2011年4月19日火曜日

パリを考える2-鉄道からみたオルセー美術館-

現在のパリには6つの主要駅があることは前回ちょこっと書いた。
最初の駅サンラザールのほか、北駅、東駅、リヨン駅、オーステリッツ駅、モンパルナス駅がある。

こいつらが、恐らく(だが、かなりの確率で)当時の12区の周縁部に、煤煙などを避けるようにして建設されたことは書いた。
恐らく、立地に関してはロンドンのそれが参考にされているんだろうと思うけど、ロンドンの駅の立地が当時の行政区とどう関連していたかは僕にはよくわからない(誰か知ってる人がいたら教えてください)。

1837年のサンラザール駅を初めとして、次々と6つの駅ができた。そして、その駅を北部鉄道、オルレアン鉄道、東部鉄道、 西部鉄道、地中海鉄道etcといった鉄道私鉄会社がそれぞれの駅を使って電車を運行していた。西部鉄道などはいくつかの合併によって誕生したものらしいが。

まぁようするに、こいつらはみな各鉄道路線の始発駅なわけだ。元々が別の会社によって運営されていた駅だからこそ、駅舎としても通過駅型でなく、終着駅タイプの駅舎になっているんだろう。東横線の渋谷駅や小田急の新宿駅みたいなもんだ。
それが、1930年になって、各路線の赤字から、国が買収し、国鉄となった。それが現在のSNCF。
現在でもフランスの長距離列車は”国”鉄である。日本とはここは違う。日本は国鉄を民営化したので全く逆の道をいってるわけだ。

今回はそのうちのオルレアン鉄道にちょっと話を絞る。

オルレアン鉄道の主要駅は今は影をひそめがちなオーステリッツ駅である(現在は夜行列車や一部近郊線に使われている)。オルレアン鉄道はその名の通り、オルレアンを通りながら、ボルドーなどへ向かう鉄道だった。


オルレアン鉄道が出来たのが確か1850年代。
そのうち、オーステリッツ駅が中心部から若干離れていたこと、同じくオルレアン鉄道が所有していた郊外線のソー線の駅が今のRER B線のDenfert-Rochereauから同じくB線のリュクサンブール駅に移り、より便利になったことに加えて万博が1900年に開催されることと合わせて、オルレアン線本線延伸が決まった。
そして作られることになったのがオルセー駅、今のオルセー美術館である。
ルーブルはかつての王宮の一つであり、オルセーは駅だった。カッコ良いリノベーションだと思う。

この際、パリの中心部に煙を持ち込まないように、ということでオーステリッツとオルセーの間の線路は全て地下化したうえ、電気軌道で走ることとなった。オルセーは、その結果駅舎に煙が入らないことを前提として設計された駅舎であるらしい。 恐らく、ホームが全部屋根で覆われていたのだろうと思う。他の駅は途中から屋根がないのはTGVに乗ったりしたことがある人ならわかるのではないだろうか。

1900年に開通したオルセー駅は、しばらくの間オーステリッツ駅に代わってオルレアン線のターミナル駅として活躍した。
スペインへの国際列車も発車していたらしい。
ここから、40年近く、パリのど真ん中を長距離鉄道が走っていたことになるのだ。

知らなかったのだが、この万博に合わせて実は、パリ左岸でもうちょっと西のアンヴァリッド(今はナポレオンの墓がある)という駅やchamp de marsといった駅も開通していたそうだ。それに加えて、luxembourgやdenfert-rochreauなども駅が通っていた。
そう、パリの地上部分にはあまり鉄道が走っていないように見えて、一時はかなりの鉄道がパリの中心部までやってきていたのだ。
僕の中ではパリの駅はあくまで6つの中心からはちょっと離れた駅達であって、パリは中心部に駅が入ってくるのをかたくなに拒んでいると思っていたが、実際はそうでなかったようだ。
この鉄道路線の名残は実は今でも見ることができる。
アンヴァリッド駅やオルセー駅、オーステリッツ駅は地下で結ばれて現在のRER C線になっているし、ソー線は今のRER B線の南部につながっているのだ。100年前の鉄道路線はこうやって今も生き続けている。あまり書いていると長くなるのではしょるが、RERの路線たちは1800年代後半~1900年頃に出来た鉄道路線を利用しつつ新規路線を追加して1960年代に復活した。

しかし、1930年代後半になって車輛が長くなったことを受けてホームが足りなくなったこともあり駅舎としての短い役目を終えた。

それが、86年に美術館として改装されて今の姿があるのだ。


ルーブルを見てから、オルセーに行く時に、セーヌ左岸沿いを歩いているとオルセー美術館の側面を見ることができる。時間がある人はぜひ見てほしい。

そこには、PO(paris-orleans)と駅舎に掘られたマークと、かつてオルレアン鉄道が結んでいた駅、ボルドーやオルレアンといった名前が刻まれているのだ。確かにここは駅舎だったことを感じさせる瞬間。自分はこれを見た時ちょっと感動した。

それを感じながら、オルセー美術館の正面に入ってみるとより一層オルセー美術館が素晴らしいモノになるのでないかと思う。チケットを切った後少し階段を下る前に奥を見渡せば、そこに当時はオルレアン鉄道の車両が止まっていたこと、線路が地下を通ってきたから恐らくあの下り階段があるのかもしれないといった思いが湧いてくる。
そして、振り返ってあの大時計を見れば、より一層駅としてのオルセーを感じられるはずだと思う。
駅として流れていた時間を見ながら、ちょうど鉄道が開通した時代からオルセー駅が誕生するくらいまでの当時の作品たちを見るなんて、なんとも粋なことをしてくれるもんだなと思う。


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