2013年6月16日日曜日

奇跡のリンゴを読んで思う事

奇跡のリンゴ を読んだ。

恐らく学生時代に農学部の書籍コーナーでちょっと見つけたことがあったのだろう。よくわからないが、ブックオフの100円コーナーでたまたま目について4月ごろに買っていた本をふと読んでみた。

詳細は省くが、なるほどプロフェッショナルに取り上げられるだけの職人気質と、途中ぶつかる壁での苦労、それを乗り越えて生み出した奇跡の無農薬リンゴができるまでをドラマチックに描いている。

すこし、あまりにもシナリオが出来すぎているのではないかという部分すらあるがそこはよくわからない。

リンゴというのは非常に無農薬で作るのが難しい食物だそうだ。キュウリもそうらしい。他の有機野菜とは違って、ものの見事に病気や害虫にやられて花がさかなくなってしまうらしい。花がさかねば実は付かない。実が付かないと受粉に失敗したということで翌年の花が咲かなくなってしまう、という負の連鎖性があるそうだ。従って、農薬をまくというのはリンゴ農家にとっては常識だったそうだ。

それを、土にこだわり自然状態に近い環境を作ることで、無農薬での栽培を可能にしたという物語。

じゃあなんでリンゴは無農薬栽培ができないか?という話は奇跡のリンゴにはでていない。他に無農薬野菜色々あるじゃん?と思うのだけど。

当然本来なら知るよしもないのだが、たまたま読んでいる本でリンゴの特性が書かれていた。
マイケルポーランの「欲望の植物誌」という本でアメリカの植物関係のジャーナリストが書いている。彼は、非常に素敵な文を書く人である。名著、雑食動物のジレンマはとても面白いので是非読んでもらいたい。

閑話休題。

その本によれば、リンゴとは本来遺伝子の多様性があり、野生のリンゴは同じものが出来ないらしい。種から植えれば子供は全く別のものになっていくそうだ。味も、実の付け方も全然違う。
今あるフジみたいな我々がよく見かけるリンゴのブランドはしたがって全て接ぎ木である。甘いリンゴというのは品種改良によって作られ、それがクローンとしてずっと定着しているのである。その結果、遺伝子的な成長はないため、害虫や病気などに対して時間をかけて切磋琢磨することはなく、相手側だけがどんどん進化してしまうこととなった。だからこそ、農薬などでカバーしてあげないと耐えられない非免疫的な植物になってしまったのだそうだ。
(ちなみに、もう少し付け加えば、リンゴが当時アメリカで爆発的にはやったのはジョニーアップルシードと言われる男のおかげで、その当時のリンゴはまだ酒として飲むものであったからこそタネ生まれのリンゴがたくさん育ち、一気にリンゴが人間界での地位を握ったそうな。しかし、実を食べることが主流として定着した今、リンゴは再び脆弱性を抱えるようになった、というお話。)

そんなわけで、リンゴには農薬が不可欠である。
だからこそ、木村さんはキセキと言われている(はずなんだけどそこはさらっと流されている)。
という話があるとプロフェッショナルとしての凄さがもっと聞くんじゃないかなぁとか思ったり。

とはいえ、そんな奇跡を起こした木村さんは、自信の劇的な生き方と相まって、今ではちょっと成功に満ち溢れたかのように書かれている。その方が面白いし。

なので、それだけ読むとなるほどこれは凄い!となるところなのだが、エピローグを読んで気になることがあった。今はいたるところで引っ張りだこになった木村さんが無農薬栽培を講演して回り”それを実践した農家はみな今までよりも豊作になっている”という記述。本当にそうなのか?

無農薬栽培に至るまでの木村さんの苦労は計り知れないものがあったのは本からも凄い伝わってくる。成功のカギになった、自然状態の観察眼を養うのには極めて長い時間を要している。というところを(体験的に)すっ飛ばして、いきなり無農薬にするのは極めてリスキーであり、自然の流れを読み切れないと結局害虫に蝕まれてしまうのではなかろうか。きっと失敗している農家もいっぱいあるはずだ。そうじゃなかったらみんな江戸時代から明治になっても昔ながらのスタイルでいたはずなんだから。

リンゴが木であることも大きいのではないだろうか。木であるが故に毎年根っこから引き抜いて種をまいて、、、という野菜とは違って、いきなり雑草とヨーイドンで競争することはない。夏休み働いていた農家でも、有機栽培で化学肥料は一切使っていなかったけど、雑草の方が成長が早いのである程度苗がしっかりするまではハウス栽培をし、さらに初期のころにきちんと草むしりして苗が雑草に負けないようにというのが徹底していた。恐らく稲作も同じだろう。それを、たんに肥料もなく、無農薬でやるのが素晴らしい、という形で書くのは世間が農業に誤解を招くのではないだろうか。


そもそも、無農薬栽培は果たして本当に善そのものなのだろうか。ほぼ確実に農家の負担は増えるはず。自分で様子をきちっと見ないといけないうえ、土の中の栄養は雑草などと取り合いになるとすると、収穫量も減るのではなかろうか?
本の中では美徳的に書かれていたので、結局収入がどれだけ増減したかは書かれていないがそのあたりはどうなっているのだろう。
それに、無農薬栽培が我々消費者にとって本当に善だったとして、その改善に見合ったコストを本当に払ってあげているのだろうか?
有機農業をやっている農家や一般農家がどう感じているか、是非とも質問してみたいところである。




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