2010年10月20日水曜日

First Impression

なかなか書く時間ができなかったけど、こればかりはどうしても書かないといけないし、もう少ししたら忘れて行ってしまう気がしたのでなんとか今書きとどめようと思う。

パリに初めて来た時に何を感じたか。


初めてパリに行ったのは確か9月2日だったと思う。

学科の同期のH瀬と二人でパリにでた。H瀬はヨーロッパデビュー。自分もパリをまともに見るのは2004年以来だから実に6年ぶりだった。

街並みを見て感動するH瀬。

これまでヨーロッパは一通りぐるっと回ってきた。総計150日くらいいたはずだから、100都市位はみてるはず。だから、街に対してものすごい感動っていうのはなかったけれど、

この街はそういう印象を与えられる街なんだなと思ったのが最初だった。


Chateletから少し南に下って、セーヌ川沿いへ。

途中少し迷いながらオープンカフェを見て、

悔しいけど、きまっていると思った。

彼らの振る舞いはごく自然であって、誇張する雰囲気は何もない。
それが逆にカッコいい。洗練された雰囲気を醸し出している。
”当たり前&さりげない”その感じ。

さりげなさといえば、例えば屋根を少し壁面後退させて傾斜をつけて小窓をつける、とか、窓際に花を飾るとか、ちょっと柵にデザイン的工夫を凝らすとか、そういったさりげなさが随所にみられる。そして、これらのさりげなさが総体としてものすごい効いている気がする。
あれがなかったらイメージは全然違ったと思う。パリの郊外の新興住宅にはそれが感じられないから巴里っぽさはほとんど感じない。

これは実感としても感じたし、パリを建築家が語るDVDでも行っていたし、建築家の知り合いの方も仰っていた。


実際にはそのさりげない工夫と、ごく何気なく醸し出すあのカフェの雰囲気や市民の生活が日本人や世界各国の観光客を呼びつけるひとつの要因となっているんだろう。



さて、悔しいけど、と書いたように自分は正直な話パリという街はそこまで大好きではない。

初めてフランスに来た時はLa Rochelleという大西洋沿いの小さな港町(日本で言うと岡山的なポジション)にいたし、その後フランス国内をまわったけれど、フランスの地方都市に魅了されていたので、パリの雰囲気はそこまで魅了するものではなかった。

それでも、改めてパリを歩いてみると、すごい街だと思わざるを得なかった。

セーヌ川沿いの建物を見て、普通の建物がこれだけ迫力持っているのはすごい、というH瀬の話を聞いて、この建物達がわりとオースマン時代に構築されたことを思い出す。


オースマン、もといナポレオン3世の時代なのだから1850年とか1900年の話なんだ。
パリはオースマン計画で大きく変わった。当時の家は壊され5階建てや4階建ての中庭式の住居が作られ、軸線が強調され…。

だから、今パリでごく当たり前に目にする”かっこいい街並み”と称されるものはまだ100歳ちょっとなのだ。

知っていたようで気付いてはいなかったこの感じ。たった100年を経ればこの雰囲気と風格はだせるのだと。イタリアの街や古都と言われるような場所はそれ こそ10世紀とか15世紀とか本当に昔の世界が今も残っているけど、パリは、要所要所は確かに古いけど全体としては新しい街なんだろうと思う。

日本は確かに惜しいことをしたし、関東は2回も焼け野原になっているということはあるけど、それでも戦後から50年以上を経ている。
あの時、あの時もう少し頑張っていれば(勿論、当時の成長と当時の復興計画がいかに大変だったかというのは話を聞いているだけでも凄いものだと思うけど)東京だって、東洋を代表する素敵な都市になったんじゃないかと。
そして、今からでも100年先のことを考えてそれに耐えられるものを作っていけば…。まぁ、創造の話だけれど。

少し話がその後の考えとも混じっているような気がするが、そんなことをちょこっと話ながらオルセー美術館に向かう。

オルセー美術館は最も好きな美術館のひとつ。スケールも好きだし、作品も大好き。
そして、あの美術館それ自体がかっこいい。
地獄の門がある入口の向かい側の3階?から当時の駅舎の姿を覗くことができるのだが、これがまた見事なのだ。誇りと自信を持ってこれはうちの財産だと言えるような駅舎だと思う。
形状としては普通のアーチなのだけど、見ていて飽きることない風格がある。
美術館に転用したって、何一つ作品に負けないどころか作品を凌駕する雰囲気を持っている。

