2011年7月25日月曜日

引っ越しダイジェスト

引っ越しというのは人の心を折るには余りに十分な力を持っている。(T.K)

一応終わりました、引っ越し。今古い家の掃除を殆ど終えて、明日の朝には引き払い完全以降。完全なるパリジャンへと進化します。


うーむ、都市と土木についてのブログじゃなかったっけこれ…。


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僕の家、Noisy-champsから次なる家までは片道50分はあろうか。

車を借りなかった僕にとって、引っ越し手段はスーツケースやバックパックに荷物を詰めてそのまま移動というなんとも原始的なスタイルだった。

1人では無理なので、仲間を呼んだ。

スーツケースも借りて荷造り。

なんと、欲を張れば一往復で全ての引っ越しが終わりそうじゃないか。

気を良くした僕は、友達のスーツケースにはありったけの服を、自分のスーツケースにはありったけの資料をぶち込んだ。

結果、結構重いスーツケースと、世にも凶悪なスーツケースが生まれることになる。

引っ越し当日、
右手:40kgくらいあるんじゃないのこれ…という凶悪なスーツケース
左手:パソコン関係と軽めの書類
背中:バックパック

というフル装備で臨んだ僕は、家を出る時すでにスーツケースの鬼畜っぷりを体験する。

そもそも、5年前の北欧旅という激戦を勝ち抜いてきたこのスーツケース、まっすぐには歩けない体になってしまっていた。2人の戦友は現地で散った。
そのうえ、20センチくらいしか持ち上げることができない。体全身をなんとかつかってようやっと。正直腕を曲げることで挙げることなど不可能だった。

階段をなんとかおり、電車はまぁ楽勝に進み、シテユニヴェルシテにつく。
ここからが大変だった。微妙な勾配が地獄坂に感じられるこの状況。左手は埋まっているのでうまく押せない。おまけにまっすぐ押せないのでどんどん右に進んでしまう。

それでも、残すところは12車線のペリフェリックを潜り抜け、最後の階段を登り切れば、というところで

ガガガガという

できれば効きたくなかった音とともにスーツケースが転がらなくなった。

下を覗くと左前輪のゴムタイヤがなくなっている。

なんてこった。こんなところで散るなんて…。


そこからは残ったタイヤにうまく荷重をかけながらノロノロ進むしかなかった。

なんか、悲壮感が漂ってるけど大丈夫?と言われたが、大丈夫なわけはない。

最後の階段は一時的にゆーだいに代わってもらったのだが、持ち上げようとした瞬間

足つるかと思った(by ゆーだい)

というほどの鬼畜っぷり。

最後の難関を越えたと思ってようやく受付について、鍵をもらい、ここ、どこらへんですか?と聞くと

正面の建物、と言われる。

え?

正面って、ペリフェリックの向かい側ですか?

今、スーツケース破壊してまで歩いてきた、あれ?

…。(受付のおっさんの前でしばし向かいの建物、というよりこれから渡らないといけない橋を見て呆然とする俺)

昨日はあんなこと言ってたのに、一瞬でペリフェリックを超え、リアルパリデビューを果たすことになった。

それには、再び階段を上って、橋を渡り、また階段を下りるという苦難を乗り越えないといけません。

(飽きたので中略)

無事着いた先は、小さいけど快適そうな部屋。



そう、共用キッチンの荒れっぷりと扉にカードキーが付いてるくせに便座がないトイレ(共用)を見るまでは…。



父さん、母さん

パリってのはやっぱり怖いところです。
Noisy-champsが恋しいです。


明日、Noisy-champsは引き払って、本格的にパリに移動します。

2011年7月23日土曜日

難攻不落

すっかり更新が滞ってしまった。そろそろブログで書きたいことも色々あるので、とりあえずまたリハビリがてら。

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1年前の八月、俺と岩田はENPCからの住所をみて、ここが俺らの学校か!ぱりのどこにあるんだろーな!?とか言いながらちょっとわくわくしてgooglemapに住所を入れてみた。

ストリートビューにすると、なんと車しかない。

なんじゃこりゃ

俺の知ってるパリじゃねーぞ!と思ってズームアウトしてみると、なるほど、そこはパリじゃなかった。


パリは...はて、西にみなれたカタツムリがいるぞ?離れている。んー、これ、ちょっと遠くない?

