2011年7月23日土曜日

難攻不落

すっかり更新が滞ってしまった。そろそろブログで書きたいことも色々あるので、とりあえずまたリハビリがてら。

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1年前の八月、俺と岩田はENPCからの住所をみて、ここが俺らの学校か!ぱりのどこにあるんだろーな!?とか言いながらちょっとわくわくしてgooglemapに住所を入れてみた。

ストリートビューにすると、なんと車しかない。

なんじゃこりゃ

俺の知ってるパリじゃねーぞ!と思ってズームアウトしてみると、なるほど、そこはパリじゃなかった。


パリは...はて、西にみなれたカタツムリがいるぞ?離れている。んー、これ、ちょっと遠くない?

認めたくない現実だが、パリが山手線と同じくらいの大きさという知識は残念ながら持っていた。

どう考えてもこれ、15km以上離れてるよ。
ここ、パリじゃなくない?
俺らの学校、パリにないよ…。

よくわからないけど、僕らの中にはENPCはパリにあるという幻想があった。だって、シアンスポとかパリのど真ん中にあるんだもの!(ちなみにENPCも昔はシアンスポがある所に会った)

でも、現実は世知辛いものだった。

そう、そこはChamps-sur-Marneという郊外だった。しょぼい筑波みたいなもんである(筑波の記憶殆どないけどごめんなさい)。
パリジャンにバンリュージャン(≒田舎っぺ)と言われてしまう(言ってきたのは日本人だけどな)、学校と駅とスーパーと寮で完結する街だ。
イメージマップとか書くものが無さ過ぎてすごい正確なものができると思う。
駅にある駅周辺の地図も7割がた緑色だ。

パリの留学!とか言っておきながら実際はパリじゃないときた。東京に俺行くよ!といって八王子や大宮に行ってるようなもんだ。詐欺も良い所である。

実際、日本の友達にはパリっぽいところ、パリの近く、正確に言うとパリじゃないんだけどね、と適当に濁していた。

とにかく、初めの一年、僕らはパリに住むことができなかったのだ。

シアンスポの奴らなんか、みんないきなりパリの中心地の方にダイレクトで降りていくというのに。あぁ!

みんな、zone4に住んでるっていうとちょっと不思議な顔をするんだぜ。。(かつてパリ住んでた人達)

とにもかくにも、ハッピーアワーが19時までなのに20時には店を閉めるバーがあるNoisy-champsの生活を終え、インターン期間の家を探している最中、パリに住む機会を得た。

環状道路のすぐ、外側。
ぎりぎり、本当にぎりぎりだが住所はパリである。
 

パリというのは基本的にリングという環状線で区切られているのだが、この家と堂々としたパリの間には合計12車線の道路が立ちふさがっている。

うん、ここ、パリ?違くない?入居申請をしに行く時僕は思った。だが、住所はパリを表記する75が冠されている。
なるほど、かろうじてパリだが、まだまだそう簡単にはお前をパリに入れさせるわけにはいかないってことか。

行く手を阻む壁はでかい。

2カ月の関所での審査を経て、ついに9月には一歩前進して、その12車線の道路のすぐ内側にある大学都市のどっかに住むことになった。

そう、つまり一年半かけて頑張ってパリに近付いても、僕の限界はパリの周縁部になんとかかじりつくところまでだったのだ。外堀の中になんとか入れてもらうのが僕の限界だった。

シアンスポの連中は一年ry

それでも、やっとパリに住めるんだぜ!

ということで今日が新しい家の鍵をもらえる日だった。

写真でなんとなーくの雰囲気は知ってるモノの、自分の部屋が道路に面してるかとかも気になるし、実際どんくらいの広さかもよくわかってないので、ちょっとどんな部屋かわくわくしながらモンパルナスの会社を後にし、受付にて、今日から入居するんですがー、と言ったら


”じゃー、今月分の家賃と来月分の家賃、今払ってもらえる?小切手で。”





(小切手、今日持ってないけど。)

”えーっと、クレジットカードじゃだめですかね?”

”或いは現金でも良いよ。そしたら7月分の180ユーロだけ今払ってくれればいいぜ!”

”ATMってあります?”

”シテの中にBNPがあるよ!(みずほみたいなもんだと思って)”

”えっと、ソシエテジェネラルは?(MUFJみたいな)”


”ないね!”

  た。
  

こんなところでまさかの検問に通らず。
新居ナウとか呟く気満々だったのに、雨にぬれて失意のままRERにのってNoisy-champsに戻ってきました。
なるほど、お前には郊外がお似合いってわけね。

確かに、日本のうちの前にも多摩川という巨大河川が雄大に流れ、僕と東京都の間には超えられない壁が立ち塞がっているよ。あんなん直線距離にして300mもないのに!でも狛江市の称号すら手に入れられない。

というわけで、一年半かけてのパリ侵攻計画はうんともすんともうまくいきません。

フランスはパリであると言ってのけるだけの首都ではある。難攻不落も良いところです。
パリデビューまで、後10センチ(鍵は目の前にあったのに)というところで、逃げて行ってしまいました。

父さん、母さん。
パリってぇ街は大層恐ろしいところです。





つーわけで、明日からパリに引っ越します。

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