要所要所にあるこうした資源達は魅力的。
セーヌ川沿いをずっと歩くだけでこうした存在(エッフェル塔があり、グランパレ、プティパレがあり、オルセーが、ルーブルが、ノートルダムが…etc)が所々存在する。


なんて思いをいだきつつ、2人でパリ観光を楽しんだのであった。

小さな工夫とさりげなさを持つまだ若い建物と、そして要所要所に点在するシンボリックかつ歴史的な資源達。そこに現代的な建物や文化、人間の活動が重なっていく。
構成するものとしてはごく単純だけれど、非常に重層的。作られた時間は短いけれど密に何重にも重なっているんだろうと思う。
そして、きっとあの街としてのスケールも影響しているのだろう。実際にパリを観光する人達は13~20区はそんなに見ていないはず。ごく小さなあのセーヌ 川沿いの歩けるスケールに重層的に固まる存在がより強固な”パリ”を作っているのだろう。(東京だって魅力的な街は沢山あるけどいかんせんその散布密度は 低い気がする)


あぁ、そうするとここまで人を惹き寄せる街ができあがるのかと。

そんな思いを抱いたのがパリ初期の印象。

これでもすこし書くのが遅れてしまって途中考えたことが色々と紛れ込んでいるけれど。

これからパリをもっとしらみつぶしに歩いてその印象が1年半後にどう変わっていくんだろうか。或いは変わらずにより確信を抱いて行くのだろうか。

2 件のコメント:

  1. 少ししかいないしヨーロッパのことはよくわからないけども、逆に「作られた街」という感じもした。建物も人もあまりにもステレオタイプ通りで、予想を裏切られなかったから「パリっぽい」って感じたように思う。
    セーヌ川がきれいで、素敵な橋がかかってて、オープンカフェがあって、雑貨屋さんがあって、カップルはカップルらしくいちゃついてるし、カフェではビール飲みながら本読んでたり。ルーブルは予想通りでかくて、凱旋門とエッフェル塔は写真通りにライトアップされてる。
    逆にメトロの汚さ、検問とか北端のクリニャンクールとかが本当の姿で、あの中心部は「パリのイメージ通り作られた」街で、住人もそれに合うように生きてる気がする。街が先か人が先かは卵と親の関係だろうけども。パリ以外に住んでるフランス人はパリの景色って好きなんだろうか?? 
    逆にロンドンではチェーン店のカフェがそこらじゅうにあったり、ネオンの広告も結構出てたりして街自体の美しさ的なのはあんまりなかったけども、生活に素直な感じがして好感が持てたかな。

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  2. hirose>ごめん、気付いてなかった。
    それは、イメージ戦略みたいのは十分にされてて、多分ガイドブックとかテレビとかでみたイメージそれそのものが広がっていたりしたから、「作られた感じ」が余計あったんじゃなかろうか。
    ただ、その場合の「作られた街」ってのは、どっちかというと「パリを見たメディアに作られたイメージ」であって、パリがそのイメージ通りに作られたというものではないと思うんだよね。
    それが、(メディアとかに作られた)イメージと違ったものが目に付いたからそれがあたかもホンモノのように見えたんじゃない?
    実際イメージに挙がって来ないパリの姿ってのは隠そうと思ってるわけじゃなくて、勝手にスポットライトを当てられてないだけで、それはパリが意図的に隠ぺいしてるものではないと思うんだよね。
    ちなみに歴史的に言えば北端とかはそもそも19世紀になるまでパリではなかったし、あの地区は移民が追いやられてる貧民街なのでまたちょっと特別。ちょっと郊外の住宅外と商店が混じったところとかに行くとまた感覚が違うかも。
    確かに規制とかかけてるのはあるけどパリにもマクドとかそういうのは結構あるからね。なんとなくそれが拘束感を生み出しているように感じたのかな?逆に、
    ロンドンのチェーン店のカフェやらネオンとかそういうのは規制をかけてないでほっとくとなるから、それが素直ってイメージになったんじゃなかろうか。或いは東京と被った?
    俺は、パリのカフェやら街のおっさんとか見てると子の人達も生活に素直に生きてると感じるけどねー。
    ちなみに、そのうち書くけどパリの遺産を公開!とかパリでインスタレーション!みたいなのだとこんなに人いたのこの街?ってくらいもうわんさか人が溢れてたんだよね。そこで、彼らパリジャン達がパリに愛着もってるんだろうなぁと個人的には思ったよ。

    パリ外に住んでるフランス人がパリの景色好きなのかってのはちょっと気になる質問。宿題にします。

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