2011年10月5日水曜日

パリ史①

今学期はちょっと暇になったので、ミニブックのHISTOIRE DE PARISというパリ史についての本を読み始めました。
以下は備忘録的なもので、4,5ページ分くらいの内容をツイッタ―で呟いて、それをまとめたものです。なんとか早いうちに読み終えたいものだけど。


パリの昔の名前はルテチア。近辺の堆積層から取れる鉱物などを得ていたらしい。紀元2世紀ごろから今のシテ島に城壁を作り、橋を2本通した。それ以外の 島々では先頭のギルドが支配者層となっていた。シテは交易の交差点として、税をあつめ、商業が行われていた。今のマレはかつての河道

そのうちカエサル率いるローマ軍にうち負かされる。その後はローマお決まりの土木開発。ルーアンやMelunに向けて道が作られていった。次なる発展はセーヌ左岸に向かうのだが、これは現在のマレが湿地体で、増水被害を受けにくい理由でまずは左岸から発展したらしい。

三世紀になるとキリスト教が流行り出し、フン族の進行を撃破し、5世紀末に王国を気付く。その後、キリスト教の流行によりサンジェルマンデプレなどの教会 が建設。7世紀末には王がクリシーに宮殿を設置したことにより衰退するが、ノルマンディーの進行を経て再び威厳を取り戻すのだった

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