2013年12月8日日曜日

火災報知機

随分、ブログを放置してしまった。
その間にもアクセスはちらほらあるみたいで、なんかすいません。

技術コンサルに入ってあっという間に8カ月。

ついこの間、初めて最初からかかわった仕事が1つ終わりました。

のだけど、仕事のことはまたこれからちらほら書くとしてリハビリがてら別の記事。


昨日、家で火災報知機を鳴らしてしまいました。

家で解凍した豚肉を炒めていたら事件は起こったわけです。

解凍した肉なので、水分がはねて油が飛び散るのはまぁ、ある程度いつものこと。

確かに、豚肉を焼いている時に、フライパンの脇から火があがったりして、なんかすごいなーと思ってはいました。(この時は、油が気化して燃えているということにすら気付いていない)

すると、突如トイレの方(台所に立って、右手突き当たりにある)から異様な音が。
その直後に、”火事です”というアナウンス。

軽いパニック状態になりました。トイレから火の手が上がるようなものはうちにはないし、そもそもトイレからそんな警報音でるような装置はないはず。

な、何が起こってるんだ!? という焦りと一方で料理しているので手が離せない。目の前のキッチンでは火事は起こっていないわけです。

数秒して、ようやく自分の後背部の天井に火災報知機がついていて、それがなっていることに気付きました。

火災報知機の点検も入ったことないので、どんな音が鳴るかもわかっていなかったのですが、ここで要約事実認識。

次の瞬間にこのままじゃ消防車きてしまうがな!という次なる焦りにより、どうやって報知機とめりゃいーんだ!という疑問に。

幸い、火災報知機の真ん中に停止ボタンがあったので事な気を得ました。

消防車に迷惑かけないでよかったよ。

そのあとで、部屋全体に煙が充満していることに気づいて、陰干ししてたスーツとコートをしまって、全部の窓を開放。

してたら、豚さんはちょっと焦げてしまいました…。(大変おいしく頂きました)

火災報知機にしても、地震警報にしても、不安をあおるような警告音を出すように設計されているので、それはもう気付く意味では効果的なんですが、その音が何かがわかっていない(=準備できていない)と、警告音それ自体が未知なる恐怖を生んでパニックを起こしかねない、という事実を体験したのでありました。


うちの家のコンロは結構強火力なわけですが、火をつけて、ごま油をべーっと引いて、解凍した豚肉をサランラップから一枚ずつ取ってフライパンにのっける間に油があったまりすぎて、中華料理的な状態になっていた模様。
いつもと同じつもりで料理してたんですが、今日はフライパンのあったまり方が凄かったのかなぁ。
これがてんぷらとかだったら火事になっていたのかもしれません。

皆様もお気をつけて。。。

2013年6月16日日曜日

奇跡のリンゴを読んで思う事

奇跡のリンゴ を読んだ。

恐らく学生時代に農学部の書籍コーナーでちょっと見つけたことがあったのだろう。よくわからないが、ブックオフの100円コーナーでたまたま目について4月ごろに買っていた本をふと読んでみた。

詳細は省くが、なるほどプロフェッショナルに取り上げられるだけの職人気質と、途中ぶつかる壁での苦労、それを乗り越えて生み出した奇跡の無農薬リンゴができるまでをドラマチックに描いている。

すこし、あまりにもシナリオが出来すぎているのではないかという部分すらあるがそこはよくわからない。

リンゴというのは非常に無農薬で作るのが難しい食物だそうだ。キュウリもそうらしい。他の有機野菜とは違って、ものの見事に病気や害虫にやられて花がさかなくなってしまうらしい。花がさかねば実は付かない。実が付かないと受粉に失敗したということで翌年の花が咲かなくなってしまう、という負の連鎖性があるそうだ。従って、農薬をまくというのはリンゴ農家にとっては常識だったそうだ。

