2010年9月24日金曜日

プチエピソードs

フランスに来て3週間が経った。

あっという間。怒涛の勢いで日常が過ぎ去っていきます。


エピソードをちょこちょこ。


@学食

学食はとても良い。
学校の生徒だとカードをもらうんだけど、それがあると全てのメニューが2.24ユーロ引き。

普段の定食(ハンバーグと野菜)+パンで3.72ユーロが

あれよあれよと1.48ユーロになるじゃない。

ユーロが安いので180円くらい。すばらしい。

味は東大<<ポン<東洋大

てな感じだけど、中央食堂より安いしうまいので文句なし。ラロッシェルの時よりも飯うめぇ。

加えて、フランス人の適当さが発揮されるので普通にレジのうち忘れがあったりする。

今日は2.7ユーロのオムレツと80セントでフルーツポンチの小皿を取ったのだけど、前に並んでいた友達はカウントされているのに俺のレシートには表記なし。

時折こういうことが起きる。

本日のお昼代46セント。

豚麺より安いですよ…。
(因みにカフェテリアのカフェは43セント。カフェオレは68セント)


@メガネ
視力検査したら0.6、0.8とかでメガネをかけた方がいいから病院に相談に行きなさいと言われた…

たしかに卒論期あたりからかなり視力下がってる実感はあったんだけど、裸眼で今まで耐えてきたのでいざいわれるとショック。

卒業するのは学士と修士だけで十分だったのに裸眼も卒業になりかけてます。

社会保障の申し込みが終わるまではいかないけど、こんななら日本で作ってくれば良かっただよ…。

@授業

先週は学科旅行で、今週は再びフランス語。

今週は、プレゼンしよう!みたいな流れになったので毎日le mondeとかから先生が抜粋してきた自分の専門に関連するテキスト2pくらいを2~3分で発表する+10分のプレゼン(パワポ)をやりつつビデオみたりなんやり。

ミニプレゼンがなかなかきつい。語彙がないので読むのが遅いうえ、専門に関連する言葉なので割と丁寧に単語も調べてるのでこれやるだけで1時間半とかかかる時もある。

先生は滅茶滅茶いい人だし、5分野に分かれてる自分達のためにそれぞれ興味ありそうなテキスト毎回探してくれたりと、一切文句はないんだけど、社基のレポートラッシュの生活がずっと続いている感じ。

@ビュッフェ

僕らはポンにとってパイオニア。初年度が大事ということで昨日日本人7人(別のプログラムで4人来てる)と今度日本に行くフランス人と、日本語の先生と、事務の人やチューターに加えて在仏日本大使館の方までやってきた。

30人くらいいたのかなぁ。

たまたま隣に座った人が大使館の方で、フランス語はどこで勉強したのみたいな話になったので

「フランス語はちょっと高校でやってて、学校の交換留学で2カ月ラロッシェルにいたこともあったんです」

「あ、武蔵とか?」

!!

「そうです。」

「僕も、中高で6年フランス語やってたんだよね」

「…ギョーセイとかですか?」

「そうそう、僕、インタークラスだったんだよね。」

!!!!!!

てわけでギョウセイ→インター96の方でした。国交省から今は派遣でこっちにきているらしい。

大使館から2人やってきたうちの一人がインターなんてねぇ。まさかあんなところで会うなんて思いもよらなんだ。

日本語の授業にも参加することが決まったのでラロッシェル時代の再現が起こりそうな。


@フランス語

とりあえず、ラロッシェル時代のピークを超えた気がする。そう考えるとあの時は大したことなかったなとか思うけど…まぁしょうがないよね。自分のせいだし。流石に着いたばかりの時はやっぱひどかったみたいで、事務の人達にフランス語大分伸びてるわよと言われた。
とりあえず、もう当時の勘が戻ってないからまだ駄目だ―みたいな言い訳はできない段階になりました。
こっからは地力をほんとにあげてかないと。


本格的授業開始まであと10日くらい。

あひゃー。

2010年9月22日水曜日

Grand paris

まだまだ勉強不足なので、判ってないことも多いのだけど

grand paris計画って結構本郷キャンパスの現状と近いんじゃないかなーと思ったり。

Grand parisはパリをもっと大きくして、今の外枠を取っ払ってもっと拡大していこうみたいなのが基本概念なんだけど、パリの外延部(高速道路がringとして走る縁あたり)に次々と高層ビル計画が立ちあがっている。

