギーやフランス各地に輸送していく。
ルーアンに近いルアーブルというフランス最大港には一日3,4回へーゼルナッツを詰んだコンテナがやってくるそうな…。おそろしや。

そう、これで、ルーアンは、ジャンヌダルク処刑の地、モネの連作大聖堂がある地に加えて世界で一番ヌテラを生産する場所という新たな称号を得たわけだ。

②他者には真似できない味
ヌテラの模造品ってのは酷い味らしい(その場にいたフランス人の友達、及びその先生曰く)。コカコーラやケンタッキーみたいに、特許は出さずに徹底的な情報管理からその配合を秘密にしているのではないらしい(ていうか、上記二つはこれであってるよね?)。
というよりは、ヌテラの場合はヌテラに使う種類のある特定のへーゼルナッツについては、ほぼ全てフェレッロ社が買い占めているんだそうだ。独占による他者の模倣の阻止。
まぁこの独占によって、ヌテラという単語はフランス内で絶対的な地位を保っているわけだ。コカコーラに対するペプシみたいな存在も聞いたことがない。


②フランス人のチョコ消費量は北部が多い
これは、ケーススタディで見てたものなんだけど、フランスにおける二大チョコ生産時期(クリスマスとイースター)のデータを見ていると、フランス人は北部(パリ、リールなど)でのチョコ消費量が圧倒的に多いらしい。後はマルセイユ、ニース、ボルドーなどで他の都市はそこまででもないそうな。地域によってヌテラの売り上げも結構違うみたい。やっぱ寒いからなんだろうか…?
データで、君等はチョコ好きすぎって、示されるのってちょっと恥ずかしい。

というわけで、とある種のへーゼルナッツの絶対的覇者フェレッロは、ルーアンというエンジンを起点にチョコが大好きな北部フランス人にヌテラを全力でばらまいている、というお話。

多分、3人くらいにはツボだったんだと思うんだ。

2011年5月15日日曜日

パリを考える-petite pause- パリ?Paris?巴里?





どれもこれもみんなれっきとしたパリ。意図的だけどね、もちろん。
多くの日本人からはきっと抜け落ちているだろうけど、これも立派なパリ。

でも、多くの観光客が滞在して”完成”するパリのイメージにこれらの風景は入って来ないだろう。じゃあ、上の風景たちは一体何なのか。
パリであってパリでない?
シンボル達が作り出す”Paris”はparisなんだろうか。

東京も似たようなシチュエーションではあるけれど、パリのParisという強烈なアイデンティティという光の陰に隠れてしまった場所は単なる付属品なのか、それとも 影があるからこその光なのか。

cela me trouble.
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2011年5月10日火曜日

パリを考える4-パリ市のプロジェクト①:歩行者政策


パリはフランスであり、フランスはパリである。


そんなことが言えてしまうようなこのパリという象徴的な存在。

全ての道はローマに通ずというが、パリもそれに当たるくらい全ての交通の結節点になっているし、第2の都市リヨンとは圧倒的な力の差がある。

パリというのは他の地域と違い、パリという市が独立で存在している。
所謂カタツムリの殻をなす20区に加えて、東西にある2つの森がパリ市だ。

13-20区は新たに追加されたことは以前にも書いた。

グランパリという国家主導の中央集権的かつトップダウン的なプロジェクトが動いているが、そのフランスを象徴するパリというのもまた、強力な力を持って次々とプロジェクトを行っている。

東京も、安藤さんを中心に東京に風を入れよう、埋立地に森を!とか色々アイデアを提唱しているが、パリは大胆極まりない。

正直、この歴史都市によくこんな大胆な手を加えられるものだと感心する。

意見好きなフランス人だからかわからないが、大規模プロジェクトをやる時は、フランスは公開討論などを経ないといけない。その割には結局行政の力が強くて(或いは民間が反対しないのか?)、とにかくガーンと劇的な計画を行ってしまう。

その代表的な例はVelib'だろう。一日1.7ユーロで30分以内ならで自転車乗り放題というあれである。
ここ数年のうちにパリに来た人は、到る所に自転車ステーションがあったのを目にしたに違いない。街を歩いていれば嫌でも目に付く。目につかなかった人は、パリ、ちゃんと見て回った?と疑問を呈してしまう。それくらいパリ中に整備されている。
今では当たり前のVelib'だが、実は僕が初めてパリを訪れた7年前には存在しなかった。それが、あっという間にパリ中に広まった。
パリで劇的な成功を収めたベリブシステムはフランスの到る所で見かけられるようになった。

