2011年4月28日木曜日

パリを考える3-パリとメトロポリタン1-

パリで最近動いている大統領主導の一大プロジェクトがある。

その名もGrand Paris。

文字通りパリを大きくしようというものだ。
けれども、パリという大きさはかつての城壁でくっきり区切られているので、パリの行政区域が直接大きくなるわけではない。
ただ、周縁部に無人運転のメトロを通して、パリから衛星都市のように結ばれている各地域を結び、クラスター(産業重点地区みたいなもん)を結び、パリを世界レベルでたちうちできるメトロポリタンにしようという計画である。

その目的はNY、TOKYO、LONDONに匹敵するメトロポリタンになり、経済発展をすること。

その大きな目玉の一つが上に述べた無人運転のメトロである。国家主導で行われるGrand Huitに加えて、パリ市が主導のarc expressの2つが出来る予定。
さらにはRATPというパリ都市交通局による既存メトロの延伸、トラムの延伸、4本のトラムの新設などがあげられる。下の図に書かれている殆どが、パリ周縁部の交通計画の一覧である。


点線部がgrand huitのラインで、右端にあるNoisy-champsはまさに僕が今住んでいるところ、そして我々のENPCが位置する所である。
ここは将来的にクラスターデカルトとして、学術都市(よーするに筑波みたいんところ)として、東の中心地区の一つになろうとしているのだ。将来的には今のRER Aに加えて、このgrand huit、そしてトラムが延伸されることになっているらしい。


Grand Parisについては自分もまだ消化しきれていない部分も多いからまた改めて何度か考えてみたい。そもそも、まだ公開議論がつい先日終わったばっか(だったかな?)であって、このラインも確定していない。
以下は僕の主観的意見が多分に盛り込まれている。この先変わることは大きくあると思うけど、今の自分の立ち位置として記録しておくのは悪くないと思った。

メトロポリタン最大の都市としてTOKYOは必ず出てくる大先輩である。その、メトロポリタンの大先輩の一住人として言わせてもらうと、恐らくこのグランパリは成功しない。
一つは武蔵野線レベルの大きさの鉄道を無人のメトロで運転するのはあまりに無茶があること。話題にはなっても赤字から抜け出せないし、すでに直線状で結ばれているRERのクオリティが余りに低いので恐らく目論見はうまくいかないんだろうと思っている。風に弱い武蔵野線の延長は107kmなのに、このgrand huitは総延長160kmになるはず。それを地下で建設するなんて信じられないくらいコストがかかる。
もうひとつ、このプロジェクトはフランス伝統の中央集権主義から少しでも環状線をつないで横の連携をつなごう!そして、その影響力でパリと周縁部の連携をさらに深め、パリを大きくしよう!というものだが、まず、通る駅達は全てパリの外の衛星都市。山手線のように周回する駅が魅力的ではない。普通にこの周回鉄道を通るならパリから放射状に延びる既存のRERを使って移動した方が圧倒的に早いだろう。環状線として新興都市同士をつなぐメリットがどうも見えてこないのだ。結局パリを通過することになるのではないかと思ってしまう。
そして、パリの周りのコミュニティ同士の意識も、この周回鉄道で変わるとは思えない。まず、パリが圧倒的すぎるので、パリと郊外A、B、Cみたいな扱いであるのが、郊外A,B、Cをワッカ通したからこれでパリと一体になって…というわけでもない。今回のプロジェクトではパリと周辺コミュニティの力の関係性も変わらないので、周りのコミュニティ同士がパリジャンとしての意識を持つことは難しいだろう。
ちょうどまさしく、グランパリのアイデンティティとは何かと言うプレゼンをすることもあって最近グループで議論するのだが、その話の中で、パリはフランスだよ。
パリはフランスであり、フランスはパリである。
日本でこんなこと聞いたことないが、それが言い切れるくらいフランスと言う国は中央集権的な作りをしている。お隣のドイツはそのま逆なので、友達はほんとフランスは…と良く言っている。

パリとパリ以外の差は圧倒的である。交通の便も圧倒的に違う。パリの中の交通網は素晴らしい。正直東京よりも凄いと思う(汚いけどね)。バスとメトロとヴェリブと組み合わせたら殆ど歩かないでパリじゅうを横断できる。しかし、一歩パリをでると途端に不便になる。そう、僕の家のように…orz

交通も全てパリを起点とする。全ての道はパリに通ずといっても過言でないくらい。

余談だが、昔リヨンからラロッシェルに戻ろうとした時、直線で行けるラインがあれば4時間くらいで行けそうなものなのに、TGVが全部パリ起点なので、一見遠回りなパリ経由の方が直線距離が遥かに短いルートよりも3時間近く早くつくことをみて驚愕した覚えがある。

まぁ、とはいえ、グランパリは現在動いている都市計画の中ではとても興味深いし、何より自分がこうしてその変化の中に”生”でいられる非常に貴重な体験なので目が離せない。
目が離せないもう一つの理由は東京とパリの関係性である。

圧倒的に集権的な国、メトロポリタンの先輩の日本もまさにその例の一つだろう。
メトロポリタン東京は、僕の理解が正しければ、望んでこうした超巨大都市になったわけではない。
日本の国土の開発の方針を決める、”全総”という国交省が数年に一度まとめる報告書があるのだが、1~4次で常々謳われてきたのが”国土の均衡ある発展”。巨大都市、ひいては東京への一極集中を避けるものである。
それでも東京は成長した。今では東京首都圏の人口は3400万にのぼると言う。 ちなみに、ドイツでは制度上、十万を超えれば大都市だそうだ。

常に東京の一極集中をなんとか抑えようとし、そして、度々失敗してきた。
東京メトロポリタンは、一極集中を避けようとしても避けられなかった。
東京は東京の拡大を防ごうとした。かつて、2度にわたるグリーンベルト(緑のえりあによって物理的に都市の拡大を防ぐ。ロンドンや韓国が有名)を試みたが、いずれも計画に失敗している。
世田谷区の砧公園は確かその名残だった気がする。
ある意味、封じ込めに失敗してしまって、今の世界最大のメトロポリタンが出来てしまったのだ。東京はある意味誇りだが、ある意味失敗の賜物なのかもしれない。
そして、東京と言われて思い浮かべるのは何か?東京のアイデンティティというのは僕らの分野では度々問われる質問である。

一方のパリは中央集権国家ではあるが、パリという都市を明確に区別できる。住居問題などはあるが、パリのスプロール化が問題にはなっていないはず。城郭都市なのでグリーンベルトを作らなくてもよかった。
中心部は大胆な都市計画として歴史に名を刻んだオースマンの都市計画を経験し、歴史的建造物も残り、パリと言えばセーヌ川、エッフェル塔、凱旋門、カフェ。アイデンティティに溢れている。

だから、東京が得たくても得られなかったものをパリは嫌と言うほど持っている。だから、パリと言う存在は東京の憧れだったのではないかと思う。

その、憧れの存在が、今まさに東京と言うメトロポリタンに追いつこうとしている。自分の憧れが今度は自分を目指しだしたのだ。それは、困惑するに違いない。

パリは今変わろうとしている。みんなはこれをどう思うのだろうか。

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