それを、土にこだわり自然状態に近い環境を作ることで、無農薬での栽培を可能にしたという物語。

じゃあなんでリンゴは無農薬栽培ができないか?という話は奇跡のリンゴにはでていない。他に無農薬野菜色々あるじゃん?と思うのだけど。

当然本来なら知るよしもないのだが、たまたま読んでいる本でリンゴの特性が書かれていた。
マイケルポーランの「欲望の植物誌」という本でアメリカの植物関係のジャーナリストが書いている。彼は、非常に素敵な文を書く人である。名著、雑食動物のジレンマはとても面白いので是非読んでもらいたい。

閑話休題。

その本によれば、リンゴとは本来遺伝子の多様性があり、野生のリンゴは同じものが出来ないらしい。種から植えれば子供は全く別のものになっていくそうだ。味も、実の付け方も全然違う。
今あるフジみたいな我々がよく見かけるリンゴのブランドはしたがって全て接ぎ木である。甘いリンゴというのは品種改良によって作られ、それがクローンとしてずっと定着しているのである。その結果、遺伝子的な成長はないため、害虫や病気などに対して時間をかけて切磋琢磨することはなく、相手側だけがどんどん進化してしまうこととなった。だからこそ、農薬などでカバーしてあげないと耐えられない非免疫的な植物になってしまったのだそうだ。
(ちなみに、もう少し付け加えば、リンゴが当時アメリカで爆発的にはやったのはジョニーアップルシードと言われる男のおかげで、その当時のリンゴはまだ酒として飲むものであったからこそタネ生まれのリンゴがたくさん育ち、一気にリンゴが人間界での地位を握ったそうな。しかし、実を食べることが主流として定着した今、リンゴは再び脆弱性を抱えるようになった、というお話。)

そんなわけで、リンゴには農薬が不可欠である。
だからこそ、木村さんはキセキと言われている(はずなんだけどそこはさらっと流されている)。
という話があるとプロフェッショナルとしての凄さがもっと聞くんじゃないかなぁとか思ったり。

とはいえ、そんな奇跡を起こした木村さんは、自信の劇的な生き方と相まって、今ではちょっと成功に満ち溢れたかのように書かれている。その方が面白いし。

なので、それだけ読むとなるほどこれは凄い!となるところなのだが、エピローグを読んで気になることがあった。今はいたるところで引っ張りだこになった木村さんが無農薬栽培を講演して回り”それを実践した農家はみな今までよりも豊作になっている”という記述。本当にそうなのか?

無農薬栽培に至るまでの木村さんの苦労は計り知れないものがあったのは本からも凄い伝わってくる。成功のカギになった、自然状態の観察眼を養うのには極めて長い時間を要している。というところを(体験的に)すっ飛ばして、いきなり無農薬にするのは極めてリスキーであり、自然の流れを読み切れないと結局害虫に蝕まれてしまうのではなかろうか。きっと失敗している農家もいっぱいあるはずだ。そうじゃなかったらみんな江戸時代から明治になっても昔ながらのスタイルでいたはずなんだから。

リンゴが木であることも大きいのではないだろうか。木であるが故に毎年根っこから引き抜いて種をまいて、、、という野菜とは違って、いきなり雑草とヨーイドンで競争することはない。夏休み働いていた農家でも、有機栽培で化学肥料は一切使っていなかったけど、雑草の方が成長が早いのである程度苗がしっかりするまではハウス栽培をし、さらに初期のころにきちんと草むしりして苗が雑草に負けないようにというのが徹底していた。恐らく稲作も同じだろう。それを、たんに肥料もなく、無農薬でやるのが素晴らしい、という形で書くのは世間が農業に誤解を招くのではないだろうか。


