2012年9月5日水曜日

農家日誌③


作業は早朝・午前・午後の3セットで合計10時間ある。(たまに9時間)

これが週6で1セット、がスタッフ。毎日スタッフやバイトに指示を出す雇い主は5~10月のシーズンずっとこれが続くのだ。。農家の人はほっとんどみんな腰をやられてしまうそうだ。本業じゃないので自分は申し訳ないが途中で辞めさせてもらったけれど、彼らはそうもいっていられない。


早朝が一番大変だ。収穫は時間との戦いなので3時間全く休憩がない。


農家の朝は早い。といっても自分のところは早すぎるわけではないので、5時から作業が始まる。早いところは2時からライト当てて作業するんだとか…

5時には実際に作業を始めるのと、車で畑まで行かなくてはいけないので10分前には動き始める。長靴をはいたり、レインコートを着たりなんだりで15分前には外に出なくてはいけない。

従って、4時半に起床。まだ外が少し薄暗い。4時半なんぞ、普段は起きれたものではなかったが、作業が終わると疲れて寝てしまい、すぐさま前にずれこんでいく。

悲しいかな、東京に戻った瞬間にその健康的生活リズムは無に帰した。


早朝は必ず収穫を行う。そのほとんどがレタスからだった。理由としては恐らく朝露とかがついていてしなびてない状態が良いのと、予冷の時間の関係だろう。

なんとなく、早朝に収穫した野菜はそのままその日中にすぐさまトラックで運ばれて市場に行き、そこで冷やされて後はスーパーまで、と思っていたのだが、野菜は出荷物によるが、いたみやすいものは基本的にまずは予冷庫で芯までしっかり冷やさなくてはいけないらしい。その方が結果として鮮度を保てるからだそう。
近所の農家数件共同出資をして予冷庫を持っていた。もちろん、JAに出すのであれば入れなくてもそのままJAに出荷すればJAの冷蔵庫に入れられるのだけど、ここは後述。

さて、レタス畑に行って、女子チームと雇い主がひたすらきって並べていくレタスをウォッシャーでまず汚れと茎からでる白い液を洗い流し、ケースや段ボールに詰めていくのだ。

多い時には段ボール100個分(なので、1200個は詰めていることになる)。急いで詰めて、段ボールを次々とトラクターに乗せていく。

レタスも出荷先によって色々規定があるのだ。
~さんには12個詰め。ここは11個。JAなら12~14で10kgになるように、などなど。

とにかく中腰になる。日にっては10kgの段ボールを詰めて運んでまた詰めてというのを1時間半ほど繰り返していく。


レタスが終わると今度はサニーレタス、或いはトウモロコシ、大根など。その日の注文や野菜の成長度合いによって決まるらしい。他の野菜は他の野菜で色々箱詰めまでの工程があるのだがここでは略。

作業はとりあえず8時まで続く。

8時になると朝食だ。

ここの農家は随分長いことバイトさんを雇って作業をしていることも会って、バイト用にコンテナハウスやアパートがあり、食堂もある。

食堂でバイトやスタッフ、家族と合計15人程度で一緒にご飯を食べる。
雇い主の奥さんは主に料理を担当する。毎食15人分。
レストランとかにあるようなコンロが3つ。

やんちゃな娘をあやしつつ、毎食あんなに沢山作らないといけない。農家の嫁は大変だ。

ご飯を食べて、10分~15分くらい休憩するとまぁだいたい9時10分前になってしまうので次なる作業へ向かう。

午前・午後は別の野菜の収穫だったり、草取りだったり苗を植えたりする。早朝ほどのペースではなくて、3時間、4時間の作業だがちょっと休憩が入るから。

昼休みは2時間あるが、大概疲れて昼寝をしてしまう。

18時の作業後は19時に飯を食って、洗濯して、シャワーを浴びたら(湯船はない…)、1時間もすれば疲れて10時には寝てしまう。

二日目の朝、さくっと起きれるじゃん、と思った矢先、太ももの裏のありえないほどの筋肉痛(痛くてストレッチ出来ないほど)と腰痛を覚えた。

すっと起きれない。屈むのもしんどい。こんなのずっと続けられるの??と思いながらも作業に向かうしかなかった…




農家日誌②

訪れた農家には若いスタッフが沢山いた。

自分みたいに短期(数週間~数カ月)でやっている人、それから以前働いて今回は準スタッフとして働いている人が数人。合計平均6、7人。

雇い主は父の仕事を譲り受けてまだ30ちょっとすぎ。勿論父も母も農業を続けている。

北軽井沢は標高が高い(1000mクラス)なので非常に涼しくて、夜は布団をかぶらないと寒くて起きるほど。夕方は気温が20度程度だっただろうか。

高原野菜としてレタス、キャベツ、白菜などを中心に20種類ほどの野菜を作っているようだった。

自分が関わった野菜は
レタス、キャベツ、白菜、大根、トウモロコシ、サニーレタス(ちょっと赤い奴ね)、セロリと言ったところ。

最初に到着した日はすでに昼だったので、その日は最後の午後の作業だけ参加した。
到着してすぐ、どうだい?やるかい?とお父さんに言われ、すぐさま返事をしたので勝手は何もわからない。

