2010年11月1日月曜日

美術館について思ったこと

日本の美術館や歴史的遺産は若者に対してもっと門戸を開くべきだと思う。今回スペインを旅して、そしてフランスの状況を振り返って改めて痛感した。

・ヨーロッパの美術への門戸の開き方

EU圏に住んでいる学生だとパリの美術館はほとんどお金がかからない。
オルセー美術館も、凱旋門も無料。
ベルギーの王立美術館は学生だと立った2ユーロ。プラド美術館も半額だった。ピカソのゲルニカがあるソフィア王妃美術館は無料。

ヨーロッパで学生をやってるとかなり気軽に美術館に足を運べる。とても入りやすい。

自分が高校生の時に留学した時は18歳以下だったのでほとんど全ての美術館が無料だった。
金を払ったのはカタコンブくらいか。あの時は4ユーロ位とられてケチくさいな!と憤慨していた思いがある。

・いかにして美術に関心を持つのか?

話は脱線したが、この”入りやすさ”は美術においては非常に大事なものだと思う。

美術に興味を持つかって、膨大な作品の中で、ごく少数のハッとさせられるモノに出会えるかどうかで決まると思うから。


そもそも美術に最初から興味をかなり持っている人など極少数だろう。

自分だって今でこそそこそこ芸術関連に興味があるけど、小さいころなんて興味のかけらもなかった。日光の修学旅行に行っても日光の良さなんて何も分からなかった。(それを感じたのは12年後だった)

じゃあ、どうやって興味を持つのか。

大概の人は、何気なく美術館に行っているうちに気付いたら、美術っていいかもって思ったか、ハッとさせられる作品に出会った結果、美術に興味を持ちだすんじゃないだろうか。


・入場料という壁

さて、そうなると沢山の作品を抵抗なく見られるかどうかというのは非常に効いてくる。

その抵抗の一つは間違いなく入場料金であろう。

まず、金が高かったら入らない。
学生で興味がないのになんで夕飯食えるような金を出してわけもわからん作品を見ないといけないのか、となるのは当然だろう。
ただ、それが0ならまぁ無料だしってなるだろうし、2ユーロならケバブよりも安いしちょっと時間つぶしにという気持ちになるかもしれない。日本なら吉牛より安いならまぁいいかもってなるかもしれん。
とにかく抵抗感は圧倒的に少なくなる。特に若い、金の無い学生にとっては。


・入場料における期待値というもう一つの壁

この第一の大きな壁を超える人はちょこちょこいると思う。何気なくニュースにつられて、美術好きの友達に誘われて、デートでetc

ただ、ここにはまた次の壁がある。これが結構問題なのだが、高い金を払って行ったところで感動するとは限らないのだ。

そうなると、期待値以下のものしか得られず、せっかく金払ったのになんだよ!となる。

これまた当然である。

けれど、美術館に行けば必ずいい作品に出会えるわけじゃない。

個人的体験に基づくが、実際興味を持って美術館に足を運ぶようになっても、行ってあぁいいなぁと感じる作品は多分1割にも満たない。

大概は、ふーん。で終わる。

更に困ったことには、美術館が掲げる有名な作品だからといって別に感動するとは限らない。

例えば、今回行ってきたプラド美術館で見た、かの有名な受胎告知はさしたる感動も抱かなかった。(ついでにいうとプラドにエルグレコの受胎告知があると思い込んでた。)
モナリザも別に感動した記憶はない。


けれど、ふらふら歩いているとおぉ、この絵なんかいいなぁっていう作品にふと出会う時がある。


この瞬間が極めて大事なのだ。

いつあるかわからないけど、自分にとってピーンと来る作品があったりするのだ。


これに出会えると、あぁ、金払って見に来たかいがあるなぁとなるのだろう。

多分だけど、この少数の自分に感銘をもたらす作品に出会えるかどうかで美術に対して興味が広がるかどうかが決定づけられると思っている。それがあるかないかでその後、美術に興味が出るかどうかが別れるはず。