理由は、極度の住宅難。

パリに学生が住むのは比較的楽(高いけど)だけど、社会人がパリに住むのはそれはもう大変で大変で、高いし探すの大変だしともうとんでもないことになっているそうな。

というのもあって日本と同じようにベットタウンに住んでたりする人が多いのだけど、パリと日本の違いはパリの中心部は美術館の様な街であるべきだから高さ37m以上のものは基本的に立てない!ってのが方針だった。(日本も前は31m制限だったから、むしろこっちの方が規制厳しかったんだよね)

パリ内部でひとつ頭飛び出ているモンパルナス駅(59階建て)に我も続けと周縁部で4つほど高層ビル計画が立ちあがっているらしい。
一度はリーマンショックで立ち消えたけど、今のままだと計画は進むのではなかろうか。

ラ・デファンスにも新しいシンボルとなる塔が立とうとしているし、パリは過渡期にある。

本郷も、住宅難なのは同じ。すでに飽和状態で塀もありこれ以上広げられない中、敷地を増やすには縦に伸ばすしかない。

土地がない理学部がびよーんと延ばした結果が安田講堂の景観破壊。駒場の18号も似たようなものだけど。

今、歴史的建造物だった工学部3号館が取り壊されている。
多分、これからも垂直思考自体は続くのだろう。学際プロジェクトで新しい部屋はどんどん必要になるわけだし、分野も多様化していくわけだし。

まぁ、東大の建物なんて関東大震災後のたかだか70年じゃないというかもしれないけど、
歴史的な街並みと言われるパリも、キーとなる建物は確かに古いけど、普通に街並みを構成するオースマンが建てた5階建ての中庭付きの建物達は19世紀末に建てられてるからまだ120,130歳くらいなんだから、そこまでものすごい差があるわけじゃない気がする。

それをあまり感じさせないところがパリの凄いところなのかもしれないけれど。

城壁を取り壊して外に広がっていくのか、垂直思考を続けるのか。地下に潜るのか、街の保護のため住宅難には我慢をしてもらうか。スケールは違うけど、考えるべきことは割と同じだしとても深いきがしてならない。

とりあえずは、もっとオースマン計画についてしっかり学んでgrand parisについても理解を深めないとな。

2010年9月20日月曜日

Journee Du Patrimoine

今週末はjournee du Patrimoineです。文化遺産の日…って訳すのか?まぁいいや。

とりあえず普段は入れないところ(国会議事堂とか大統領の住んでるエリゼ宮)には入れたり、美術館が無料になったりとまぁなんとも文化政策に金を使うフランスらしいイベント。