最初にやった作業は草取りだった。

中腰で一人畝を2列分担当しながらひたすらビニール(マルチという)の隙間や野菜の隙間からでてきた雑草を抜いていくのだ。これが3時間。

後から知ったことだが、有機農業(特別栽培と聞いた)なので、化学農薬は使えないため、まずはマルチというビニールで基本的に土が出ないようにしてビニールで覆い、そこに穴をあけて苗を植えることで雑草をつきにくくしているらしい。(保湿や畝が崩れないようにする効果もある)
とはいえ、除草剤をまいていないのでどこからともなく奴らはやってきて、恐ろしいスピードで成長する。
こうなると邪魔でしょうがないので大体1度か2度、雑草を抜かないといけない。
田んぼだといろんな機械が入っているし、草刈り機とかのほうが寧ろイメージしやすいせかいなのだが、現実は非常なり。
とにかくひたすらみんなでのろのろ歩きながら雑草をしらみつぶしに抜いていく。そうしないと野菜は綺麗に育たない。

現代有機農業は虫に食われても、形が崩れても、小さいものも全て受け入れられない。

そのことを知った(というか認知しなおした)のは最後の方だったが、とにかく草取りってのが一番大事な作業だよという話を聞いた自分はとりあえず一生懸命草を抜き続けた。

ご飯を食べて翌朝、無事に4時半に起きた自分は何だ意外といけるじゃん。

そう思った。甘かった。僕がこの時働いたのは一日のうちの一番楽な時間帯、それも、たった3時間にすぎなかった。



2012年9月3日月曜日

農家日誌①

本当はし明後日までの予定だったが、腰を痛めて切り上げてしまった。

合計16日間。短いようで長い、精神と時の部屋のような体験。

学生最後の夏休み、僕は農家で働いていた。

とても貴重な経験だったので例のごとく飽きない限りここにまとめていこうと思う。

そもそも、なんで農家に行こうと思ったか。きっかけはいくつかあった。小さな刺激が相対となって今回の行動につながったと思う。

1つは授業。地味なもんだが、土木を学ぶ自分が農業に触れることなんぞ原則ない。農学部は道路を挟んだ別のキャンパスにあるし、教養の時も積極的に授業を取ろうとは思わなかった。

とある国土に関連する授業のゲスト講師が農学部の先生で、日本の農業の厳しさ(なんとなくはわかっていたが)を聞いた。ブランド化に成功し、輸出も行っている果実や肉がある一方でごく平均的な野菜は苦しめられていること、かなり厳しいことを聞いた。

そのあとは何があったのかあまり思い出せないが、M1になって自主勉強会をやった時のある時のテーマは農業についてだった。当時きいた、ブランド化に成功したもの、そして、鮮度の関係で海外の安い野菜には負けないものはこの先きっと生き残るだろう。問題はそうじゃない中間のものだという話をしていた。(結果としてこの前提は覆ることになる)

大きな変り目になったのは研究室の調査で行った大分のある市だった。そこで棚田の調査をしていた自分、と研究室が見ている美しい棚田、と実際に暮らしている人達からみた作業が大変で本当は続けたいわけじゃない棚田という現実に出会った。棚田の風景は美しい。本当に綺麗でだからこそ自分の中で咀嚼しきれない姿がそこにあった。

このあたりから、農家を体験してみたいという思いが芽生えていた気がする。

本を色々読んでみたが政策側、消費者側からみた話が多くて体験的に農業がなんたるか、を理解が出来ないのだ。


そして、フランスに留学中の休みを使ってスペインはグラナダに行き、住み込みで働く代わりに食・住を提供してくれるマッチングサイトがあり、きっと日本にもそういうのがあるよ?と知り合ったフランス人に教えてもらう。(今回僕が使ったのはボラバイト、というところである。)

留学中にインターンをし、知識と実践の相互作用の大きさを改めて認識した自分は、フランスに帰る前から最後、時間が取れる時に農家で働こうという思いを決意していた。

日本に戻って再び一次産業関連の本を読んでいた。

農家だけでない。林業も、漁業も、生産者(つまり末端)はみな厳しい立場におかれ、加工業者、流通業者、小売に対して圧倒的弱者でいる。資源関連もそうだ。途上国で資源を輸出し開発をしてもらっている国に対しては正直しっくり納得ができないところがある。

根源である資源(野菜も、魚も、木も、金属も)の価値ってのはあまりに低いんじゃないか?加工・流通などあまりに力が強すぎやしないか?どうしてこんなに安く僕等の手に物が届くのか?

あーした方がいい、こうした方が良いといった様々な提案は大概が消費者や小売など、下流側の人間達による意見が多いが、これって僕等の押し付けなのではないか?実際そんなことしている余裕が生まれる世界なのだろうか?(6次産業化とか、観光農園とか)

僕等消費者が見ている風景の裏にある農家の生活のリアルを、都市計画という世界にこれからつかる僕は想像できるのだろうか?今わからないままだとあの時棚田で感じた疑問をずっと抱え続けながら仕事をしていくことになるのではないか?

そんないろんな想いが混じって、最終的に北軽井沢にあるとある農家に行くことが決まった。