2012年9月3日月曜日

農家日誌①

本当はし明後日までの予定だったが、腰を痛めて切り上げてしまった。

合計16日間。短いようで長い、精神と時の部屋のような体験。

学生最後の夏休み、僕は農家で働いていた。

とても貴重な経験だったので例のごとく飽きない限りここにまとめていこうと思う。

そもそも、なんで農家に行こうと思ったか。きっかけはいくつかあった。小さな刺激が相対となって今回の行動につながったと思う。

1つは授業。地味なもんだが、土木を学ぶ自分が農業に触れることなんぞ原則ない。農学部は道路を挟んだ別のキャンパスにあるし、教養の時も積極的に授業を取ろうとは思わなかった。

とある国土に関連する授業のゲスト講師が農学部の先生で、日本の農業の厳しさ(なんとなくはわかっていたが)を聞いた。ブランド化に成功し、輸出も行っている果実や肉がある一方でごく平均的な野菜は苦しめられていること、かなり厳しいことを聞いた。

そのあとは何があったのかあまり思い出せないが、M1になって自主勉強会をやった時のある時のテーマは農業についてだった。当時きいた、ブランド化に成功したもの、そして、鮮度の関係で海外の安い野菜には負けないものはこの先きっと生き残るだろう。問題はそうじゃない中間のものだという話をしていた。(結果としてこの前提は覆ることになる)

大きな変り目になったのは研究室の調査で行った大分のある市だった。そこで棚田の調査をしていた自分、と研究室が見ている美しい棚田、と実際に暮らしている人達からみた作業が大変で本当は続けたいわけじゃない棚田という現実に出会った。棚田の風景は美しい。本当に綺麗でだからこそ自分の中で咀嚼しきれない姿がそこにあった。

このあたりから、農家を体験してみたいという思いが芽生えていた気がする。

本を色々読んでみたが政策側、消費者側からみた話が多くて体験的に農業がなんたるか、を理解が出来ないのだ。


そして、フランスに留学中の休みを使ってスペインはグラナダに行き、住み込みで働く代わりに食・住を提供してくれるマッチングサイトがあり、きっと日本にもそういうのがあるよ?と知り合ったフランス人に教えてもらう。(今回僕が使ったのはボラバイト、というところである。)

留学中にインターンをし、知識と実践の相互作用の大きさを改めて認識した自分は、フランスに帰る前から最後、時間が取れる時に農家で働こうという思いを決意していた。

日本に戻って再び一次産業関連の本を読んでいた。

農家だけでない。林業も、漁業も、生産者(つまり末端)はみな厳しい立場におかれ、加工業者、流通業者、小売に対して圧倒的弱者でいる。資源関連もそうだ。途上国で資源を輸出し開発をしてもらっている国に対しては正直しっくり納得ができないところがある。

根源である資源(野菜も、魚も、木も、金属も)の価値ってのはあまりに低いんじゃないか?加工・流通などあまりに力が強すぎやしないか?どうしてこんなに安く僕等の手に物が届くのか?

あーした方がいい、こうした方が良いといった様々な提案は大概が消費者や小売など、下流側の人間達による意見が多いが、これって僕等の押し付けなのではないか?実際そんなことしている余裕が生まれる世界なのだろうか?(6次産業化とか、観光農園とか)

僕等消費者が見ている風景の裏にある農家の生活のリアルを、都市計画という世界にこれからつかる僕は想像できるのだろうか?今わからないままだとあの時棚田で感じた疑問をずっと抱え続けながら仕事をしていくことになるのではないか?

そんないろんな想いが混じって、最終的に北軽井沢にあるとある農家に行くことが決まった。

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