そもそも、無農薬栽培は果たして本当に善そのものなのだろうか。ほぼ確実に農家の負担は増えるはず。自分で様子をきちっと見ないといけないうえ、土の中の栄養は雑草などと取り合いになるとすると、収穫量も減るのではなかろうか?
本の中では美徳的に書かれていたので、結局収入がどれだけ増減したかは書かれていないがそのあたりはどうなっているのだろう。
それに、無農薬栽培が我々消費者にとって本当に善だったとして、その改善に見合ったコストを本当に払ってあげているのだろうか?
有機農業をやっている農家や一般農家がどう感じているか、是非とも質問してみたいところである。




2013年5月28日火曜日

びじゅつかんりてらしー

昨年は美の国フランス、或いはその周りの欧州諸国にて学生特権(学生は美術館無料ってところが結構多い)を存分に享受していた反動で、日本で美術展に金なんぞ払ってられるか、割に合わん!って気持ちだった。
ので、記憶が確かなら特撮博物館しかいかなかったのだけど、今年度入ってからはさらにその反動なのか随分展覧会を見ている。
ミュシャ、ベーコン、ルーベンス、猪熊源一郎、平山郁夫、クラーク美術館、プーシキンとまぁ見てきたわけで、今回見たのは豊作だったのが多い。

ただ、特に猪熊・平山の両美術館を見て感じたのだが、日本の美術館ってなかなかある特定の画家についてじっくり見れる場所がない。

恥ずかしながら平山郁夫も猪熊源一郎も殆ど知識もなく、とはいえ名前は知ってるしせっかくだからとそれぞれ訪れたわけなのだが、作品が非常に少なくて、結局代表的な作風があまりわからないまま終わってしまった。特に平山に関しては、若いころから晩年までさーっと流してはいるものの、本当に小学生の時の絵とかもあるせいで、肝心の画風が固まるころの絵はほんの2,3点。面白いなぁと思った時には終わってしまった。結局お土産の絵をみてこういう絵を描くのかと納得するというありさま。

あぁ今回は残念だったなぁというところで思い返して他を振り返っても、岸田劉生ならここ!とか梅原なら!とかそういう美術館ってなかなかなくね?と気づいた。東博行っても、東近美行っても、1,2枚は見れてもそれで終わっちゃう。結局どこの美術館に行っても1~2枚ずつしか見れないから結局イメージが固まらないまま、或いはその人が好きになるってわかる前に離れてしまって結局定着しないかのような。

例えばヨーロッパだと国内の有名画家はだいたいたっぷり持ってるもんで、オルセーでの印象派とか、ルーブルのドラクロワ、ベルギー王立でのルーベンス、ブリューゲル、マグリッド、オランダいけばゴッホやレンブラント、英国のターナーetcとまぁ、そこの美術館にいけばその人の作品が沢山見れるので、この人の絵は好きだ、嫌いだ、こんな絵描くのか―、なんてのがそれなりにわかるし、自分の中でベースが出来上がる。

まだ画とかよくわかんねーなぁという17の終わりに、フランスで沢山の絵を見て、オルセーでモネを沢山見て、この人の絵いいなぁと思ってお気に入りになったサンラザール駅を通り、ルーアンにてルーアン大聖堂の実物みてという体験との組み合わせで自分は画が好きになったわけだが、その時もこの作家はこんな絵書くんだってのが色々蓄積されたからこそ自分が好きな画がどんなものか、誰が好きなのかわかった気がする。

でも、日本ではそれがなかなかなくて、いい美術館であっても流れは理解できるけど自分の中の基準はなかなか作れない。ポーラも、国立西洋美術館の常設も素敵だとは思うけど、一人の画家の作品は限られるし美術館の大きさがそもそも違うってせいで意図的に作品絞っているし。
それにしてもあんまりではなかろーか。

自分の乏しい知識でいえば、唯一北斎に関しては、まとまって見れるところが沢山ある(津和野も小布施も楽しかった)のだが、それは彼が超多作だったからにすぎず、後は広重にしても大観にしてもなかなかまとまってみれたもんじゃあない。

先日のベーコン展で初めてベーコンがどんな画を描くか(作品はむずかった)、まがりなりにも理解が出来た。

でも、未だに平山郁夫も横山大観もまとめて作品みたことないからぼやーーんとしかイメージが出来ない。本当に好きか嫌いかもわからない。人の名前がついた美術館も本当に小さいのが多くてなかなかわからない。(大学の裏にそういえば横山大観記念館あったけどあれも明らかに作品数すくなさそうだし)


どうして日本ではまとまって見れないのだろうか?

