2013年5月2日木曜日

農家日誌⑧

ずいぶんと放置してしまった。

農家日誌(①~⑦)もなんだか途中で止まっていた気がするが、ほかに当時何を書きたかったか思い出せないのでひとまずこれで終わりにする。

途中で腰を痛めてしまって、結局1か月のところを2週間でギブアップしてしまう(腰痛はそのあと1か月弱続いた)という情けない結果になってしまったが、得るものは大きかった。


農業回帰宣言、農家にIターン、農業を仕事にetcなど色んな話は出ているが、原則的にそういったものは”都市の人間”がみた『農家』であって、大きな幻想も含まれているように思う。

農業風景の美しさの裏には大きな労働負担がある。棚田はきっとつらい。平坦な畑で10時間働くだけで体は相当疲れ切る。いい年した男が、22時には限界で寝てしまうくらい。

流通も、サービスも、全部やろう!という本やスローガンはたくさんある。しかし、6次産業とはいうが、いざ加工業を始めようとすれば冬場も人を雇わないといけない。そんな余裕は小さな農家にはない。

土地を集約して増やせ、というのは僕も雇い主にそうした方がいいのでは?と伝えたことがある。しかし、土地をめぐる思いは色々とあるようで、隣の人には意地でも貸さない!それならお前に貸すといって飛び地や少し離れた場所の土地を借りるということはままあるらしい。制度的にはそうかもしれないが、それだと断固として動かない人もいるのもまた事実と言われてしまった。

有機農業が都市だと好まれるが、有機農業に求める形のきれいさは農薬農業の時のそれと変わっていない。まがったキュウリも大根も受け入れられない。少しでも形が崩れると廃棄になる。

生産者はとても弱い。自分が作った野菜を売るにも赤がでる。買い取ってくれるが利益は0、それでも自分が育てた野菜をつぶすなんてのはつらいから、意地でも出荷するなど考えられるだろうか。どんなに値崩れしてもJAの手数料は変わらずとられるし、輸送費は3割ほど占められる。途中の輸送、小売りの方が圧倒的に強い。


食糧自給というのは生命の根幹を揺るがすもの。もっと農家の地位は上がっていいのではないかという思いを抱きながら実際に農家に飛び込んでみたわけど、まだまだ現実は厳しいものだった。
なんとか食べていける!という農家でも季節契約でスタッフを雇うのが限界ではないか、というくらい。

スーパーでみかける野菜がなんできれいで、どうしてこんな整った形をしているのか、という見方をすることができるようになった。ほっとけばすぐまた当たり前の光景になってしまうあの陳列棚を、こうした目で見続けることができるだろうか。

2 件のコメント:

  1. こんばんは。
    「土地の集約…」云々の話を読んで、私の研究対象の作家の『La Terre』という作品を思い出しました。
    その作品についての論評を読んでるところで、いつの時代も土地に対する執着やそこから生じる農業の問題は同じなのだなぁ、と。
    それぐらいの凡庸な感想しかないですが、面白く拝読したので。

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  2. Minmiさん>土地ってのは思い入れとかそういうのがすごいですよね。儲けとか経済的な概念が通じない、”意地”みたいなのもあったりして、頭だけじゃ考えられない世界が多いなぁと体感することになりました。ふっとするとすぐに現場から離れてしまうのでこういう感覚はずっと持ちづつけていきたいなぁと思います。

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