スペイン人とフランス人とゆーだいと言ったわけだけど、スペインはこんなに派手にやらんとのこと。

スペイン人が、カーラ・ブルーニがエリゼ宮にいて写真とってくれるらしいから行こうよというので、OKと軽く約束して8時半に寮の入り口に集合したわけです。

この時点ではさっさと写真撮って午後はコーヒー飲みながらカフェで勉強して、ポーランド博物館?でショパンのコンサート45分聞いて帰ろうとか思ってた。

そう、それはあまりにも甘い見込みだとはこの時はつゆ知らず。


で、9時ちょいにエリゼ宮に着。

ちょっと並ぶのかな―と思ったら

あほみたいに並んでます。

ここは特別展やってる東京の美術館か?と思うくらい。

現実はそれよりもっとひどくて、結構入口近くに既に2時間待ちとの表記。

自分達がいるのはその遥かはるか後方。こりゃ何時間待ちだい?と

ぶっちゃけ大統領夫人と写真撮ることにそこまで意欲がなかったのでこの時点でちょっと帰りたいなぁと思ったものの言いだせず。

4時間待ちかなぁとかそんな話をしたりゲームしたりして2時間。


結構進んだのかなぁと思ったら

ここから4時間待ち


という悲しい現実を突きつけられる。

フランス人の友達の中国人2人と合流した時点でもはや帰るに帰ると言えず完全に諦め。

一人は日本にいたこともあって日本語が結構喋れるのと、フランス人の友達はインターンで中国に行ってたのもあって、その後もフランス語中国語日本語入り混じって会話。




・…


そう、そしてようやく、ほんとにようやく

17時半頃にエリゼ宮着。

厳しい荷物チェックを受けてようやく知る。

サルコジ夫妻はアメリカなう。


7時間。

今日一日を無駄にして、わざわざ並んだのに、いないの?ていうか何しに来たのさ僕ら。

しかも、あんだけ並んだのに入口入ったら入ったで庭でまた長蛇の列が。

絶望しつつ、日本で首相官邸公開とかなったらこんなに並ぶんだろうかとか激しく疑問を抱きつつ、拝見。

インテリアにはあまり興味がないので歴史あるイスやら色々あるな―へーへー。とか思いながら見学終了。

身も心もぼろぼろになってカフェで一休みして寮に帰宅。

12時間のミニトリップ。

こんだけ並んだの生まれて初めて。
そして最初で最後だと思う。

来年もjournee du patrimoineの時はフランスいるけど、エリゼ宮だけは絶対に行かない。

jamais.....

2010年9月18日土曜日

TGVとストラスブール

9月12日。
学科旅行にいざいかんとして冷蔵庫の中を空っぽにすべく調理をし、12時43分(とこの時は思っていた)電車に乗ろうと、11:54分に着く電車に乗る。

準備万端と思ってRERに乗ってリヨン駅へ。

行先はストラスブール。

Eチケットだったのだけど、さらになんか発見しないといけないのかな?ともって自販機でがちゃがちゃいじるも何もでてこない。

なんかおかしい。

そして、電光掲示板をみると、電車がない。

あれ?



慌てて時間をチェックすると出発時間は12時24分

この時12時7分とか。

ていうか、駅、リヨン駅じゃなくて東駅だ。

パニック。

パニックですよ。ていうかもはや間にあうとは思えないものの、僅かな望みをたくして駅員に最短の行き方を聞いて、
RERで1駅進み、4番線に飛び乗る。

たまたま、運よくRERが来て、

4番線も階段駆け上がったその瞬間にメトロがやってきた。

rerも5分おきとかだし、メトロの次の電車は7分後。乗り遅れてたら確実に遅刻。

その後はここから6駅。

日本の感覚だと既にles hallesで12:13だったのでもうオワタと思っていたのだけど、パリのメトロは駅ごとの間隔がすごい小さいので何とか20分に到着。

ホームをダッシュしてなんとか、2分前に奇跡的に到着。

しばらくは自分の持ってたeチケットがコンポストしないといけないのかよくわからなくて焦っていたけど、それも無事解決。

余裕ぶっこいて50ユーロをパーにするところだったのでほんとによかった。


日本で言うと、東北新幹線に乗らないといけないのに品川に行っちゃった感じなんだろうか。
基本的に東京・上野・品川と全部山手線で一本で移動できるのに対して、パリの国鉄は一個一個が離れている上に、だいたいが乗り換えをしないと着けないので結構大変。
中心街にはその代わり線路はない(メトロとバス)のだけど、旅行する側からしてみると、例えば南西部からやってきて今度は東へ~なんていうと基本的に30分くらいは覚悟しないといけない。トランク持って階段をあがるのはなかなかしんどい。
日本だったら東京駅まで新幹線で行ってそのまま東北新幹線とか上越新幹線乗ればすぐなのでそこでの負担の度合いはだいぶ違う。

今回はバックパックだった上にホントに運がよかったのであれだけど。

そんなかんだで疲れてTGVではぐっすり寝て、ストラスブールへ行ったとさ。

みんなが乗る電車より一本早かったので一人ストラスブール観光。


結構大胆なリノベーション。嫌いじゃない。

さて、ストラスブールはトラムで中心市街地活性化をした代表的な街

としか知識がなかったので

さっそくトラム。


この街はトラム導入をきっかけに中心市街地への車を排除し、駅の整備も景観を考慮しながら行ったはず。
トラムのデザインもカッコ良くて、窓の開口部が非常に広い。割と頻繁に来るので便利。

中のデザインも結構カッコいいんだよね。

中からも景色がすごいよく見えるので結構楽しい。
こういう細かいことが実は結構大事なんじゃなかろうかと思う。

ドイツ国境沿いの町なので、ドイツっぽい木造の建物とか、煉瓦の色がちょっと独特。

小さいけどなかなか可愛い町。ただ、2時間くらいで飽きる。

うーん、意外とブログ使いづらいな。mixiのが便利な気がしてきたぞ。