この、美術に対する種みたいなのが芽を出すかどうかは宝くじみたいなものなのかもしれない。


けれど、興味がある自分にとっても実際にいいなぁと感じる作品はごく少数なのだから、元々興味がない人が関心を持つ確率はもっともっと低いはず。

となると、興味の無い人にとってはより当たる確率が低いくじを毎回引くようなことになるわけだ。

入場料が高いと、単純に得られたものが0どころか、期待値以下だったというマイナスのイメージになってしまい、よりいっそう距離を置いてしまう。1300円も払って期待外れだと時間も金も無駄にしたとかなり悔しい思いをさせられる。ついでに言わせてもらえば日本の美術作品を見る環境は終わっている。あんなにゴミゴミして並んで、人だかりをかき分けて見るなんて狂っている。


一方、料金が安いと期待値も少ないので、いい作品に出合えなかったらさっさと帰ればいいし、まぁこんなもんか、次にいいのがあればなぁとつなげられる。それで逆に感動する作品に出会えたなら、それは大いにプラスに働くだろう。


・現状の日本

長々と書いたけど、こんなわけで”入りやすさ”はとにかく効いてくる。

フランスは少なくても18歳まではほぼ全ての美術館が無料である。
だから、もし旅行に行って時間ができたらとりあえず覗いてみるはず。
いずれ書くつもりだが、nuit blancheのように徹夜でアートイベントなどが行われたりすると、パリはものすごい人だかりになる。彼らのアートへの関心は日本人のそれよりはずっと高い。

そして、残念ながら何気無く入って、あぁ美術館って良いかもって思える環境が今の日本にはあまりに整ってない。

大学になるとキャンパスメイトで例えば国立博物館などは無料で入れるようになるが、この時にはもうすでに興味の無い学生は足を運ぼうともしない。(そもそも、このこと自体があまり十分に告知されていない。)
自分は美術なんて興味ないよーと言って敬遠されてしまう。だから、もっと若いうちにそういう環境に親しみやすくしておかないといけない。


・海外の美術館のおかげ?

さらには、ここ最近友達と話していたり、スペインを旅行したりして思ったのだが、日本人ってこういう美術に対する門戸を他国や他国からのイベントに随分任せているのではないかと思い始めた。

例えばパリに観光に来た人は恐らくほぼ100% ”とりあえずルーブル美術館”に行く。
それが興味があろうが無かろうが、とりあえず行ったことが大事と友達はパリに来た時に行っていた。オルセーもしかり。ポンピドゥーもしかり。

地球の歩き方を見ていたって、例えばマドリッドだったら3大美術館の特集がなされているから当然それで足を運んで行く。

その結果、あ、美術っていいかもって気付く人とかが多いんじゃなかろうか。

自分もそう考えるとフランスにいる間に無料で美術館回りまくったのが、結果として絵画に対して興味を抱く結果をもたらしたのではないかと思っている。
少なくても自分にとってはオルセーで見たルーアン大聖堂を、実際に目の当たりにした時はとても感動したのを覚えている。


別に、それが悪いことだとは思わないし、結果としてそれで門戸が開かれるのはいいことだと思うけど、かなり限定されてしまうし、海外旅行という大きな壁を越えた人にしかそのチャンスはない。

・悪循環

日本にだって貴重な資源は沢山あるだろう。
北斎も広重もあるし、海外の作品だって、例えば国立西洋美術館やポーラ美術館なんてすごい良い作品が沢山ある。
国立博物館の常設展に行けば風神雷神図も見れる。
けれど、いかんせん門戸はこっちの国のように開かれていない。

開かれていないから結果として一部の人間しか興味が持たないから、枠は広がっていかない。

結果として興味を持たないまま大人になってしまうから、さらには政策を決める側にそういう人達がいないとよりいっそうこういった美術面は重視されなくなってしまう。(実情は知らないが、政策決定側にだけ美術に興味を持ってる人が沢山いるってことはないだろう)。

となると悪循環は続く一方。

日本の美術関連への風当たりは非常につらい。

どこで転換期を迎えるのかはわからないが、どこかで転換しないと益々文化が弱まってしまうのでは?

仕分けなんかで採算性格だけで判断されたりするのはあまりに愚かだし、こういうことが起きるのはこの国の文化面の疎さだと思う。いいもの持ってるのに。

フランスも終わってるとこは沢山ある。書きだしたら止まらない。が、こと文化面に関して多いに見習うべきではなかろうか。

もう、ひたすら成長を目指す時期じゃなくなったし、成熟してきた日本にとって、こういう側面は本当は大事なものなんじゃないの?と切実に思う。

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