日本を代表する(?)であろう東京国立博物館の常設展のコンセプトが日本美術の歴史を最古から今まで見せる、というものであるが故?

それはそれで1つの大事なあり方だとは思う。けれど、今の日本の展示方法だと、色んなもの見て、どれが好きかもわからず、とりあえず展覧会に行く、となってしまったり、せっかく展覧会みて気に入った人が出来てもその人の作品をまとめて次に見るのはもう何十年後になることか。。。みたいになりかねないのではなかろうか。国外のレアな人ならともかく、国内の画家にたいしてですらそれはあまりに悲しい。浮世絵は流出してしまったかもしれないが、近代画家もみんな作品出て行っちゃったの?

せっかくなら、基準を作ってあげられるだけの作品を見せる。そのうえでこその特別展で美術館展や、普段はお目にかかれない作家の展覧会をみれると勉強になるんじゃなかろうか。



2013年5月2日木曜日

農家日誌⑧

ずいぶんと放置してしまった。

農家日誌(①~⑦)もなんだか途中で止まっていた気がするが、ほかに当時何を書きたかったか思い出せないのでひとまずこれで終わりにする。

途中で腰を痛めてしまって、結局1か月のところを2週間でギブアップしてしまう(腰痛はそのあと1か月弱続いた)という情けない結果になってしまったが、得るものは大きかった。


農業回帰宣言、農家にIターン、農業を仕事にetcなど色んな話は出ているが、原則的にそういったものは”都市の人間”がみた『農家』であって、大きな幻想も含まれているように思う。

農業風景の美しさの裏には大きな労働負担がある。棚田はきっとつらい。平坦な畑で10時間働くだけで体は相当疲れ切る。いい年した男が、22時には限界で寝てしまうくらい。

流通も、サービスも、全部やろう!という本やスローガンはたくさんある。しかし、6次産業とはいうが、いざ加工業を始めようとすれば冬場も人を雇わないといけない。そんな余裕は小さな農家にはない。

土地を集約して増やせ、というのは僕も雇い主にそうした方がいいのでは?と伝えたことがある。しかし、土地をめぐる思いは色々とあるようで、隣の人には意地でも貸さない!それならお前に貸すといって飛び地や少し離れた場所の土地を借りるということはままあるらしい。制度的にはそうかもしれないが、それだと断固として動かない人もいるのもまた事実と言われてしまった。

有機農業が都市だと好まれるが、有機農業に求める形のきれいさは農薬農業の時のそれと変わっていない。まがったキュウリも大根も受け入れられない。少しでも形が崩れると廃棄になる。

生産者はとても弱い。自分が作った野菜を売るにも赤がでる。買い取ってくれるが利益は0、それでも自分が育てた野菜をつぶすなんてのはつらいから、意地でも出荷するなど考えられるだろうか。どんなに値崩れしてもJAの手数料は変わらずとられるし、輸送費は3割ほど占められる。途中の輸送、小売りの方が圧倒的に強い。


食糧自給というのは生命の根幹を揺るがすもの。もっと農家の地位は上がっていいのではないかという思いを抱きながら実際に農家に飛び込んでみたわけど、まだまだ現実は厳しいものだった。
なんとか食べていける!という農家でも季節契約でスタッフを雇うのが限界ではないか、というくらい。

スーパーでみかける野菜がなんできれいで、どうしてこんな整った形をしているのか、という見方をすることができるようになった。ほっとけばすぐまた当たり前の光景になってしまうあの陳列棚を、こうした目で見続けることができるだろうか。

