2010年11月22日月曜日

牧野富太郎

牧野富太郎と言われても、基本的には内藤先生の牧野富太郎美術館がまず最初に浮かんでしまう。

内藤さんが喋るのを聞いて、牧野富太郎がとても高名な植物学者、というのは聞いていた。

wikiによると日本の植物学の父」といわれ、多数の新種を発見し命名も行った近代植物分類学の権威である。その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作として残っている。小学校中退でありながら理学博士の学位も得て、生まれた日は「植物学の日」に制定された

であるらしい。
その後も、特に牧野富太郎のことは意識していなかったのだが、先日、ほんのふとした折に自分のスマフォのマーケット(アプリおとす奴)で日本語のソフトが使えるのではないかという発想に至った。考えてみれば日本でもギャラクシーは展開しているみたいだし当たり前なんだろうけど、フランスで携帯を買ったというのもあって、何故かそういう発想は全く生まれなかった。

携帯でおとすアプリは時間つぶし用の下らんゲームとかだったのだが、家計簿のソフトを落としながら、kindleみたいに青空文庫の本、読めるんじゃない?と思って検索したら見事にヒット。

かくして、青空文庫リーダーをゲットしたのである。

ちょうどおとしたアプリはランクトップ500のデータがそのまま保存されているというもの。

あ、そういえば牧野富太郎…とかあるのかなと検索したら引っ掛かったのが

”植物一日一題”という本だった。

どうやら、真面目な植物の本ではなく、植物の命名の解説を軸としたエッセイ風の本であるようだった。

一つの植物ごとに話が変わるので非常に読みやすいし、なによりこの人の書く文章が非常に面白い。

文章の言い回しも面白いし、毒吐きがすごいのだ。

まだ、1割程度しか読んでいないのだが、思わずRERに乗りながら笑ってしまったのが次の文章。

狐ノ屁玉ヘダマ)、妙な名である。また天狗テング)ノ屁玉ヘダマ)という。これは一つの菌類であって、しかも屁のような悪臭は全然なく、それのみならずそれが食用になるとは聞き捨てならぬキノコ(木の子)、いやジノコ(地の子)であって、常に忽然として地面の上に白く丸く出現する怪物である。

植物学としての権威っぷりはわからないが、まったく興味の無い植物の名前を扱っただけの文章なのにぐっと惹きこまれる。

下は、ちょっと長いが、”キャベツ”についての全文である。おいおい、牧野先生そりゃひどくないですかwwwというくらいの毒っぷりである

キャベツ、すなわちタマナを甘藍カンラン)だというのは無学な行為で、科学的の頭をもっている人なら、こんな間違ったことはしたくても出来ない。
いったい甘藍とはどんな蔬菜かといってみると、それは球にならない、すなわち拡がった葉ばかりの Brassica oleracea
L. で、その中の var. acephala DC.(無頭すなわち無球の意)がこれにあたる。すなわち前々から葉牡丹ハボタン)といっているものである。これはその葉が牡丹の花の様子をしているからそういうのである。これは結球しない品だからこの品を呼ぶハボタンをタマナすなわちキャベツに用うべきでない。ゆえに甘藍はキャベツすなわちタマナではあり得ない。
右のキャベツすなわちタマナは Brassica oleracea
L. の中のものではあるが、これは葉が層々と密に相包んで大きな球になる品で、学名でいえば Brassica oleracea L. var. capitata L.(この capitata は頭状の意)である。
キャベツはキャベージ(Cabbage)の転化した言葉である。この Cabbage とは大頭の意であって、これは熱帯椰子類の数種の新梢芽が頭状に塊まっているので、本来はそれを Cabbage といったものだ。そしてこの
嫩芽わかめ)は食用になるものであって原住民は常にそれを食べている。そこで Brassica oleracea L. var. capitata L. へこの Cabbage の名を借り来ってそのタマナを Cabbage といったものだ。それがすなわちキャベツである。中国ではこのタマナを椰菜ヤサイ)と称する。それはもと Palms すなわち椰子類のものが Cabbage であるから、それでこれを椰菜としたものだ。が、この椰菜の名はあまり我国では使用しなかった。ただしその椰菜へ花の字を加えて花椰菜ハナヤサイ)となし、それをハボタンの一種なる Cauliflower の訳字となし、これは今日でも普通に用いている。今それを学名で書けば Brassica oleracea L. var. botrytis L. である。(botrytis とは群集してふさ)をなしている状を示す語)。
以上のようなイキサツであるから、このタマナ、すなわちキャベツを甘藍とするのは見当違いであることをよく知っていなければならない。古い学者、技師連 などは古い書物に書いてある間違いの影響を受けてその誤りを引き継ぎ、今日でもなお甘藍をキャベツ、すなわちタマナと思っているのはまことにオメデタイ知 識の持主であって、憐れ至極な古頭の人々である。総体物は正しくいわなければいかん。知識の奥底を見透かされるのはいっこうにゴ名誉ではござんすまい。

 



こんな感じで、微妙にマニアックな植物の知識がついたようなついてないような気がする、ちょっと珍しいタイプのエッセイ。自分はこういうアカデミックなのにいやに面白いエッセイに出会ったのは初めてかもしれない。

ついつい、寝る前に目覚ましを設定しつつ、1,2話読んでしまう魅力的な本である。

無料で読めるし、なかなかおススメです。

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