2010年10月1日金曜日

河川港

日本にいると、港=海という考えがどうしても着いてしまうらしい。

日本の河川で物資運搬とかが盛んだったのってかなり昔の話。

江戸時代とかは江戸は水路の街として栄えたし、利根川とか交易上利用されていた(よね、確か)。
京都の琵琶湖疏水が誕生したのも、もともとは遷都して衰退が予測される京都が活気を失わないように、琵琶湖から疏水引いて日本海側で当時盛んだった交易を京都まで延伸するのが目的の一つだった。
まぁ、それでも20世紀のお話。

今の河川は木材運んだり、一部の物資は運んだりするけど日本の戦略上重要な河川港ってのはないはず。

そんな前提で、ストラスブールの河川港を見に行った時は、いかに重要性を説明されても、いや、だって河川港がそんな大事って言われてもなぁ。なんでここをこんなじっくり見て回るんだろうとフランス語の理解力のなさも手伝って、いまいち理解ができなかった。



パリに戻ってきて、後でネットで検索してたら、それが違うということがよくわかった。

陸続きのヨーロッパ、そして日本みたいに急峻な河川じゃない川ってのは交易上今も非常に重要な存在なんだね。
スペインは交易に使える河川があまりないらしいけど、国家間をまたぐ上、内陸国のドイツとかにとっては河川ってのは大量輸送を最もしやすい極めて重要な手段だということに気付かされた。

考えてみれば、当たり前なのかもしれないのだけど、勝手な前提が働いていてなかなか気付けなかった。

パリも同じ。フランス最大の都市でありながら完全なる内陸都市なので、物資の運送はかのセーヌ川に頼ることになる。

パリの北西をちょっと行った先にあるporte de clichyを抜けていくと、巨大なコンテナ置き場とクレーン、東京湾でみかけるようなあんな風景が広がっていた。
『あぁ、セーヌ川ってあのおしゃれな街のおしゃれな川ね』っていうイメージのかけらはそこにはなく、インフラの生々しさと力強さが広がっている。

ここから川を下ってle Havreに物資を運びイタリヤやポルトガル、イギリスなど様々な国に輸出入を行うそうだ。
パリ港、ルーアブルはセーヌ川で結ばれた非常に大事な関係にある。



実際、現在のグランパリ計画ではセーヌ川を一つの国土計画の軸として、パリ、ルアーブルだけでなく河川上のライン(にあるルーアン、カンなども)を発展させていくらしい。

フランスの思想家ジャック・アタリもセーヌ川は今後100年のパリを考えるにあたって中核をなす存在になるといった内容の本を出版しているらしい。


日本にいたら気付かされることはなかったであろう河川港の重要性。




日本にこういう関係性って今もあるのかな?宗教上の行事として、木曽川上流の木を切って流して下流まで運んで伊勢神宮の遷宮に使うって意味では非常に重要だけど、交易上ってのはあまり見かけられない気がする。

そういえば、夏学期にI田さんが港湾の戦略についての授業をまちづくり大学院で一回講義してたんだけど、こういうコンテナ港って、ちょっとmoche(汚い)のはあるけど、やっぱり迫力とエネルギーに溢れてるんだよね。

自分が土木の学生なのもあるけど、やっぱり見ていて面白いし、日本じゃ考えられないけどコンテナクレーンの真下でヘルメットもつけずにコンテナを釣り上げるシーンを見ているとおおおおおぉってなるよねやっぱ。


それだけに、こういう巨大インフラ施設を隠さずにまちづくりに活かすことを考えないといけない。既存の考え方にはない港湾のあり方を考えることが必要だという髭先生の言うことにはなるほどと思わされる。
横浜も今見えるのはかつての港湾のあとの港未来であって、現在の港にはスポットは当てられていない。
安全上の問題や運用の問題を考えると迂闊に見学っていう手は使えないけど、軍艦島の人気やD滑走路の見学ツアーの人気なんかを考えているとまだまだ可能性は色々ありそう。

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