2013年1月8日火曜日

特撮博物館を振り返る

随分前のものだが、現代美術館であった、特撮博物館は秀逸な展示企画だったことを、ふと思い出した。
特撮博物館はエヴァの庵野さん監修の元、昔のヒーローもので使われていた特撮を振り返ろうという企画展で、会期終了前の休日に行ったところ、1時間待ちの大盛況な展覧会であった。

行く前はどうなのだろう?なんか高いし…とか懸念はあったのだが見事にいい意味で裏切られた。


まず、圧倒的な展示量と明解なコンセプトがよい。国産故、あそこまで展示作品が多かったのだろうか。或いは特撮に関わった者たちがとても協力的だったからだろうか。


日本で行われる企画は両方足りないか、片方がしっかりしているか、の企画が多い気がする(自分の趣味的にそうなだけかも)。なかなか、量も質もすごい、というのにはならない。


いわゆる海外ものの企画展だとどうしても作品数に限界がある。たまたま工事とかしていて作品が外に出回っていたり、とかがないとなかなかうまくいかない。新国立美術館のこけら落としの時の目玉企画モネ展はかなり凄かったが、あれもオルセーが長きにわたる改装工事をやっていたからこそ出来た技ではないのかと思う。

それに、美術作品の貸出において、日本のように西洋絵画の作品数が少ないと、なかなか貸し出してもらえないことも多く、せっかく交渉しても、結果挫折してやむなく別の作品に…というのもあるようだ。そうなると主力作品じゃないものが増え、広告とのズレが出るか、コンセプトがボヤけるかする。結果、せっかく金払って行ったのに肝心の~の絵とか殆どないじゃん。だれだよこいつー、みたいな感じになってしまい一般に受けにくくなる。その点、元々いい作品を持っている美術館は自分の作品貸すからさ、ともちつもたれつで作品を借りれるので、オルセーやらルーブルやら、企画をするとここ、こんなにこの作者だけで集まるのかよ!となる。オルセーのマネ展は母国の力を活かして圧倒的な質と量で日本なら企画一本物の目玉作品すら一兵卒のような扱いだった。草上の昼食とか、しゃべりながら見てたら見逃したほど。

一方、目玉作品、というよりは明快なコンセプトで当たりが出る時もある。

昔見た浮世絵と陶器展@東博は作品は地味だがコンセプトが一貫していて楽しかったし、先日の三菱一号館美術館も作品数は少ないし、画家も自分は知らない人だったが、代わりに作者をきちんと揃えていて、作者の変遷がわかってなかなか楽しめた。

特撮博物館は、目玉(巨神兵東京に現る)もすごかったが、それ以外の地味な作品達が効いていた。展示の仕方自体は意図的に雑であったが、特撮やってた人の見せたい素直な思いと、庵野さんの解説文に見られる熱意が逆に素直に入ってくる。作品に対して真摯な(童心に戻った)想いは会場に溢れかえっていた。あんなにみんなが作品に興奮してる展覧会を他にみたことがない。子供がゲームコーナーで目を輝かせているような感覚。さらに凄いことに、当時特撮を見ていたおじさん世代(物量がすごいのでかなりの世代に何かしらヒットする)は昔を思い出し食い入るように作品を見ていたのはもちろん、。結果、その世代と一緒にきた彼女や子供、奥さんへの解説がいたるところで聞こえた。普通の展覧会ならうるさいとこだが、展示の仕方的に静かが求められる空間でもないのももしかしたら敢えて雑に展示をしたキュレーターの作戦なのかもしれない。



その物量が物をいう展示が終わると、実際に巨神兵現るの動く特撮を見れる。
正直観た感想は、これはCG使ってるんじゃないの?であった。とても昔のウルトラマンなどでみたような特撮ではないレベルだったから。しかし、短い作品だったが大迫力だった。