認めたくない現実だが、パリが山手線と同じくらいの大きさという知識は残念ながら持っていた。

どう考えてもこれ、15km以上離れてるよ。
ここ、パリじゃなくない?
俺らの学校、パリにないよ…。

よくわからないけど、僕らの中にはENPCはパリにあるという幻想があった。だって、シアンスポとかパリのど真ん中にあるんだもの!(ちなみにENPCも昔はシアンスポがある所に会った)

でも、現実は世知辛いものだった。

そう、そこはChamps-sur-Marneという郊外だった。しょぼい筑波みたいなもんである(筑波の記憶殆どないけどごめんなさい)。
パリジャンにバンリュージャン(≒田舎っぺ)と言われてしまう(言ってきたのは日本人だけどな)、学校と駅とスーパーと寮で完結する街だ。
イメージマップとか書くものが無さ過ぎてすごい正確なものができると思う。
駅にある駅周辺の地図も7割がた緑色だ。

パリの留学!とか言っておきながら実際はパリじゃないときた。東京に俺行くよ!といって八王子や大宮に行ってるようなもんだ。詐欺も良い所である。

実際、日本の友達にはパリっぽいところ、パリの近く、正確に言うとパリじゃないんだけどね、と適当に濁していた。

とにかく、初めの一年、僕らはパリに住むことができなかったのだ。

シアンスポの奴らなんか、みんないきなりパリの中心地の方にダイレクトで降りていくというのに。あぁ!

みんな、zone4に住んでるっていうとちょっと不思議な顔をするんだぜ。。(かつてパリ住んでた人達)

とにもかくにも、ハッピーアワーが19時までなのに20時には店を閉めるバーがあるNoisy-champsの生活を終え、インターン期間の家を探している最中、パリに住む機会を得た。

環状道路のすぐ、外側。
ぎりぎり、本当にぎりぎりだが住所はパリである。
 

パリというのは基本的にリングという環状線で区切られているのだが、この家と堂々としたパリの間には合計12車線の道路が立ちふさがっている。

うん、ここ、パリ?違くない?入居申請をしに行く時僕は思った。だが、住所はパリを表記する75が冠されている。
なるほど、かろうじてパリだが、まだまだそう簡単にはお前をパリに入れさせるわけにはいかないってことか。

行く手を阻む壁はでかい。

2カ月の関所での審査を経て、ついに9月には一歩前進して、その12車線の道路のすぐ内側にある大学都市のどっかに住むことになった。

そう、つまり一年半かけて頑張ってパリに近付いても、僕の限界はパリの周縁部になんとかかじりつくところまでだったのだ。外堀の中になんとか入れてもらうのが僕の限界だった。

シアンスポの連中は一年ry

それでも、やっとパリに住めるんだぜ!

ということで今日が新しい家の鍵をもらえる日だった。

写真でなんとなーくの雰囲気は知ってるモノの、自分の部屋が道路に面してるかとかも気になるし、実際どんくらいの広さかもよくわかってないので、ちょっとどんな部屋かわくわくしながらモンパルナスの会社を後にし、受付にて、今日から入居するんですがー、と言ったら


”じゃー、今月分の家賃と来月分の家賃、今払ってもらえる?小切手で。”





(小切手、今日持ってないけど。)

”えーっと、クレジットカードじゃだめですかね?”

”或いは現金でも良いよ。そしたら7月分の180ユーロだけ今払ってくれればいいぜ!”

”ATMってあります?”

”シテの中にBNPがあるよ!(みずほみたいなもんだと思って)”

”えっと、ソシエテジェネラルは?(MUFJみたいな)”


”ないね!”

  た。
  

こんなところでまさかの検問に通らず。
新居ナウとか呟く気満々だったのに、雨にぬれて失意のままRERにのってNoisy-champsに戻ってきました。
なるほど、お前には郊外がお似合いってわけね。

確かに、日本のうちの前にも多摩川という巨大河川が雄大に流れ、僕と東京都の間には超えられない壁が立ち塞がっているよ。あんなん直線距離にして300mもないのに!でも狛江市の称号すら手に入れられない。

というわけで、一年半かけてのパリ侵攻計画はうんともすんともうまくいきません。

フランスはパリであると言ってのけるだけの首都ではある。難攻不落も良いところです。
パリデビューまで、後10センチ(鍵は目の前にあったのに)というところで、逃げて行ってしまいました。

父さん、母さん。
パリってぇ街は大層恐ろしいところです。





つーわけで、明日からパリに引っ越します。