これは自動車削減政策を掲げるパリ市長ドゥラノエのおかげであろう。ゲイでも有名なパリ市長であるが、かれは自動車削減プロジェクトや歩行者優先のプロジェクトを次々と経ちあげている。
そのうちのいくつかのプロジェクトを歩行者政策に焦点をしぼって以下に簡単に紹介したいと思う。

projet les halles(chatelet)

les hallesは新宿みたいな場所だ。交通の要所であり、3本のRERと5本の地下鉄が交差するパリ最大の交通要所である。パリ郊外からパリにやってくる場合このles hallesを通るのが普通だ。パリのど真ん中にある大きな広場を歩行者のための公園にして、駅とショッピングモールと公園を結び、パリの玄関としての新たな顔を作ろう、というのがこのプロジェクトである。

②セーヌ岸
もうひとつ市長肝入りのプロジェクトはパリのセーヌ岸の解放である。
現状
今現在はセーヌ川の両岸というのは観光客としても大事な場所なのだが、車の通りも非常に激しい。これに市長が決断を下し、セーヌ左岸道路は完全に歩行者空間に、右岸も車道を大幅に制限し、セーヌ川岸を開放し、歩ける岸を作ろう!というものである。
2002年から夏場にセーヌ岸に砂浜を作っていたが(僕はまだ見たことない)、これの延長線上であろう。車は環状通り或いはリボリ通りなどの大きな別のブルバードが吸収してくれるだろうという見込みで車利用者の反対を押し切って?再来年には実現される一大プロジェクトである。
将来図
日本で言うと目白通りとか山手通りを完全シャットアウトするような感じだろうか?
工事規模としては大きなものではないが、パリのあり方をラディカルに変えてしまう。こんな大胆なこと、東京じゃなかなかできないだろう。

③バスティーユ広場の開放
バスティーユ広場と言えばかつてバスティーユ監獄があったところ、そしてパリ市民の誇りであろう、フランス革命が起こった場所である。僕は世界史の知識に非常に乏しかったのでこっちにきてからしったけど、市民が火薬を奪うためにバスティーユ監獄を襲撃したのがフランス革命であり、パリにとって非常に大事な場所だ。

しかし、パリの大きな広場は基本的に全て交差点になっており、その中心まで歩いて行くのは事実上不可能に近い。凱旋門にいくのも地下道を通らないといけないし、バスティーユもナシオンもコンコルドも、中央にあるシンボルの周りは道路という屈強な壁に阻まれている。
そのバスティーユ広場から車を排除して市民に開放しようというプロジェクトである。


これらのプロジェクトはパリと言うイメージを少なからず変えるだろう。今ではまだパリは車中心の街だが、これらのプロジェクトが進行していくともっと歩行者の街というイメージが定着するかもしれない。
パリは小さいとはいえ、これでも200万人を抱える大都市である。良かれ悪かれ、このようなプロジェクトを一気にやってしまうのがパリである。



元々、ヨーロッパは大胆なことをやってのける風潮があるようには思う。ストラスブールで大胆に歩行者中心政策で中心街から車を排除し、トラムを使ったまちづくりを行ったり、コペンハーゲンのストロンハイエでも同じく中心街から車を排除し、歩行者のまちを作って、街に活性化をもたらした。或いはグッゲンハイム美術館を作ってイメージを変えたビルバオ。このような例はあるが、パリはそれに比べて遥かに大きい町。フランスが誇る首都である。それでもこのような大きなプロジェクトが起こる。

いずれのプロジェクトも、正直東京じゃ考えられない。もちろん、東京はパリに比べて遥かに大きい。それはわかっている。パリ圏(パリとその周辺を含む)の人口は1千万規模だが、東京は3600万(横浜など含む東京から50-70キロ圏内)である。とはいえ、例えば山手線内の人口はパリと同じくらいであるし、パリの面積より山手線内の面積の方が小さい。
安藤さんはそんな山手線内は全て車を排除してしまえばいいじゃないか!と言っていたが、僕は残念ながら東京がそんな姿になる姿は微塵にも想像がつかない。皇居周辺道路が全て歩行者空間になることだって想像だにしない。
東京と言う街を変えるのは一筋縄ではいかないだろう。シンボルの一つであろう東京駅の復元でさえ、随分長期間委員会で話し合っていたみたいだし、結局金がなくて、空中権を売って両脇に巨大な高層ビルが建つことの引き換えにようやく東京駅はかつての姿を取り戻せる、という具合だ。



逆に言えば、パリにおけるこのような大きなプロジェクトは市長や大統領の力によって断行されてしまう。

利権関係でなかなかどうにかプロジェクトが進行しにくい東京と、パリと果たしてどちらがいいのだろうか。
例えばグランパリのように、工学的には地下鉄の需要予測が期待値の半分しか成り立たないと言われているプロジェクトも、やる!といったら実行されてしまう。

セーヌはパリの顔である!といって車を撤去したパリと、お金もないし東京の中心のはずである日本橋の高架高速道路を撤去できない東京。

相互に憧れる都市でありながらそのあり方は全く違うように思える。



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