興奮した上で舞台裏を見せる。今回の映像の制作過程が見れ、CGは使わず如何に合成画像と模型だけで成り立たせているかがわかり、さらに興奮が高まった中、楽屋裏で特撮の歴史を改めて振り返り、最後に撮影で使用したジオラマ内に自らが入れるという心憎い演出だった。


圧倒的量とクオリティが特撮の歴史を振り返るというシンプルなコンセプトで迫ってくる。


三時間近くいたが最後は時間切れでみきれなかった。たかだか現代美術館の一企画が、であるのに。特撮関係者の想いと客の想いが、見事反応していたと思う。フランスで美術館にしょっ中いて、もう日本では暫く美術館はいいや、という懸念を払拭してくれた。



かつて師は自分に、美術は一流を見続けろ、場所とタイミングが一致した時、何か本質が見えるのは一流の優れた作品。二流をいくら見てもダメだ、と言ってくれた。特撮博物館は少し趣向は違うが間違いなく一流のそれだったと思う。

自分がモネのルーアン大聖堂を見て、そのあとに本当のルーアン大聖堂を見て絵ってすげーなぁと思ったように、なんか企画展ってすげーなぁとあの企画を通じて思った人は一定数いるんじゃないだろうか。


美術館?よくわかんないや、という人の気持ちを変える力があったと思う。画家の作品数点しかないのに画家の名前を冠した展覧会はなかなか心に響きにくいだろう。でも、国産ベースで作品集めやすいものでならオルセーでのマネ展のようなことも可能なのでは。ああいう展示会がもっと沢山企画されて、見終わった後、振り返りたくなる企画がもっとでてきて欲しい。

2013年1月5日土曜日

揺らめくトリコロールは何故映えるのだろうか

レミゼを見た。


映画だったけどミュージカルであり、ある意味ミュージカルよりもミュージカルな映画だった。普通に面白い。

ユーゴーのレミゼは読んだことがなくて、大学の友達のサークルのレミゼがぼくの唯一の記憶で、それも随分薄れてしまっていたのだけど、観て行くうちに少しずつ記憶がよみがえってきて、それがまた楽しかった。


ミュージカルはてんで素人なんで良くわからないけど、後輩がついつい研究室で口ずさむほど民衆の歌は印象に残るし、きっといい歌が多いんでしょう。ジャベールが歌うやつもかっこいいしな。というか全員異常に歌が上手い。映画俳優じゃない人も結構混じっていたみたいだけど。


ちなみに、土木な人間なので、どうしても当時の風景に目が行ってしまう。
セーヌ川に当時こんな閘門あったの?そもそもあの形でどうやって閘門の制御するのだろうか。あれが閘門じゃなくて取水堰とるすると今度は舟運が成り立たない。とか。
ナポレオン3世前にここまで下水道整備出来てただろうか…とか、そんなところについつい目が行ってしまったりもした。幾人かが指摘していたが、バスティーユに当時象の像なんかがあったのね。

しかし、それ以上に一番印象に残ったのは、なんとまぁパリという街とトリコロールがはためく姿が似合う事かということ。

正直、国旗を振ってあそこまで映える街があるのだろうかというくらい、観て思わずぞわっとするくらいあの街とトリコロールがはためくところは良く似合う。
それは、自分が部屋に貼ってあるモネのフランス革命記念日の絵を見ているからだろうか、或いはドラクロワの民衆を導く自由の女神のおかげなのか、自分がパリにいたからなのか、それはよくわからないけどあれがイタリア国旗でもブルガリア国旗でも違和感を覚えてしまう。勿論日本の街で日の丸がはためいていたもあんな気持ちにはならないだろうし。

別に、フランスへの愛国心はないしフランスのために一滴の血も捧げたくないのに、あの旗が街ではためくあのシーンはちょっと感動的ですらある。いと不思議。